第5話 英雄との夜会【インウィディア・開拓区】

「……パリオネ?」

「……」

 

 リメアが声をかけても、無言で夜道をずんずん歩いていくパリオネ。

 彼女の宿はシティ・ギルドから3ブロックほど離れた木の根の中。

 この町では木の根に作られた施設は古く、豪華なものが多い気がするな、とリメアは改めて思う。

 宿の表には松明を掲げた篝火が揺れており、大扉と宿の名前が刻まれた看板を照らしている。

 パリオネは迷うことなく扉を押し開き、早足で進んでいった。

 後ろからアーヴィに突っつかれ、彫刻が天井まで施された華美な内装を見回す時間を与えてもらえないまま、リメアはコリドーの最奥に辿り着いた。

 パリオネが待つ扉は、コリドーに並んだどの部屋の扉よりも大きい。


「……中へどうぞ」

「うん……?」


 カタコトのようなややぎこちない案内に促され、パリオネが借りた部屋の中へと入る。

 木をくり抜かれて作られた室内はかなり広く、ベッドが4つもある寝室に、キッチンを備えたリビング、ベランダにはテラスまでついていた。

 至る所に置かれた間接照明が削り取られた木の陰影を照らし出し、鱗状になった壁面は見るものを飽きさせない。手作業だとしたら途方もない労力だ。

 床には汚れひとつない生成り色の絨毯が敷き詰められていてふかふかだった。


「わぁ、ひっろーい! お部屋きれーい!!」


 歓声を上げるリメアとやや警戒するアーヴィの背後で、ドアがパタンと閉まる。

 小気味よい施錠音に振り返ると、パリオネが扉を背にへたり込んでいた。


「はぁぁぁぁぁぁ! また、やっちゃった……!!」


 両手で顔を隠し、髪色に負けないほど耳が真っ赤に染まっている。

 

「ど、どうしたの?」


 驚いたリメアが近寄ると、パリオネはしどろもどろになりながら弁解した。


「これは私の悪い癖でな……、ああいう場に直面すると、つい虚勢を張ってしまうんだ。は、恥ずかしい……!」

「ああいう場って……さっきの酒場のこと?」


 パリオネの頭がコクリと小さく動く。


「え! すっごくかっこよかったよ!」

「や、やめてくれ……! なんとかあの場から君たちを連れ出してやりたかっただけなんだ……。ほら、夜も遅いし、酒場の連中はいいやつばかりじゃないだろ……?」


 パリオネは覗き込むリメアから逃れるように顔を逸らす。

 ギルドではあんなに堂々としていた彼女が、急に小さくなっちゃった、とリメアは心のなかで思う。現に両膝を抱いてマントにくるまるパリオネは、英雄の面影を微塵も感じさせない。

 リビングテーブルへ勝手に腰を下ろしたアーヴィが、やや呆れた様子でため息を漏らした。


「はぁ、じゃあなんだ。詳しく話を聞かせてほしいってのは――」

「そうだ、あの場を切り抜けるためにでっち上げた、ただの方便だ……。期待させてしまって、すまない……」


 パリオネは消え入りそうな声でそう答えた。

 リメアはてっきりカリネを助ける手がかりになるかと思っていたので、それを聞いた時、心のなかでひどくがっかりした。

 だが助けてくれようとしたパリオネに悪いと思い、表情に出さないように努めた。

 努めたつもりだった。


 しかしリメアの視線に気がついたパリオネは、みるみるうちに青ざめ、慌てて膝立ちになると光の速さでリメアの手を取った。


「あああ、違うんだ。そんなつもりはなくて! 聞く、ちゃんと聞く! 君たちの困りごとを聞いて、全力で手伝う! 私の力が及ぶ限り! だからそんな顔をしないでくれ!」


 リメアはうまく隠したつもりでも、パリオネは容易に看破したらしい。

 そんなに顔に出てたかな、とリメアは自分の頬に手を当てる。

 一方アーヴィは卓上の皿に盛られたクラッカーを拝借しながら、眉をひそめていた。


「この英雄、ついて行って本当に大丈夫なのか……?」


 それを聞いたパリオネは見捨てられた子犬のように、絶望的な表情を浮かべた。

 リメアはなんとかその場の空気を変えようと、カリネの話を切り出す。


「パ、パリオネ! 改めてちゃんとお話するから、そんな顔しないで! その、惑星適応障害にかかっちゃったのはこの町に住んでる女の子なんだけど……!」


 ホッとしたような表情で、正座をしてリメアに向き直るパリオネ。

 リメアが熱弁を振るうと、何度も頷きながら話を聞に聞き入ってくれた。

 テーブルの上にあったクラッカーをアーヴィが食べ終える頃には、カリネにまつわる話を大方伝えきることができた。


「なるほど……。君たちはその子を救いたいんだね」

「うん! わたしじゃカリネの助けになれなかった。でもきっといいお医者さんがいれば、助けられるかなって……!」


 パリオネはしばらく逡巡した後、首を横に振った。


「いや、医者の領分じゃないと思う。遺伝治療に特化した、ナノマシンを使う薬屋が適切だ」

「薬屋……さん?」

「そうだ。このあたりには、そんな凄腕の薬屋はない。ひとつ心当たりはあるが……」


 そう言ってパリオネは表情を曇らせた。

 リメアは彼女に握られたままだった手を、もう片方の手で包み返す。


「なんでもいいの! パリオネが知ってることを教えて!」


 パリオネは照れているのか、にへらと口を緩めた後、コホンと咳払いをして説明を付け加える。


「ええと……旧王都に、凄腕の薬屋がいる。だが、かなり気難しいと有名でな。ただ金を積むだけでは、仕事を受けてくれないらしい」


 それを聞くやいなや、リメアは諸手を天井に向け、歓声を上げた。


「聞いた!? アーヴィ! カリネ、助かるかもしれないって!」

「お、おい!? 私の話を聞いていたか? 頼みづらい相手だから伝えるかどうか迷っていたんだ。訪ねても協力してくれるかどうか、わからないんだぞ!?」


 動揺するパリオネに、アーヴィは親指をぺろりと舐めつつニヤリと笑った。


「英雄さんよ、見ててわからねぇか? こいつ、走り始めたら止まらねぇぜ? 相手が頷くまで、店の前で永遠と待つタイプだ」

「そんな……! 気持ちはわかるがどうしてそこまで……? カリネという少女とは、今日出会ったばかりの関係だろう?」


 パリオネの困り眉に、リメアは堂々と胸を張った。

 もう、ちゃんと自信を持って言うことができる。


「そんなの関係ないよ! カリネ、すっごく苦しそうだったもん! もしわたしがなにかできるんだったら、なんでもするよ!」


 腰に手を当て、満面の笑みを浮かべるリメア。

 パリオネは眩しそうにこちらをじっと見つめてくる。


「……本物の英雄がいるのなら、君みたいな人が、その名にふさわしいんだろうね……」

「え? パリオネは本物の英雄じゃないの?」


 首を傾げるリメアから掴んでいた手を離し、再び膝を抱えるパリオネ。


「わ、私は気がついたら英雄になっていたんだ。ほら、冒険者ランクはレベルで決まるだろ? ある日仕事を終えて水晶に手をかざしたら……こうなっていた」


 赤い髪で顔を隠すように項垂れながら、パリオネはウジウジと床に敷かれた絨毯の端を人差し指でいじる。

 

「……締まらねぇな」

「この姿を知ってる友人からは、よく言われるよ……」

「それは誰で、何人ぐらいいるんだ?」

「旧王都ギルド受付嬢の子……だけ」


 はぁ、とため息とともにやれやれと頬杖をつくアーヴィ。

 対してリメアは、パリオネの2面性や嘘をついてまで酒場から連れ出されたことには驚いたが、発言から悪意を全く感じられなかったので、彼女を全面的に信じることにした。

 項垂れるパリオネのそばに寄り添い、手を取ってニッコリと笑う。


「じゃあ、今日からパリオネはわたしとも友達だね!」

「え……! き、きみはなんて優しい子なんだ……! そ、そうだ、客人に茶も出していなかった! 私のバカ! 好きな茶の銘柄はあるか? お菓子もたくさんあるぞ! 好きなものを言ってくれ、無ければ今から買ってくる!」

「今夜だろ。市場開いてんのか?」

「も、盲点だった……! あぁ、どうすればいい!」

「お、落ち着いてパリオネ……」


 リメアがパリオネをなだめ、なんとかその場は収まった。

 パリオネは申し訳無さそうにキッチンの戸棚からジャム付きのクラッカーを取り出し、テーブルに広げる。

 リメアは彼女に促されるまま、アーヴィの隣に座って手を合わせた。


「このジャム、すごくいい匂い! いただきます!」

「どうぞ召し上がれ。……ん? 匂い……?」


 パリオネは、はたとなにかに気がついたのか、クンクンと自分の服をかぎ始める。


「し、しまった! まだこの町について雨を浴びていなかった! こ、こここんな汗臭い格好で私はなにを……! しゃ、シャワーを浴びてくる!!」


 バタバタと慌ててバスルームへと駆け込むパリオネ。

 すかさず手に持ったクラッカーを皿に置くリメア。


「パリオネにそこまで臭くなかったよって教えてあげなきゃ!」


 ガタッと席を立ったリメアをアーヴィが制する。


「待てリメア。その言い方だと逆効果だ。おとなしく座ってろ」

「え……そうなの?」

「そういうもんだ」

「そっか……」

「君たち! ちゃんと聞こえてるからな! ああ! なんてことだ……! 今すぐ排水口の中に消えてしまいたい……」


 壁が薄いのか、バスルームからパリオネの泣きそうな声が響いてくる。


「……ほらな」

「あはは……」


 リメアは乾いた笑いをこぼしながら、クラッカーを食べきった。ジャムの甘さが1日の疲れに染み渡った。


 軽食を終えたリメアはベランダのテラスに向かう。硝子造りの扉を開けると、心地よい夜風が流れ込んでくる。

 夜空を見上げれば、薄い雲がかかった月がひとつだけ浮かんでいた。その月を取り囲むように星屑が瞬いている。

 テラスの手すりに身を乗り出し、リメアは目をつぶってエーテルの吸収を始めた。


「……うーん、この星もフェニスと同じくらい、エーテルが薄い感じするなぁ」


 暇を持て余したのか、テラスに歩いてきたアーヴィが隣で一緒に夜空を見上げる。

 月光に照らされた染め残しのはねっ毛が、金糸のようにキラキラと輝いていた。


「へぇ、そんなことも分かんのか。そりゃそうだろうな。この星もフェニスと同様、人類踏破星域の端っこだ。にしても薄く感じるってことは、逆にエーテルが濃い星にいた経験があんのか?」

「うん、わたしが前住んでた星はもっとエーテルが濃くて……あれ? なんでこんなこと忘れちゃってたんだろう……?」

「あぁ? 記憶障害か? もしくは宇宙船の長旅でボケちまったとか?」

「ううん、違うよ! でも他のことはまだ全然思い出せない……なんでだろ?」

「あれだろ、精霊にしこたまボコられてたからな。あれで思い出したんじゃねぇの?」

「えっ! わたし、フェニスにそんなやられてたの!?」

「おいおいおい、自分がどうやってフェニスを倒したのか、覚えてねぇのかよ?」

「あー……、うん、なんか、ぼんやりしてて……」


 それを聞いたアーヴィはふむ、と顎に手を当てて押し黙る。

 しばらく考え込んだ後、別の質問を投げかけてきた。


「じゃああれはどうだ。リメアのおふくろの匂いはどうなった? 近づいたか? それとも遠ざかったか?」

「え~? うーん……。ちょっと近くなったような、なってないような……。あんまりフェニスにいた時と変わらないかも……」

「なるほどな」


 アーヴィは頷いた後、大きく背伸びして手すりに寄り掛かる。


「次の星はもう少し、人類居住星域の中央寄りを目指す。エーテルが濃いってことは、きっと中央近くってことだ。だが、リメアが宇宙船に乗っている間にリメアのおふくろが星を移動している可能性も十分にありえる」

「……たしかに」

「だからフェニスでの取り決め通り、何度も星を移動しながら匂いの距離感覚を記録し、おふくろの居場所の正確な座標を割り出す。それは変わらねぇな。記憶が戻り次第また教えてくれ」

「ありがとう、アーヴィ」

「はっ、礼には及ばねぇ、パートナーさんよ。きっちりこの星でも働いてもらうぜ。俺の手足となってな」


 キシシと青白い光に照らされた悪人面で笑うアーヴィ。

 リメアはぷくっと頬を膨らませ、口を尖らせた。


「せっかくお礼言ったのに。そんな態度だったら、ちゃんと協力しないかも!」


 冗談めかしてフイとそっぽを向いたリメアだったが、アーヴィは意に介さずクックッと笑いをこらえる。


「……なにがおかしいの?」

「いや、な。リメアは気づいていないかもしれないが、もう十二分に働いてくれてるぜ。リメアのそのド直球で無謀な行動は俺には真似できねぇ。町の子供と遊ぶことから始まり、カリネをダシに英雄とまで繋がりを作っちまった。……俺にはできない芸当だ」

「えー! なにそれ、嫌な感じ! カリネはお出汁じゃないもん!」

「……なんか盛大に勘違いしてそうだが、俺は突っ込まねぇからな。ほら、そろそろパリオネが出てきそうだぜ。エーテルの補充はどんなもんだ?」

「うぅー! してやられた感! エーテルは……うーん。森で魔獣と戦った分くらいは回復したかも。でも、星を移動するってなると、全然足りないね……」


 リメアはショートボブの横髪を弄りながら、ため息をつく。


「いいじゃねぇか。まだこの星について2日目だ。やることはたくさんある。ゆっくり行こうぜ」

「……うん、わかった」


 リメアはなんだかうまく丸め込まれたようなもやもやを胸に抱えながらテラスの扉を閉め、部屋に戻る。

 そこにはバスローブに身を包んだパリオネがちょうどバスルームから出てきたところだった。

 濡れ髪が日焼けした首筋に張り付き、胸元はゆったりとはだけている。

 リメアは彼女から漂う大人の魅力に目を見張った。


「バ、バインバイングラマラスボディ……!」

「な、なんだそれは……! そんないいものじゃないぞ。軽装だと男にじろじろ見られるし、戦いの時は邪魔になるんだ……」


 パリオネは恥ずかしそうに肩を丸める。

 それが更に胸元を強調する結果につながった。

 だが同時に、頬から胸にかけての大きな傷跡も痛々しく映る。

 じっと見つめていると、視線の先にパリオネが気づく。 


「あ、ああ、これか。気にしなくていい。古い傷だ」

「そうなの? 痛かったりしない?」

「ああ。全く。英雄に傷はつきものだからな」

「そっか……」


 しばらく押し黙ってパリオネを見ていたリメアだったが、見れば見るほど湧き上がる気持ちが抑えられなくなっていく。

 とうとう耐えかねて口を開き、聞きたくて仕方がなかった質問をぶつけてみた。

 

「な、なにを食べたらそうなれるんですか……!?」

「えぇ!? えっと……、普通だと思うのだが……? 朝は果物、昼は抜くことも多いけど、野営中は肉や野菜を食べるし、豆とか芋も……」


 興味津々に頷くリメアに、パリオネはポリポリと頭を掻いた。


「……なんなら、今度ご馳走しようか?」

「えーっ! いいの!? アーヴィ! 聞いた今の! バインバイングラマラスボディの秘訣!!」

「……俺がそれ聞いてどうすんだ」

「やったぁ! 楽しみだなぁ!」

「聞いてねぇな、これ」


 その後、パリオネとリメアたちは夜遅くまで今後のことについて話をした。

 出自についてごまかすのは大きな関門だったが、アーヴィがスラスラと息をするように嘘をついてくれて、あっさりとパリオネの理解を得ることができた。

 互いに情報交換が終わり、リメアたちもシャワーを浴びてベッドに入る。

 パリオネの寝息が聞こえ始めた頃、リメアは隣のベッドに寝転ぶアーヴィへ声をかけた。


「……アーヴィ、起きてる?」

「あぁ。どうした?」

「びっくりしたよ、さっきの。わたしたちが旧王都にもともと住んでいて、遊んで荷馬車に隠れてたらこの町についちゃったなんて、どうやったら思いつくの?」

「はっ、この子供姿は都合がいい。真剣に話すふりをすりゃ、大抵の人間は信じ込む。パリオネみてぇなお人好しはなおさらだ」

「……なんか、この町の門番の人といい、騙してるみたいで申し訳ないなぁ」

「気にすんなって。お陰でパリオネが旧王都まで着いてきてくれることになったじゃねぇか。野営で食事を振る舞って貰う約束、前のめりだったじゃねぇか」

「う……、言い返せない……」

「まぁそれもカリネの件があってのことだ。俺はもう寝るぜ。明日は早ぇからな」

「あれ? 出発はお昼すぎじゃなかったっけ?」

「野暮用だ。リメアは朝飯でも食べながら待ってろ」

「……? うん、わかった……けど……」


 それからアーヴィは寝返りをうち、リメアに背を向けて静かになる。

 リメアは天井を見つめたまま、ひとり考え込んだ。

 この星のこと、カリネのこと、ギルドやレベルのこと、そしてアリシアのこと。

 気がつけばまぶたが重くなっていき、夜更け前にリメアは夢の世界に旅立った。


 

 翌朝。

 リメアが目覚めると、周囲は随分と明るくなっていた。

 カーテンが目一杯開かれており、陽の光が部屋に差し込んでいる。

 体を起こしてみると隣のベッドも、向かいにあったパリオネのベッドも空になっていた。


「……あれ?」


 随分と長く寝てしまったようだった。

 星間移動したあと、ちゃんと寝たのはこれが初めて。

 寝坊じゃない、これは必要な睡眠なの、とリメアはひとり言い訳しながら頷いた。

 ベッドを出てリビングへ行くと、テーブルの上には色とりどりのジャムが乗ったクラッカーが並んでいる。

 昨日の夜アーヴィと1度は全部食べ尽くしたことを考えると、パリオネが朝追加してくれたものに違いなかった。

 周囲を見回すも、部屋のどこからも人の気配は感じられない。

 リメアはトコトコと洗面所へ向かい、顔を洗って、寝癖が着いた髪を備え付けの櫛でとかした。

 リビングに戻る際、キッチンにポットとカップ入りのインスタントティーセットが用意されているの気が付く。

 ポットの熱湯を注ぐと、華やかな匂いがふわりと舞い、思わず頬が緩んだ。

 ルンルン気分でテーブルに座り、ひとりでいただきますをした。


 クラッカーはどれも美味しく、お茶も申し分ない。

 ただアーヴィが淹れてくれたお茶のほうがややリメアの好みだった。

 しかし直後に昨晩のアーヴィを思い出し、絶対に褒めてあげないと心に誓う。


 ちょうど食べ終わった頃。

 ベランダの方から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。慌てて口を拭きテラスに出る。

 手すりから身を乗り出して覗けば、宿のエントランス前でパリオネとアーヴィが幌付きの馬車と一緒に待っていて、こちらを見上げている。


「やっと起きたか。もう準備はできてるぜ、お姫様」

「えーっ! もう出発の時間!? うわ、ほんとだ、太陽がもう2つも昇ってる……! 起こしてよ~!」

「どんだけ揺さぶっても起きなかったのはどこのどいつだ? ずっと寝ごと言ってたぞ? わたしは土の中に住むからほっといてとか、なんとか」

「わーっ! やめてアーヴィ! 大声でそんな事言わないで!」

「……リメアの恥ずかしさの基準は分かんねぇな……」


 リメアはバタバタと室内に戻り、もう一度洗面台で髪を整える。

 跳ねた前髪がどうやっても戻らない。

 

「あっ、そうだ!」


 そう呟くと、リメアは手の中にいつしかアリシアからもらった髪留めを生成する。

 前髪を留めれば、全体がいい感じにまとまった。


「……よし!」


 リメアはポールに掛けておいたポシェットを肩に下げ、宿の部屋を後にする。

 宿のエントランスを出ると、2人はもう馬車の中で待っていた。

 近づいたところで、リメアはぎょっとする。

 ベランダから見た時は普通の馬に見えたが、よく見ると足が6本もあるのだ。

 それでも鳴き声は映画で見た馬と同じで、なんだか奇妙だった。

 そろそろと手を伸ばし馬もどきの鼻を撫でると、嬉しそうにいななく。

 足に目を向けなければ馬そのもので、初めてのふれあい体験にリメアの頬は自然と緩んだ。


「おいリメア、早くしろよ」

「あ、うん! 今行く!」


 馬もどきによろしくね、と言付けしリメアは荷馬車に飛び乗った。

 荷馬車の中は側面に2つのクッション付きの長椅子と、中央にテーブルが1つ。

 太い木の骨組みで幌は支えられており、鍋やお玉が吊り下げられている。


「よく眠れたか?」


 リメアが座ると同時に、甲冑とマントに身を包んだパリオネが片膝を立てた状態で微笑む。リメアは満面の笑みを返した。


「うん! クラッカーとお茶、ありがとう! すっごく美味しかった!」

「べ、べべ別に大したもてなしじゃない。むしろ簡素すぎて申し訳が立たない……」

「そんなことないよ!」


 リメアが励ましても、パリオネは恥ずかしそうに横髪を指先でくるくるし続けるだけだった。

 走行しているうちに御者が鞭を鳴らし、馬もどきが走り始める。

 巨大な木の根に作られた住宅街を抜け、水路が走る大通りの下り坂を走り、町の入口の大門をくぐり抜ける。

 馬車の幌に設けられた窓を開け身を乗り出せば、町はどんどん遠ざかっていった。


「待っててね、カリネ!」


 リメアは町に向かって手を振った。

 薬屋さんにお願いして病気を治す薬をもらって来るから、と心のなかで付け足して。

 進行方向に目を向ければ、街道はまっすぐ薄緑色の丘の向こうまで伸びており、草原を熱を孕んだ風が吹き抜ける。


「なんだか、ワクワクするね!」


 リメアはニコニコ笑顔で馬車の中にいる2人へ声を掛ける。

 しかし、同意の声はどれだけ待っても帰ってこなかった。


「あれ?」


 窓から出した上半身を戻し、2人の顔色を伺ってみる。

 パリオネは静かに目を閉じ、アーヴィは緊張した面持ちで腕を組んでいた。


「どしたの、ふたりとも……」


 リメアは急に不安になり、2人の顔を見比べる。

 パリオネが静かに口を開いた。


「リメア、安心して座るといい。このあたりはまだ安全だ。そしてこの先も、私がいる限りずっと安全だ。アーヴィ君ももっとリラックスしてもらって構わない」

「……お気遣いどうも」

「……?」


 リメアは2人がどうしてこんな会話をしているのかわからず、ただ首を傾げるのだった。

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