物語の否定としての小説(なぜ物語は危険であるとされたのか?)
紅葉に燃える景色
物語の否定としての小説
アジア太平洋戦争で日本が負けた終戦後、長く続いた戦後民主主義の時代、その初期である一九六〇年代には「スターリン主義」という言葉は意味を喪失しているとしか思えないほど雑に使われていた。
過去、スターリンという言葉は日本の敵国だったソ連と中国という言葉と深く結びついていた。彼は絶対に民主主義者ではなくて、社会主義と自由を裏切った独裁者であり、第二次世界大戦で大日本帝国の敵だったロシア人と中国人を象徴するような人物だった。
正確には、スターリンという言葉は社会主義、あるいは共産主義や科学崇拝を意味していた訳ではない。更に言うならば、スターリンという言葉は人名すら意味していなかった。
一九一七年、ドイツ帝国とロシア帝国が崩壊して、前者は社会主義国家であるワイマール共和国となり、後者は共産主義国家であるソビエト社会主義共和国連邦となった。ワイマール共和国とソビエト連邦の誕生は、宗教の終焉と科学の時代の到来を意味していた。
しかし、国家社会主義、ナチス・ドイツの誕生によりワイマール共和国は消滅してしまった。
大日本帝国とナチス・ドイツは同盟を結び、米国とソ連と戦争して敗北した。
しかし、米国とソ連の間で冷戦が始まったので、日本では世界大戦の意識は続いたのである。
一九五三年、スターリンは死んだ。
スターリンの死後から始まった学生運動は、反スターリン主義、すなわち反露反中を理念に展開されていた。
ソ連の指導者であるスターリンが何を為して、どのような人物だったのかは解らなくても、誰もがスターリンという言葉の意味を知っていた。彼は独裁者であり、権威主義であり、民主主義の敵だった。
ロシアと中国はスターリンの影響下にある危険な国であり、民主主義の敵であり、日本の平和を脅かす戦うべき相手だった。
反アジア主義。
ロシアと中国を民主主義と自由の敵であると論じて活動している者達は、日本では極左と呼ばれていた。過激派となり、彼等は自分達が考える「好ましくない考えや行い」に対して、スターリン主義、スターリン的などと表現する傾向があった。以上の点で、スターリン、あるいはスターリン主義という言葉は強い意味を持っていたのである。
スターリンとは民主主義を愛する者の敵であり、左翼は民主主義を守るためにロシアと中国を否定しなくてはならなかった。
反スターリン主義とはロシアと中国とは手を切るという意思表明であり、そして発言者の立場を明確に示す言葉であると言えた。
言葉は情報の伝達だけが機能なのではない。
スターリン主義、そして反スターリン主義は歴史と立場を表している。
反スターリン主義とは歴史としては冷戦を、立場としては民主主義者を意味していた。同じように、言葉は、言葉では表現できない何かを含んでいる場合が普通である。
劣等人種、スターリン主義、権威主義は、ただ日本の敵としてのロシアと中国を指していただけではない。これら言葉は百年以上も日本人の意識を中心を占めていて、しかも同じ対象を指している。
それだけではない。同じ意味で同じ敵意であるのにもかかわらず、新しい言葉が前の古い言葉とは異なる意味であるかのように使われてきたのである。
現在、中国人を劣等人種と罵倒する日本人など存在しない。スターリン主義者という言葉も使われない。
しかし、中国を権威主義と呼ぶ者はいるし、また民主主義と自由に敵対する悪の勢力だと思っている者もいるだろう。
同時に、劣等人種、スターリン主義者、権威主義に対応している自己を指す言葉も存在していて、それらの言葉は百年の間に変化している。劣等人種には帝国臣民、スターリン主義には自由民主主義、権威主義にはリベラルあるいは保守である。
帝国臣民、自由民主主義、リベラルと保守は思想や立場というよりは日本人という集団を指していた。
スターリンとは、ただ日本の敵を意味する言葉なのである。
文章は、そして言葉により生まれる物語は、内容と形式だけではなくて、内容と形式を越える何かを示している。
それは倫理であり、あるいは文学である。
明治維新から第二次世界大戦までは言語、そして文学の問題は簡単だった。恐れずに言えば、春秋戦国時代が終わり漢により儒教の正典が整えられて、日本に伝わった瞬間から言語と文学の問題は解答が定まったのだと言える。
儒教では仁、知、勇の徳があり、悪とは徳が欠けている者を意味していた。此の意識は明治維新以降も変化はなく、徳の内容が西洋で洗練された民主主義と自由、すなわち人権に変わっただけだった。
世界は単純だった。徳がある者と徳が欠けた者が存在しているだけだった。物語が主人公が自らの欠点を克服している過程であるのと同様に、日本の歴史とは日本人が自らの欠点を克服していく過程である。
日本では聖徳太子は英雄だった。
建国の父として扱われたが、なぜならば聖徳太子は古い勢力を一掃するのに力を尽くしたからである。古墳時代では仏教と神道が対立していて、聖徳太子は蘇我氏と共に「神道を信じている劣った野蛮人」である物部氏を打倒した。後継者である天武天皇は中華思想家として日本を国号にして国を建てた。
日本とは儒教と仏教が神道を征服する物語だった。
古墳時代の倭、聖徳太子以前の日本は徳が欠けている野人の世界だった。
聖徳太子と天智天皇により日本は徳の欠如から救済された。
明治維新以降、儒教と仏教が民主主義と自然科学に変わっただけで、何一つとして文学は変化しなかった。文学とは真空を徳で埋める物語だった。憲法十七条から養老律令、大日本帝国憲法に変化したが、結局、憲法とは日本人が未来に実現する理想であり、現実とは理想に至る不完全な世界なのである。
克己服礼。日本人とは理想を求めて欠点を克服する存在である。だからこそ、戦前、伝統を大切にしていた中国人、キリスト教以前の古い宗教を信じているユダヤ人は理解できない獣に見えたのである。
物語とは正解が過去ではなく未来にある形式である。
憲法とは未来に存在する真実の日本である。古い思想は悪の思想であり、伝統とは倫理が欠落している悪人の病気だった。そして、独国のヒトラーが伝統に執着する者が存在するのは何故なのかに関する理論を提供した。
彼等は猿の遺伝子が強いために理想ではなくて習慣に支配されるのだと。
伝統主義は思想ではなく遺伝子であり、保守とは人間より猿に近い人類とは別の人種なのだと。
ヒトラーは人類を猿の遺伝子から救済するために戦争を始めた。そして、大日本帝国もヒトラーと共に戦った。結果、戦争に負けて、独国と日本は自分達が野蛮であると証明してしまったのである。
しかし、劣等人種説を誤りと認めた独国と比べて、日本においては反省は限定的だったと思われる。
奈良時代に口語は漢文で書き換えられて、儒教と仏教に基づいた古文が創造された。結果、言語と倫理は一つとなり、言語と倫理、文学は区別できなくなった。平家物語は仏教の言語で書かれて、仏教の倫理が追及されて、そして文学とは仏教だった。
明治維新以降、古文は、西洋の思想と科学を表現するための道具として現代文に改造された。
言語と倫理の一致は続いて、正しい倫理のために正しい日本語を学ぶ意識は戦後も変わらずに続いていた。
終戦後、欧米では欠如という思想、物語という形式そのものが問題とされた。定義から物語とは理想郷、共産世界の実現を前提としている点で人種差別に至る危険が高いからである。
人類の発展に貢献する意志が欠けているだけではなくて、発展の妨害を信念にすらしている宗教と保守を憎む態度こそが民族浄化という悲劇を引き起こしたと論じられた。
しかし、日本では物語の否定は純文学に特有の特殊な技法と考えられた。
結局、戦後の日本は伝統や宗教に依存する者を劣等人種だと断定して、そして彼等を飼育しようとした事ではなくて、自分達が神道という宗教に依存していた劣等人種であった事を後悔していたのである。
伝統に執着する中国人やロシア人、朝鮮人を劣等人種として認識した間違いよりも、自分達が彼等以上に劣等だった事実を悔い改めて、民主主義と基本的人権、平和主義を理念に掲げて「人間に復帰」したのだった。
事実、戦後の日本人による神道に対する罵倒の数々を見る限りは、終戦により、日本人の劣等人種説を信じる精神は強化されたかのように思える。神道から日本を解放した英雄が聖徳太子から昭和天皇に変わっただけだった。
戦前の日本人は弁解の余地がないほど猿だったが、しかし天皇陛下と日本国憲法により救われて人間になったのである。
スターリン主義(西洋では一神教宗教者による反革命暴力集団)という劣等を意味する言葉は戦後も残り続けて、ソ連は遅れている点が問題であり、自由主義に進む意欲がない点で倫理が欠落していると思われていた。
社会主義とは封建制であり、中世暗黒時代の宗教国家に過ぎなかった。実際、科学を称えて宗教を攻撃していた共産党は、日本では宗教だと疑われている。
学生運動の極左はスターリン主義を保守として扱った点で大日本帝国の帝国臣民の典型だった。
物語の構造が普遍であり、伝統と保守とは淘汰されるべき猿であるが真実ならば、文学は生まれなかっただろう。
主人公は成長して欠点を克服する。
言語とは歴史が凝縮した倫理により構成されていて、物語は理想の実現を表現しており、現実とは理想の実現されていない不完全な世界であると考えるのであれば、文学は必要なく、ただ倫理学が存在しているだけで十分である。
しかし、保守や伝統主義者が市民権を得る時代になると、私達は物語の構造や言語を警戒する必要が出てくる。
意識が物語の構造に支配されている限り文明化された人間は伝統に依存する者に敵意を抱く。
物語の典型構造が「旧勢力による戦争の始まりから理想の人物による平和の実現」である以上は、憲法九条が実現できない現実を嘆くのではなくて、喜々として否定する者を見ると、相手が豚であり倫理が欠落した犯罪者予備軍にしか見えないだろう。
だから物語は問題だったのである。
第二次世界大戦とは保守は猿で人類の敵だと断じたドイツ人と日本人による虐殺と侵略だった。
日本はアジアを未開から解放しようと侵略を続けた。だから、第二次世界大戦以降は物語の否定が常識となったのである。
物語の否定としての小説(なぜ物語は危険であるとされたのか?) 紅葉に燃える景色 @sinnihon
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