「二人だけの精霊世界」

「……ここが、“精霊の門”?」




王都南部、古の神殿跡に広がる禁域。その奥にぽっかりと開かれた空間の裂け目は、まるで空間そのものが悲鳴をあげているようだった。




紫紺の靄が渦を巻き、周囲の空気さえ凍てつくような静けさが漂っていた。




「空間が……歪んでる……」




セリアが不安そうにわたくしの袖を握る。




「精霊界との“回廊”が断裂寸前だ。中に入れば、戻って来られる保証はない」




ルーファスの声は静かだったが、剣を構えるその手にはわずかな緊張が走っている。




「でも、行くのでしょう? リディア」




「ええ。わたくしが、精霊契約者としてすべきことがあるのなら」




わたくしは真っ直ぐ前を向く。




この先にあるのは、見たこともない“異世界”。


だが、恐れるよりも、確かめたい。




“あの声”が途絶えた理由を。


“精霊たち”に、何が起きているのかを。




「……わたしも、行く!」




セリアが手を挙げた。迷いのない瞳。


彼女の隣にいると、世界がほんの少し明るく見える。




「……俺も同行する。お前らだけを放り込むわけにはいかない」




「ルーファス……」




頼もしい言葉に、わたくしは微笑む。


三人でなら、越えられる。どんな扉でも。




その瞬間だった。




――ズン、と地面が震え、目の前の空間が“叫んだ”。




「来るわ……!」




空間の歪みから、三つの“精霊の試練”が姿を現した。




それはかつての精霊たちの姿を模した幻影。


白銀の狼、緋色の鳥、そして黒き鏡の乙女。




「これは……?」




「精霊世界へ入る前に“心の在り方”を問われるのか」




ルーファスが剣を抜き放ち、構える。




だが、これは力で打ち破るものではなかった。




「心を試す……なら、“答える”しかないわ」




わたくしは一歩、幻影に近づいた。




白銀の狼が、わたくしを睨みつける。




――『お前は、誰のために戦う?』




「わたくしは……誰かのために強くなりたい。けれど、それだけじゃない」




目を閉じて、胸の奥にある言葉を拾い上げる。




「わたくしは、わたくしのために……もう一度、笑って生きるために戦うのよ」




幻影の狼が吠え、霧となって消えた。




次に、緋色の鳥がルーファスに向かう。




――『後悔を捨てられるか? 許されると思うのか?』




「……そんなもの、捨てられないさ」




彼は剣を下ろした。




「俺はリディアを裏切った。今も、許されているとは思っていない。でも、それでも――」




その瞳が、わたくしを真っ直ぐに見つめる。




「……もう一度、信じてもらいたい。だから、隣に立つ」




鳥の幻影が羽ばたき、風に溶けていった。




最後に、黒き鏡の乙女が、セリアの前に立つ。




――『自分を見失わずにいられるか? 誰かの光になれるか?』




セリアは一瞬、躊躇した。だが、微笑んで頷いた。




「……リディアが、わたしの道しるべなの。彼女が歩く限り、わたしも歩ける」




「……それが甘えでも、いい。リディアがいるなら、わたしは光になれるから」




――ピシィン。




精霊の幻影が砕け、空間の扉が開いた。




「これが……精霊世界の入口……!」




その瞬間、風が巻き上がり、三人の身体が光に包まれ――




――ズン!




「リディア……セリアっ!? ……くそ、はじかれた……!」




ルーファスの声が、遠ざかっていった。




「ルーファス……!? 待って、手を……っ!」




だが、わたくしたちの手は届かず――




――白い世界が、すべてを包んだ。




* * *




「…………っ、ここは……?」




まぶしい光に包まれたあと、気がつくと、わたくしは真っ白な花畑に立っていた。




まるで夢の中のように幻想的な空間。天と地の境も曖昧で、空には七色の光がゆらめいている。




「リディア……!」




すぐそばで、セリアの声がした。




「良かった……一緒だね」




「……ええ。でも、ルーファスは……」




「きっと外で待っててくれてる。わたしたちが“ここ”でやるべきことが終わるまで」




そう言って、セリアが手を伸ばしてくる。




「……ねぇ、リディア。ここ……わたし、知ってる気がするの」




「知ってる?」




「うん。たぶん……夢の中で、何度も来た。誰かが、わたしを呼んでた。――“リディア”って名前で」




その言葉に、わたくしは息を呑んだ。




「セリア……まさか、あなた……」




「うん。わたしも“前世”の記憶があるの。ほんの少し、だけど。リディアの声、ずっと、聞こえてたんだよ」




「……前世で、わたくしたち……知り合いだったの?」




「たぶん……すごく、すごく近くにいた。たぶん、家族よりも近くに」




(……じゃあ、あなたは)




「……セリア、あなたが今、隣にいてくれて……よかったわ」




「わたしも……リディアとここに来られて、嬉しいよ」




二人の手が重なる。




その瞬間、精霊の風が吹いた。どこかから、呼び声が聞こえる。




『来い、魂の継承者よ。精霊王の試練が、始まる』




わたくしたちは顔を見合わせ、小さくうなずいた。




「行きましょう。――この先に、“わたくしたちの心”が待ってる」




精霊界の奥へ、二人の少女は歩き出した。

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