第三楽章

 目の前に広がっていた闇が、突如赤紫に染まる。


「あっ、起きた」


まだ視界がぼやけるせいか、それとも朝日の逆光のせいか…。人影の輪郭線が定まらない。ようやく目の焦点が合ってきた頃、目の前の光景に絶句する。


「驚いた?」


目の前には面識のない女がいた。いや、男か?とにかく中性的な顔立ちに見える。驚いたも何も、あんた誰よ?ってか、水月は?もしかして…。苦くて黒い、形を持たない何かが背筋を通り過ぎる。


「うわぁ!」


「水月はどこだ!」


もしやこの女(男?)、水の民?追手がもうここまで来た?色々な疑問が頭を駆け巡る。よく見ると、女(男?)は水月と同じ模様のポンチョを着ていた。……水の民の模様。


「ちょ、薫風!離してよ!」


水月の声…。面識のないヤツから、水月の声がする。……え?戸惑いから生じたわずかな隙が、水月の声がするヤツを取り逃がしてしまった。


「痛ぅ…いきなり腕掴んで”水月はどこだ”って何よ!」


「え?……もしかして、あなた水月ですか?」


「はぁ…でも検証は成功したし、良いか」


検証?何のことだ?…ダメだ。朝っぱらから体力を使ったせいで、思考力が低下している。体を動かしてスッキリ、どころか、疲れて二度寝したいぐらいだ。


「二度寝していい?」


「その前に、私の考えを聞いて」


ヘイヘイ……ふわぁ~ネム。


「ただ逃げるだけじゃ、いつか必ず風とか水に見つかって、風・水の民に居場所を特定されるわ」


「だろうな」


「そこで、考えたんだけど…変装しない?」


「フム…まぁ、今はそれぐらいしか解決策もないし…良いと思う」


変装しても、バレるのではないか?そんな疑問が出てくる幕はない。何故なら、水月の変装に騙された人が一人、ここにいるのだから。


「水月、もしかして…髪切らないとダメ?」


「ええ」


「あぁ~…」


「じゃぁ、早速」


そう言って、どこから見つけてきたのかも分からない、切れ味の良さそうなナイフを握った。そして、一つに束ねていた髪のまとまりを躊躇もせずに…。あぁ、伸ばしてきた髪がぁ…。床に見える黒い塊は直視出来なかった。


「わぉ!スッキリしたね」


窓ガラスに歩み寄る。薄くだが、髪の短くなった顔が浮かび上がる。中途半端な長さに切られた髪が、はねる。少女らしい面影はなく、中性的な顔立ちに見えた。


「まぁ…生き延びるための代償と思えば、軽いモノよ…」


「お揃いだね」


水月も、初心者にしては上出来と言いたいぐらいの仕上がりだ。ハゲが出来なかっただけマシと思うことにしよう。


「服はどうするの?」


一応、民族模様が描かれたフード付きポンチョを私は着ている。髪が変わっても、この模様でバレる恐れがある。


「箪笥の中を見たりしたけど、何も入ってなかったわ」


そうか…。髪を切ったから、少しはバレるまで時間が稼げるかもしれない。でも、こんな模様の服を着ていたら、風や水の視界に入るだろう。どうすれば…。


「風と水に見つからない方法…。」


水月も私と同じことを考えていたそうだ。二人で考えれば、何か名案が浮かぶかもしれない。…沈静、静寂。やっぱり三人いないと文殊の知恵は思い浮かばないか…?


「風と水に見つからない…?」


「薫風、どうしたの?」


「水月、風と水に見つからなくするんじゃなくて、見つかってもいいようにするのはどう?」


「……何言ってるのかちょっとよく分かんないわ」


不満度が高そうな顔をしている。まぁ、私も水月の立場だったら、こうなってるわ。


「風と水を仲間に出来ないかな?」


「風と…水を?」


「そう!風と水を」


不満そうな顔が、次は哀れな物を見る目になった。……そこまで頭のイカれたことを言っただろうか?


「風と水は、笛が吹けるかつ、上手な演奏者の言うことしかきかないのよ?」


つまり、水月の言いたいことはこうだ。笛が吹けない私に風を仲間にすることは不可能。そして、演奏が上手くない水月にも水を仲間にするのは無理。


「だから、笛の練習を…」


「冗談抜きで考えて。これはお互いの命がかかってるのよ」


つまり、もっと確実に自分たちが救われる方法を探せということか。しかし、それぐらい私も承知の上だ。


「お互いの笛を交換し合わない?」


「は?」


私の額に手を当ててくる。そして、自分の額にも手を当てる。


「熱は無いみたいだけど…」


……まぁ、些細なこととしておこう。それより、説得しなければ。


「風と水の民は、文化が似てる。だから、笛の吹き方も似てると思うの」


「……」


「私、あなたの民族が持つその笛なら、吹けるかもしれない」


「ちゃんと考えてる?」


怒りに近い声がする。でもどこか静かで、背筋を凍らせるような声。


「ちゃんと考えてるわ」


「あなたが考えと言っているのが、私には夢物語にしか聞こえない。何年も練習しないと吹けないこの笛が、あなたに吹ける訳がないわ」


「何よ、その言い方。否定するなら、あなたの意見も言ってよ。」


水月は黙りこむ。やっぱり、自分の意見を持たずに否定ばかりする卑怯者だったんだ。一番格好悪いや。


「バカ」


「アホ」


「バカバカ」


「アホアホ」


いつの間にか、罵り合いに変わっていった。ったく、今はこんなことをしてる時じゃないのに。否定だけする者よりも格好悪いや。


「はぁ…はぁ…」


「ふぅ…はぁ…」


お互いの荒い呼吸音が辺りを埋め尽くす。罵り合いで息が切れるなど、初めての経験だった。


「私たち、何でこんなことしてんだろ」


布団を敷いたままの床に仰向けになって、二人で寝転んだ。息切れも、すぐに収まってきた。


「確かに。今の水月、子供みたいだったよね」


「アハハ…それを言うなら薫風も」


「プッ……」


それからしばらくは、二人で微笑し合った。布団の上で友達的な存在と話す。それは、とても楽しいことだと初めて知った。山を下りてから、初めて知ることが沢山あった気がする。まだ数日しか経っていないのに。


「薫風、そろそろ行こう」


「どこに?」


「どこかに」


「どこか?……どこ?」


「どこかっていったら、どこか知らない場所だよ」


そう言って、ほのかに暖かかった布団から身を起こす水月の腰には、膨れた革袋が下げられていた。


「何それ?」


「カネ」


どうやら、空き家に残っていたカネをもう回収したそうだ。


「水月、盗みが得意なんだね」


「今の状況となっては、すぺしゃるすきる、と呼んでほしいものだわ」


ハイハイ、そういうことにしておきますよ。まったく、ここが空き家だからまだマシだけど…流石に盗みには少し覚悟がいりますよ。まぁ、生きるために文句は言わないけどね。


「水月、それで笛の練習の件はどうなったの?」


「好きにすれば?私はもうこの笛なんか必要なさそうだし」


そういって、横笛を投げてくる。ギリギリのところでキャッチした。


「お見事」


やや上から目線な顔に、私も縦笛を投げる。水月は、寸でのところでキャッチした。


「よくできました」


拍手も忘れずにする。水月は、楽しそうな悔しさを顔に出していた。引き戸に手をかける。横に手をずらした瞬間、風が目の前を通り過ぎた。一瞬ビクッとして、口から内臓もろとも出そうになったが、風は私たちを通り過ぎて行った。


「水月、行こう」


「うん」


本格的な、家出。もしくは、旅。それが今、やっと開幕した。

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