第二楽章

 民家の灯りが頬に照る。その灯りは、森から逃げられたことを実感させる。


「水月、ここは深夜でもこんなに明るいんだね」


「夕方から9時ぐらいまでは、もっと明るいわよ」


そんなことがあるのだろうか?デンキという灯りがあるのは、本で知っていた。でも、実物を目の前にするのは初めてだ。今まで、夜の灯りといえば松明だった。もしくは、ロウソク。でもロウソクは珍しい物で、あまり使ったことは無い。


「薫風、行こう」


「どこに?」


「今夜泊まれそうなとこ」


泊まる…?確か、人里ではカネという物が必要だったはず。しかし、カネという名の物は持っていない。集落では自給自足出来るよう、工夫が施されているためカネは必要ない。


「カネ、という物は持ってないけど…泊まれるの?」


「ここら一帯に空き家が数軒あるわ」


何故そんなことを知っているんだ?水月はそんな疑問が浮かぶ前に、一言そえた。


「山の上からずっと観察してたの。そしたら、灯りの点いてた家が、次の日には灯りが点いてなかったの。その次の日も、また次の日も…」


「その空き家は、どこにあるの?」


「一番近いのは…確か、こっち」


水月が指さす方向を見る。流石住宅地とでも言おうか。数メートル先の空き家が夜でも良く見える。月明かりしかない森では、絶対に見えなかっただろう。


「薫風、急ごう。追手が追いついてくる前に空き家へ」


「うん」


森より遥かに走りやすい道を駆け抜ける。風のように駆け抜ける。数メートルしか離れていなかったため、息切れは起こらなかった。


「薫風…入る?」


「ここまで来て入らない訳がないでしょ…」


空き家の扉に手をかける。引き戸が軋んだ音を立てて左へ移動する。数秒、沈静が場を支配する。


「だ、誰もいない?」


私の後ろから頭だけ出した状態で水月は聞いてくる。一族から逃げる程の度胸があるのに、暗い空き家に怖がるなんて。意外と子供っぽいな。


「フッ」


「な、何?」


「水月って、大人っぽいと思ってたけど…アハハ!」


ダメだ、腹が痛い。夜の深夜、思いっきり笑う訳にはいかない。声を抑えて笑うのがこんなにも苦痛だったなんて…。


「どうせ、私は怖がりですよ」


顔をタコみたいにして、後ろで私の腕を握る水月は、小学生に見えた。…腕が痛い。


「ちょ、水月…腕一旦離して!」


二回ほど訴えて、やっと腕が解放された。赤い跡が残っている。こんなに力が強い小学生はいないか…。そういえば、水月って何歳なんだろう?


「痛ぅ…水月って、何歳なの?」


「唐突にどうしたのよ?」


「別に良いじゃない。…何歳?」


見た目は同い年位に見える。でも、どこか子供っぽかったり、大人びていたり…。


「15。今年で16」


つまり、1歳年が離れているわけか。


「水月の誕生日が来るまで、私たち同い年だね」


「私が16になったら、少しは敬いなさいよ」


「いつ16になるの?」


「さぁね」


人が嘘をついて誤魔化すとき、よく使われる手法が「さぁね」だということを、私は本で読んだ。


「誕生日はいつなの?」


「しーらない!」


「さぁね」意外にも、「知らない」という言葉が使われる場合があります…そう注意書きしてあった。


「吐きな!」


水月の腕を強く握る。さっきの復讐も兼ねて握る。


「痛いよ!……分かった、言うから!離してよ!」


「フッ」


水月との他愛ない会話、ちょっかいの掛け合い。これが、友達というものなのだろうか?だとしたら、少しうれしい。


「9月4日」


「…覚えにくいね」


「悪かったわね」


しばらくお互いに苦笑いし合う。そしてにらめっこ状態へ…。


「プッ……」


水月の顔が崩れる。


「ププッ…アハ!ハハハ!」


「プッ…プップ…アハハ!」


少し控えめな笑い声だったが、それは胸の中に温かく広がる笑いだった。


「さ、入ろ入ろ」


しばらく弾んだ笑いを二人で味わった後、水月が言った言葉だった。多分、引き戸を開けても何もなかったことに、恐怖心が薄れたのだろう。


「うん!」


そう言って、一歩踏み出す。続いて二歩、三歩。水月も後ろからついてきている。玄関では、靴を脱ぐスペースが設けられていた。靴は…脱ぐか。


「風の民の靴って初めて見た」


「私も水の民の靴は、初めてお目にかかるわよ」


水の民の靴はソールの部分が、クヌギという木で出来ている。乾燥すると割れやすくなるクヌギを割れにくくする職人技は、正直尊敬している。対して私たち風の民の靴は、ソールに杉の木が使われている。傷がつきやすい杉を、ここまで丈夫にしている技に感謝する。


「あっ!」


「何!?」


「布団がある…」


「わぉ!やった!」


早速押し入れに入ってあった布団を敷く。まだ春になりたてのこの季節は、寒い。だから、こんなに暖かそうな布団を見ると幸せ度が上昇する。


「ねぇ薫風、寝てる間に追手が来たりしないかな?」


「流石に、すぐこの人里へは下りてこないと思う」


一応風を操ったり、水を操ったりする奴らだ。安易に一般人の前には現れない。


「じゃぁ、今日はゆっくり寝れるかな?」


「日が昇るまで、休憩しようよ」


「うん!」


日が昇るまでの間、緊迫感や不安を一旦忘れられると思うと、すぐに眠気が襲って来た。水月も、目を開き続けるのがやっとのようだ。


「おやすみ、くんぷぅ…」


そう言って、布団に顔をうずくめる。気持ちよさそうな寝息をたてている。


「おやすみ……すい…げっ……」


目の前が闇色に染まる。

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