取り戻せない夏
神山紫音
ある夏の日
『贅沢は敵だ。』
人々の争う心は互いに傷を作り出すばかりで、癒えるまでにはまだ時間が必要だった。
『お兄さん、私もまたこの後に女学校に行ってまいります。お兄さんも御国を守り抜いたら、また帰ってきてくださいね。母も私も心待ちにしております。』
という晴美は晴晴とした笑顔。朝から元気な証拠だ。
俺等は四人家族。既に父は特攻隊長で戦没している。
『お、おう。晴美。じゃあ行ってくるな。』
『いってらっしゃい。お兄さま、私の誇りです。』
と涙ぐみながら送り出されたのは
八月一日の午前八時十五分の話だった。
***
それから帰ってきて、今こうやって自分の元いた場所に帰って見に来たまでは良いのだが……。
俺が先週まで過ごしていたこの家は灰燼と化していた。辺り一面焼け野原。
放射能がどうだとか廣島驛前で誰かが叫んでいたけれど、そんなの今の俺には関係なかった。
家族の顔だけが一番に見たくて……
安全であれ、ただそれだけを知りたくて。
ふと目をあげる。すると顔を地面に垂れて、腕には木の梁の破片が刺さった女性の姿があった。
思わず、見慣れた姿に声を上げる。
『母さん……!命(みこと)母さん、どうして、何でここにいるんだ……!』
そして、俺は一縷の望みを信じて、母親を瓦礫の山から少しずつ引き出していった。すると母のしたから妹のぐったりとした姿が。
……
『あ……!』
『晴美。お前……』
それ以上は言葉にできなかった。
きっと母は晴美の事を庇ったのだろう。腹にも木片が刺さっており、辺りにリンパ液が水たまりの様になって、異様なテカリを持って溜まっているのが見えた。
遡るは八月六日の午前八時十五分。その日は一段と暑苦しく、雲はもくもくと高く天へ昇るかのように膨れ上がった、夏の日だった。
その日、俺らの日常は一瞬のうちに蒸発した。
守るべき人も守るべき場所も、守ってきたものたちも全部。
空へと舞っていって、
俺を待ってはくれなかった。
核爆弾はその持ち前の超高熱で、物と言う物を根こそぎに、影も形もなくさせた。
それは形のないものにもそうだった。
ずっと俺は放心して眺めていた。
母親の腕は白く、透き通って、月の光に照らされた白蛇のごとく、それは異様な輝きを放つもので、生きている頃の血が通う血色とは大違いで
死を認識させるには十分だった。
夏の炎天下の下、俺は命の抜け殻を見ては、
自分の過ち、成果、想い、願い、感謝、……
全部が無に帰した様な感覚に襲われていた。
ずっと溜めていた、寂寞の想いが水位を超えて、遂に決壊して瞳から溢れ出す。
『俺は……』
『俺は……何のために出陣してきたんだ。』
『こんな、一番近くにいる大切な人さえも守れずして、俺は何が為にこの国を守り抜いた』
俺は広がる焼け野原の中で、同じように涙する人がいる中で、将官の制服を着たまま男泣きに泣き崩れて、再起不能になりそうなほどに、そこで一生分の後悔をしては、取り戻せない日常へのけじめを付けようとした。
『最後に一つだけ皆んなの姿、忘れない。』
いや、本当の所は忘れることなんて出来るはずがなかった。
『だから、この無念を胸に真の平和を目指し、皆の無念の分も俺が働くから。』
言っても癒えることがない傷があること。
時に俺等はそれを失ってから気付かされる。
取り戻せない夏 神山紫音 @Zion-Kamiyama
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