第2話 いっしょに、食べよ【フェニス第3従響星】 

 翌日。


 アリシアは膝から崩れ落ちた。


 (あぁ、私の安息の地が……)


 目尻に光る涙をよそに、クレーター&ストーンヘンジは絶賛工事進行中だった。

 ドゴッとくぐもった音とともにまた新しい窪みを作り上げたリメアは、泥で汚れた顔でにぱっと笑った。


「あっ、アリシアだ! おはよう! あ、もうお昼か。じゃあ、こんにちは!」

「ええ、こんにちは」


 無邪気な笑顔に白い歯が輝いている。

 そんな顔をされるたび、アリシアは注意すべきところをつい許してしまう。

 抗うにはあまりにも眩しすぎた。


「あのね、あのね、ここの土柔らかくて、跳躍の練習にすっっごくいいんだよ! ほら、見てて!」


 言うやいなや、リメアの姿が忽然と空間に溶けて消える。


「えっ!?」


 目をゴシゴシとこすり、周囲を見渡す。

 アリシアはリメアを完全に見失ってしまった。


「何が起きたの、――っ!?」

 

 次の瞬間、巻き上がる土埃と激しい風。

 見れば、新しいクレーターに人間の一輪挿しが出来上がっている。

 消えたと思ったら、リメアが空から降ってきたのだ。

 

「どういう、こと……?」

 困惑するアリシアの顔面に、遅れて土砂が雨のように降りかかる。


「体をふわってしたあと、ぎゅーんってジャンプするの! そしてビューンって落ちてきて、ドンって着地!」

「……もう、好きにして……」

 

 アリシアは天を仰いだ。青空が目に染みる。

 とりあえず彼女が孤児院の裏庭を使って、はた迷惑なトランポリンをしていることだけは理解できた。

 

 その後しばらく“跳躍の練習”は続いた。

 アリシアは泥を避けるためにシェルターへと避難する。

 これがこの場所の本来の使い方だわと1人苦笑し、ひんやりとした床に腰を落とした。

 窓の向こうから、リメアの笑い声が聞こえてきて、室内に反響する。

 青空と新緑、めくれた黒土のコントラストが扉の向こうに見えた。

 人工的なシェルターの室内と比べれば、まるで別世界のようだった。

 

 膝を抱くとスカートの裾が上がり、隠していた太腿の痣が鏡面の床に映り込む。

 紫苑の瞳がわずかに曇った。


 深いため息をついた後、静かにスカートを下ろし栗色の髪を後ろの壁に傾ける。

 コツン、と硬い金属が頭の後ろで音を鳴らした。


「私、何やってんだろ」

 

 誰に言うでもなく、こぼれ落ちた独り言。

 抱えた両膝に額を押し付け、まぶたを閉じる。

 急に疲労感がどっと押し寄せてきて、アリシアは眉間に皺を寄せたまま、意識を手放した。


 

 「――アリシア、終わったよ!」

 

 息を切らした明るい声が反響する。

 開け放たれたシェルターの扉から青草の香りと、夏虫の鳴き声が流れ込んできた。


「ぅ……ん。お疲れさま……?」


 いつの間にか、うたた寝をしてしまっていたらしい。

 眠気眼でやや霞んだ視界の先には、赤く燃え盛る斜陽に照らされた少女の横顔があった。

 翡翠の瞳が激しく揺れている。

 

「アリシア……? 泣いてるの?」


 ハッと反射的に手を頬に当てると、確かに濡れたあとがあった。


「えっと、これはね。うーん、怖い夢でも見たのかしら。気にしないで。起きたら忘れちゃったわ」


 心配そうに覗き込んでいた顔に大丈夫よ、と頬を緩め立ち上がる。

 すると孤児院服のポケットから四角い袋がシェルターの床にこぼれ落ちた。

 

 コーン、と硬い音が金属に反響する。


「……? それなあに?」

「ああ、これはね」

 

 拾い上げた包みを、アリシアは手を止めじっと眺める。

 粗悪な紙に配給日の印が掠れて読み取れる。日付は今日のものだった。


 「?」


 首を傾げるリメア。


「そ、そうだリメア。ここに来て、結構時間経ったでしょ? そろそろお腹、空いてるんじゃない?」


 パッと包みを後手に回し、シェルターの壁を背により掛かる。

 湿気をはらんだ熱気が室内に充満していて、少し、蒸す。

 遊んでいた方の指先は、壁のゴツゴツした銀色の溶接痕を意味もなく撫でてみた。

 視線は特に定めておらず、床に落ちた葉や、静まり返った計器類の間を行ったり来たりする。


「うーん、そんなにすぐ、お腹空かないかも……」


 返答は期待していた反応と、真逆のものだった。

 思わずリメアの顔を見れば、泥がついたままの眉間に少し困ったようなしわが寄せられている。


「えっと、もう丸一日経ってるのよ? もしかしてリメア、なにか拾って食べたりしてないわよね?」

「そ、そんなことしないよ」


 思わず壁から背中が浮く。


「お水は? 沢はちょっと離れたところにあるけど、場所知らないでしょ? 喉カラカラなんじゃない?」


 リメアはふるふると首を振った。


「え、遠慮なんてしなくていいのよ、だって私達――」

「わたしたち?」


 聞き返されて、一瞬、固まった。

 虫の声がやけに大きく聞こえた気がした。


 淀んだ空気を振り払うように、アリシアは誤魔化し笑いでその場をしのぐ。


「ほ、ほら、私達、共犯じゃない? だから、お互い秘密を守る者同士、協力しないと」


 人差し指を立てずいっと迫れば、リメアの顔がみるみる青ざめていく。


「共犯って、一緒に悪いことするってことだよね? わたしとアリシア、もしかしてなにか悪いことしたの……?」

「えっと……」


 言葉に詰まったアリシアはわずかな時間逡巡し、コホン、と咳払いをした後、すらすらと罪状を連ね始める。


「そうねぇ、やっぱり、該当するとしたらフェニス土地管理規則第274条ね。何人たりとも、他社が所有する土地において破壊行為を行うことなかれ。あとは、基幹規則の83、犯罪者およびこれに準ずるものを秘匿およびかくまうことなかれ、かな?」


「…………あっ」

 

 思い当たるフシがあったのか、少女はバツが悪そうにエヘヘとおどけて見せた。

 

「ん~?」

 

 アリシアが顔を近づけると、黒髪の少女は目を泳がせながら半歩後ろに下がる。


「孤児院の庭を、こーんなに荒らしたのは、誰かなー?」

「や、やめてよアリシア~」

「誰かな~?」


 アリシアはぶら下げていた包みを無造作にポケットへ突っ込むと、その手でぷっくりした幼い頬に人差し指を突き立てる。

 つんつんとつつけば、耐えかねた犯人は自らの過ちを認めた。


「ご、ごめんなさい……」

「いいのよ、ちゃんと謝れてえらいえらい」


 ゴシゴシと頭を撫でると土の匂いと一緒に、かすかにお日様の香りがした。


「うぅ、後でもとに戻すから……」


 アリシアは口に手を当てわざとらしく驚いてみせる。


「あら、私は庭のこと、別に気にしてないわよ?」

「え? でも……?」


 あわあわと混乱するリメア。

 焦る姿をずっと眺めていたかったが、とうとう我慢できなくなってアリシアは吹き出した。


「アハハッ、冗談よ、リメア! この庭も土地も、全部私のものじゃないんだもの。施設の大人たちはこの辺の庭に穴がいくつ増えようと、気になんてしないわ。フフフッ」

「あーっ! アリシア、わたしを怖がらせて遊んだなー!」

「ごめんなさい、リメアが本気にするから、つい」

「ほんとに怖かったんだから! もうっ!」


 ぷんすか怒るリメアは頬を膨らませる。

 くるりとアリシアに背を向けてずかずかと歩き、シャッターの降りた窓枠に突っ伏した。


「フフフッ、リメアってば……」

 

 疑うことを知らないんだから、と続けようとして、即座に言葉を飲み込んだ。


 暗がりの中で、縮こまった少女の肩が、小刻みに震えていた。

 ぞっ、と罪悪感がアリシアの背中を駆け上がる。


 純粋なリメアがあまりに可愛らしくて、いじらしくて。

 いじめすぎてしまったのかもしれない。


 アリシアの胸の奥から止めどなく湧き上がっていた何かが、急速に冷やされ小さくなっていく。


「リメア……。ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ……」


 恐る恐る歩を進め、リメアの背中に手を伸ばす。

 小さく、丸くなってしまった肩に指先がつん、と触れたその瞬間。

 サラサラと流れるような黒髪が、振り向くと同時に逆さまにした傘のように広がった。


 「へへへっ、アリシアも騙されたー! やーいやーい!」


 目を丸くしたアリシアの脇を、ケラケラと笑いながらシェルターから飛び出していくリメア。



「悔しかったらここまでおいでー!」


 外でぴょんぴょん跳ねている少女に、アリシアは呆気にとられた。

 してやられたと気づいた暁には、半開きで固まっていた口が徐々に三日月へと変わっていく。


 「リ~メ~ア~~!!」

 

 シェルターの扉を音を立てて押し開き、アリシアは夕日に染まる草原に飛び出した。勢いそのままに、全力疾走でリメアを追いかける。


「わはっ、本気で怒ったアリシアが来た! 逃げろ逃げろ~」


 両手を振りかざし、アリシアは大股でずんずん接近していく。

 小憎たらしいいたずらっ子を逃がすものですか、と心のなかで笑いながら。


「待たんかい、このチビスケが! とっ捕まえて食ってやろうか!!」

「え、何!? 普通に怖いんだけど!」

「ふはははははっ! あははっ、あははははっ、――あっ!」


 笑いながら走っていると、リメアが作ったクレーターに足を取られてバランスを崩してしまった。

 その先にあったのは、更にもう一段と深いクレーター。


 夕暮れ時の草原はまさに落とし穴の地雷原。

 中にごろごろと転がり落ちれば、巻き上げた土埃が容赦なく降ってきた。


 大きく開いた足の間から逆さまになった空が見える。

 人工太陽の環状軌道線がオレンジ色に染まった雲の向こうで、キラキラと輝いていた。

 やけに深い穴を掘ったものね、と悪態をつきかけ、ストーンヘンジを思い出し合点がいく。

 

 穴の底からあんな岩を掘り出せば、こうなることは自明。

 3メートルを超える深さの穴は、大人だと確実に怪我をしていただろう。

 

 顔に乗った砂を振り払いもう一度見上げると、ピョコリ、と穴の縁から2つの瞳が覗いていた。


「……」

「……」


 みょんみょん、と頭上で左右に揺れる触覚のような黒髪。

 耳をすませば、むふーっ、むふーっ、と殺しきれていない鼻息の音が聞こえてくる。


「「ぷっ」」


 我慢していた面白さが一気に溢れ、息が止まるくらい、2人で思いっきり笑った。

 こんなに笑ったのはきっと生まれて初めてだと、アリシアは思った。


「あは、あははは……、もう、ちょっとリメア。笑い転げてないで、そろそろ助けてよぉ」

「いひひ、うん、わかった。わかった……けど、アリシアの格好が、ちょっと、おかしすぎて……ダメ、力が入んない」


 差し出された手から力が一気に抜けていく。


「え、やだ、今このタイミングで手を離さないで! ああっ! もうっ!」


 掴んでいた手がするりと抜け、アリシアは再び穴の中で転がった。


「ぐぇ」

 

 情けない声が出て、さっきよりも更にアクロバットな体勢に。

 再び穴の縁に飛び出した顔と目があって、互いの腹筋はいとも容易く崩壊する。


 そんな中ポケットにしまっていた四角い包みが、アリシアの顔のそばに転がった。


「……」


 薄灰色の包み紙は黒土のクレーターの上で、やけにはっきりと輪郭が浮かび上がって見えた。

 なんとか起き上がって服をはたき、小包を拾い上げる。


 アリシアは、もう笑っていなかった。

 穴が静まり返ったことにリメアも気づき、ぴょんとジャンプしてクレーターの底まで滑り降りてくる。


「どしたの?」


 アリシアは無言のまま、小包を見つめ続ける。

 その紫苑の瞳には、確かな迷いの色が、浮かんでいた。

 

 いよいよ日が傾き、穴の底は影に沈む。

 互いの表情さえ、近づいて目を凝らさなければよく見えない。


 自分の息遣いが、やけに大きく聞こえる。


 包みを持つアリシアの手に、じわり、と汗が滲んだ。

 外界の音が、急に遠ざかったように感じた。

 

 言うなら、今しかない。

 そう、思った。


「あのさ、リメア」

「うん」


 

「私達ってさ」

「うん」


 

 乾燥した口の中で、ありもしない唾を、ごくりと飲み込む。


 

 頬が、

 

 熱い。

 


 

「私達って――もう、友だち、だよね……?」



 

 必死に平静を装っていたはずなのに。

 たったこれだけの、台詞なのに。

 

 どうしてだろう。


 胸の奥が、シクシクと震える。

 

 自信なさ気な声が、クレーターの中でやけに反響した。

 情けなさと期待と、恥ずかしさと恐怖が。

 アリシアの心臓がゆっくりと胸を打つたび、代わる代わる顔を出す。


 薄闇の中では互いの小さな息遣いだけが、相手の存在を肯定していた。

 もしもそれすらなかったら。

 眼の前にいる少女は幻で。

 最初から自分はこの穴の中で一人ぼっちだったのだと、錯覚してしまったかもしれない。

 

 そんな妄執をアリシアは振り払おうと目を瞑るが、クレーターの中よりも深い闇に気が付き、すぐに目を開けた。

 それほど長い静寂が、2人の間に横たわっていた。


 そして同時に、それが少しだけ心地いいと、感じてしまう自分をアリシアは嫌悪したのだった。


 すぅ、と空気が流れる音に、耳が鋭く反応する。

 見えないことをいいことに、アリシアは祈るように手を強く握りしめた。

 息は、とうに殺している。





 

「……………………うん」





 小さな。

 とても小さな、声が聞こえた。

 アリシアは苦しくなった肺が酸素を求めているにも関わらず。

 あえてゆっくりと空気を吸い込み、痙攣を、ひた隠す。


「じゃあ、ね。お願いが、あるの」


「……うん」



「私ね、今日、お昼から、ずっと何も食べてなくて」

「うん」



「リメアはさ、お腹、空いてないかもしれないけど」

「うん」



 

「私は……お腹、ぺこぺこなの。だからっ――」



 その先を。


 その続きを、言おうとしているのに。


 

 唇が、


 歯が、


 喉が。


 

 まるで拒んでいるかのように小さく暴れ、抵抗している。

 あと少し。

 あと一歩、あと一言が、どうしても出てこない。

 透明な壁が音のない圧力をもって、行く手を阻んでいる。

 こらえていたはずの熱が、アリシアの瞼から溢れた。


 涙が、冷え切った頬を滑り落ちる。


 悔しさの、涙だった。






 

 

 

「いっしょに、食べよ?」



 

 リメアの鈴のような声が、抜け殻のようになっていた体を貫いた。


 

 「うん……、うんっ!」

 

 小さく何度も、確かめるように首を縦に振る。

 今の顔は、誰にも見せたくないと、アリシアは思った。


 ぶるぶると震える手で、包みのテープに爪をかける。

 開け慣れたはずの小包を、いつもより丁寧に開いていく。


 中から出てきたのは、白褐色の固形携帯食。

 中央に溝が掘ってあり、二食に分けることができるようになっていた。

 その両端に指を添え、力を込める。



 

 パキンッ――。



 

 甲高い音が、夕焼け空に吸い込まれていった。


 音の余韻が耳のなかで優しくこだまする。


 少しの間ぼうっとしていたアリシアは、戻ってきた虫たちの鳴き声で我に返った。

 携帯食の片割れを、手探りでリメアの方へと差し出す。


「いてっ」


 距離感を図り間違えて、先端がリメアのおでこに突き刺さった。


「ご、ごめん」


 慌てて引こうとした手首が、柔らかい手のひらに捕まった。


 「いいよ、ビックリしただけ」


 持っていた携帯食の半分は相手の掌に渡り、すべるように自分の手から失われた。

 戻した手で半分になった携帯食の断面を静かになぞる。


「これ、味しなくない?」


 予告なくボリボリと大きな音が穴の中で響きだす。

 

「うん、そう。そうなのよ」


 アリシアも追いかけるように携帯食を口に頬張った。


「宇宙船の内壁のほうが、まだ味すると思うんだけど」

「たひかに、ひょうひゃもねぇ」


 アリシアは舌で携帯食の角を転がした。

 そもそもこの携帯食は、リメアのように噛み砕くことを想定して作られていない。

 口の中の水分を染み込ませ、少しづつ削りながら食べるものだ。


「だみだ、半分まで行ったけど、味がする気配ないよ~」


 リメアの泣き言を聞きながら、アリシアは思った。

 今日の携帯食は、いつもよりほんの少しだけ、味がする、と。


 そのまま2人は孤児院の鐘が聞こえてくるまで、味のしない携帯食を咀嚼し続けたのだった。

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