第12話:螺旋の囁きとモノポールの檻

光の螺旋階段は、二人を地球の深淵へと誘う、静かなる導き手だった。

一歩足を踏み出すごとに、地上の喧騒は遠ざかり、代わりに宇宙の根源に触れるような、厳かで神聖な空気が二人を包み込んでいく。

重力が、ほんのわずかに軽くなる感覚。それは、この施設全体が、地球の重力を精妙にコントロールしている証だった。

階段の終わりは、広大なドーム状の空間へと続いていた。

天井は夜空のように高く、そこには星々ではなく、光る回路がまるで銀河のように張り巡らされている。

壁は滑らかな未知の金属でできており、触れるとひんやりと冷たく、内部から微かな振動が伝わってくる。

施設全体が、一個の巨大な生命体として、静かに呼吸しているかのようだった。


「…信じられない…」レイナは、技術者としての魂を根こそぎ揺さぶられ、立ち尽くした。


「このエネルギー効率…この自己修復型のナノ構造壁…。地球のテクノロジーじゃない。少なくとも、数千年、いや数万年は進んでいる…」


大輔の目は、壁に明滅する幾何学模様に釘付けになっていた。

それは文字であり、数式であり、そして設計図でもあった。

理解はできない。

しかし、その形が持つ普遍的な美しさが、彼の脳に直接語りかけてくる。


「進もう、レイナ。この施設の中心に、答えがあるはずだ」

二人は、まるで神殿の参道を歩むかのように、ドームの中心へと向かった。

そして、そこに広がる光景を前に、完全に言葉を失った。


空間の中央に、二つの球体が、互いに数メートルの距離を保ちながら、静かに浮かんでいた。


一つは、光を一切反射せず、背後の景色すら歪める、完全な漆黒の球。

まるで宇宙の闇を切り取って凝縮したかのような、絶対的な「無」。


もう一つは、その対極。内側から眩いばかりの純白の光を放ち、見る者の目を眩ませるほどの、絶対的な「有」。


その二つの球体の周りには、目には見えないが肌で感じられるほどの、強力な力場が渦巻いていた。

それは、電気でも重力でもない。純粋な「磁力」の嵐だった。


「…モノポール…」大輔の声が、かすかに震えた。

「磁気単極子…。N極だけを持つ粒子と、S極だけを持つ粒子…」


理論上、その存在が予言されながら、決して発見されることのなかった幻の粒子。

それが今、目の前に、惑星のように巨大な姿で存在している。


「なぜ…安定しているの…?」レイナが、科学の常識を覆す光景に問いを発した。


「N極とS極なら、引き合って対消滅するはず…!

なぜ、この絶妙な距離を保っていられるの!?」


その時、大輔は気づいた。

この施設全体に満ちる、奇妙な『ねじれ』の感覚。空間そのものが、螺旋を描いているような。


「レイナ…磁力線だ…!」

彼の指が、二つの球体の間を指し示す。


「僕たちの常識では、磁力線はN極からS極へ向かう直線か曲線だ。

だが、もし違っていたら?

もし、磁力線そのものが、右回りと左回りの『螺旋』を描いて空間を伝わっていくものだとしたら…!?」


大輔の脳裏で、最後の物理学の謎が解き明かされていく。


「N極同士が反発するのは、同じ回転方向の螺旋がぶつかり合って、噛み合わないからだ!

そして、S極同士が反発するという、あの不可解な現象も説明がつく!

S極は、磁力線を『吸い込む』側だ。

しかし、お互いに逆回転の螺旋を吸い込もうとしても、やはり噛み合わずに弾き合ってしまう!

これが、S極同士の斥力の正体だ!」


この施設は、その螺旋磁場を人工的に生成し、制御する、超巨大な装置だったのだ。


漆黒の球体は、我々の正物質宇宙の「N極モノポール」。

そして、光り輝く球体は、対消滅を避けるために、鏡像宇宙…つまり反物質宇宙から召喚された「N極モノポール」。


反物質宇宙のN極は、こちらの宇宙ではS極として振る舞う。

しかし、その螺旋の回転方向は、こちらのS極とは逆。

だからこそ、この施設が生み出す特殊な螺旋磁場の中で、二つのモノポールは引き合いも、反発しあいもせず、永遠に互いを見つめ続ける、完璧な檻の中に囚われていたのだ。


「この施設は…永久機関…」レイナは、畏怖に満ちた声で呟いた。

「二つのモノポールが存在し続ける限り、無限のエネルギーを生み出す、星の心臓…!」


彼らが、人類の理解を遥かに超えた真実の核心に触れた、その瞬間だった。



ゴォォン…!



ドームの入り口とは別の方向から、重々しい隔壁が開く音が響き渡った。

そこから現れたのは、強化兵士たちを率いる、一人の男だった。

黒いロングコートに身を包み、その顔には感情というものが一切感じられない。

まるで、磨き上げられた能面のような男。


「ようやくたどり着いたか、異端者たちよ」


男の声は、静かだが、施設の隅々まで染み渡るような異様な響きを持っていた。


「その『心臓』は、我ら『調律者』が管理すべきもの。

混沌をもたらすお前たちには、過ぎた玩具だ」


彼ら『調律者』は、この施設の存在を知っていた。

いや、それどころか、その管理者を自認していた。

彼らは、この星の影で、人類の歴史を、宇宙の真理を、自分たちの都合の良いように「調律」してきた秘密組織だったのだ。


男が静かに手を上げると、彼の背後から、さらに異形の兵器が現れた。

それは、強化兵士とは比較にならない。

蜘蛛のような多脚を持つ、完全な戦闘機械だった。


「レイナ! 博士のチップにあった、リアクターの安定化理論!

それは、このモノポールの螺旋磁場を、外部から干渉する理論でもあるはずだ!」


大輔が叫ぶ。


レイナは即座に理解した。

彼女のコンソールに、博士が遺した最後の切り札が映し出される。


「正気?

失敗すれば、私たちごとこの施設が時空の彼方に吹き飛ぶわ!」


「博士は、僕たちを信じてこれを遺したんだ!」


二人の前に、絶対的な力を持つ敵が立ち塞がる。


そして彼らの手には、この星の運命、いや、宇宙の法則そのものを書き換える可能性を秘めた、禁断のスイッチがあった。


施設の中心で、漆黒のモノポールと純白のモノポールが、永劫の時を刻むように、静かに、しかし激しく、互いの存在を主張し続けていた。



その均衡が破られる時は、すぐそこまで迫っていた。

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