第二十四楽章

 さて、私は今……自分の小屋にいる。あの地面から数メートル浮いているという小屋だ。内装はほとんど変わっていなかった。重い家具の後ろにあるはずの穴を除いて。


「いつの間に抜け穴を作ったのかは知らないが、今後はこんなことはしないように。修復には硬い木を使ったから、体力の無駄になるだけだ」


「はぁ…そうですか」


「にしても…あの雫とやらの言い分は正しくなかったようだな。ということは、水の民の逃亡者も生きてる可能性があるのか…?」


御神子がそう言って、外へ出て行った。小屋の鍵は閉めないまま、出て行った。雫って、水月の姉のことかな?どうやら協力はしてくれてたらしい。


「あ、あの―…」


御神子と共に行動していた男の子が口を開く。今この小屋に居るのはコイツだけ。笛は無いけど、逃げることぐらいは出来るかもしれない。


「青嵐を…知っているんですか?」


「えっ?……まぁ、知ってます」


思いがけない質問に、呆気に取られる。何故今そんな質問を、逃亡者という者にするのか不思議でたまらない。


「あの、なんでそんなことを聞くの?」


ざっと見、9か8ぐらいの年齢だ。青嵐を知っていたとしても、深い関りがあるようには見えない。年代が少しズレてる。


「これに見覚えは?」


「へ?……は?な、なんであなたがそれ持ってんのよ?!」


思わずため口になる程に驚いてしまった。だって、この人が……シロツメクサの花王冠を持っているなんて。普通の花王冠じゃない。花弁は茶色に染まっている。茎は水分を失い、しなやかさを失くしていた。数日前のものだ。


「青嵐が……兄が僕に残したものです」


「あ、兄ぃ?!」


まさかの急展開。青嵐に弟がいるという話は聞いたことがあるような気もする。でも、こんなにすぐ出会うとは。これは運が良いのか?


「兄は、僕が逃亡者の…薫風さん?の協力者となってほしいと頼んできました」


「そう…」


「兄の最後の頼みを、やり遂げたいんです」


相手は青嵐の弟。風の民の中では信頼できる方かもしれない。でも…御神子と共に行動していたから、油断は出来ない。


「御神子とあなたが協力していないという証拠は?」


「ないです…でも、僕は兄の最後の頼みを踏みにじることはしません」


決意を固めた目。よく見ると、どこか青嵐の面影がある。でも、面影があるだけで青嵐ではない。


「分かった。協力、お願いします」


「はい、頑張ります」


ところで、名前を聞いていないことに改めて気づく。


「あなた、名前は?」


「”こち”と言います。漢字で書くと、東風です」


東風…珍しい読み方をするな。でも、なんだかんだで覚えやすそうだ。


「では…よろしく、東風」


「こちらこそ…薫風さん」


「”さん”はいらないよ」


「いえ、一応年上の人なので」


そういえば、何歳なんだろう。9、8才ぐらいだと思うが…。


「何歳なの?」


「えーっと…10です」


5歳差か。随分と年下だな。


「あの、それで…何に協力をすれば良いですか?」


協力…本音を言えば、この集落を無くしてしまいたい。でも、それを承知するとは思えない。私でも躊躇してしまう。とりあえず、脱出から先かな。


「うーん…笛を取り返すことって、出来そう?」


「笛ですか…やってみます」


そう言って、小屋から出て行く。


「鍵は閉めておかないといけないので」


鍵の閉まる音と同時に、そんな声が聞こえた。東風がいない間に、本当の目的のための準備に取りかかる。紙を棚から抜き出す。腰下げポーチに入れていた万年筆も取り出す。書く道具が無くて困っていた時に、集落の物置で見つけた品だ。


「水月へ…っと」


どうしても、これ以上私の目的に他の人を巻き込む訳にはいかない。東風には申し訳ないが、これは私の問題なんだ。巻き込みはしない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「薫風さん、無事に笛を回収出来ました!」


半ば息切れ気味の東風が、銀色に輝く笛を渡す。手に冷たさを感じる。


「他に、何か…ないですか?」


地面にでも捨てられていたのか、土が笛に付着していた。ポンチョで拭く。既に土で汚れているポンチョだ。汚れが増えても問題ない。


「近々、混乱に陥ることが起こる。その時に、向かいの山間部に住む水の民に、この手紙を届けて」


「混乱に陥る…?」


「ええ。その混乱を利用して、ここを抜け出すの。そしてこの手紙を届けてほしい」


「分かりました…」


どこか不安そうな表情を浮かべながら、承知した東風。手紙を肩下げの小さい袋に入れた。


「なんで、そんなことが起こると…思うんですか?」


「えーっと…水が教えてくれたから」


嘘だ。笛を吹いていないのに、水の声が聞こえる訳がない。御神子みたいな人なら、年がら年中聞けるのかもしれないけど…私には無理な話だ。


「…教えてください。何があったんですか?どうして水の民の笛を?兄はどうしてあなたに負けたんですか?」


「えぇーっと…全て、手紙の受取人が話してくれると思います」


明らかに残念そうな顔になる東風だったが、すぐに通常通りとなった。


「あと、この笛をあなたが預かっておいて」


「え?なんで?」


「私はもう多分、使わないと思うから」


「は…はぁ」


水月の笛は無くしちゃいけない。私が持っていれば、無くす可能性が高くなる。


「それで…他には?」


「もう大丈夫。ありがとうね」


「…随分と早いですね。本当に何もないんですね?」


ああ。必要なのは、水月へ手紙を持って行ってくれる人。深く頷く。


「そうですか。…アッ!忘れるとこだった」


「?」


「兄からの伝言で、塞がれた穴は壊れやすくしといた…とのことです」


「そうか……ありがとうね」


逃亡用に壊れやすくしてくれたのかもしれない。でも、私はやっぱり…。


「それじゃぁ」


「ああ、よろしく」


鍵が閉まる音がしたと思えば、すぐに穴を塞いでいる板を押したり引いたりする。時間はかかったが、思いの他すぐにとれた。外の色はもう、赤に染まっていた。

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