エピローグ  わたくしの手は、誰かのためにあるのなら

王都に広がった“紅き光”と“七彩の羽”は、いまや“伝説”として語られている。


だがそれは、わたくしの中に残った記憶と、まったく同じものではなかった。




あの日――




魔族の“真なる王”は、確かに目覚めた。




瘴気ではない。炎でも、呪いでもない。


あれは、人の“心”に直接入り込み、信仰を歪ませる存在。




「なぜ、涙を流しているの?」




「……どうして、あなたはその冠をかぶるの?」




王都の人々は、ほんのわずかのあいだ――その“問い”に答えられなかった。




その“隙”こそが、魔王の力。




わたくしは、確かに力を解き、封を閉じ、王都を守った。


けれど、魔王が残した“囁き”は、まだ人々の耳に、心に、爪を立てていた。







「……やっぱり、明るすぎるわね」




祭りの後のような静けさが、王都を包んでいた。


街は笑顔で彩られているのに、どこかで冷たい風が吹いている気がする。




リディア・アルヴェイン。


悪役令嬢だったはずの少女が、精霊の冠を戴いた“精霊の花嫁”として知られるようになった。




けれど――




「……ねえ、リディア。苦しくはないの?」




静かに寄り添ってきたのは、フィーネ。


虹の髪をたなびかせ、まるで風そのもののように、優しく佇んでいた。




「……苦しくなんてありませんわ。今のわたくしは、“誰かを救えた”ことに、確かに誇りを持っています」




「でも、あなたの瞳には、まだ“問い”が映ってる」




「問い……?」




「“誰かのために在る”ってことは、誰かの“手段”になる可能性も孕む。


あなたの優しさは、時に刃になるわ」




「……それでも。わたくしは、“選びます”。この手で、誰かを守る未来を」




ふっと、フィーネの目が細められる。


それは、祝福と不安の混ざった、大精霊としてのまなざし。




「なら、あなたはもっと強くなる必要がある。


“彼”は――まだ終わっていない」




「……“彼”?」




「“王”として名乗りを上げた、魔族の主。


彼の目覚めは、不完全だった。


でもそれだけに、“不安定なまま拡がる”の。人々の不安や、嘆き、疑い――そうした心の隙間から」




「……っ」




思わず、手に力が入る。




まだ終わってなどいない。


これは“始まり”だったのだ。







「リディア」




その声に振り返ると、ルーファスがいた。


訓練服に着替え、剣を背負った姿は、いつにも増して頼もしく映る。




「……王都の見回りを?」




「いや……お前の顔が見たくなっただけだ」




「……なにを、さらっと……!」




「言っておく。俺は、決めたからな」




「……なにを、ですの?」




「これからの人生、ずっとお前の傍にいると」




(……!)




「騎士としてでもいい。男としてでもいい。……お前が望む形で構わない」




「…………」




返事が、すぐにできなかった。




(……そんな真っ直ぐな目で言われたら、わたくし……)




「……手、貸してくださる?」




「……ああ」




ルーファスの手が、わたくしの手に重なる。




いつか、誰かに握られたかった手。




拒絶され、裏切られ、孤独に震えていたあの頃――


わたくしは“ただ温もりを知りたかった”だけだったのかもしれない。




でも今は、違う。




「この手は、誰かのためにあるのなら――」




「……あなたと、歩むために使いますわ」




小さな囁きに、彼の手がきゅっと強くなる。




そして、もう一人。




「ねえねえ、あたしは!? リディア、今日も大好きよ~~~!!」




「……セリア、少し黙っていなさい」




(……でも、あなたがいてくれて、本当に良かったと思ってるわ)




わたくしたちは、三人で歩き出す。


――まだ続く、この“運命という物語”の先へ。







夜空の下、王宮の塔にて。


誰もいないはずの聖堂の奥、封印の間で、一つの石が震えた。




“選ばれし冠”の波動に応じて、


“古き神々の門”がわずかに開いたのだ。




そこに潜むは、精霊すら知らぬ――“神域の禁忌”。




それが次に牙を剥くとき、リディアの歩む道は、再び“愛”と“信仰”を試されることとなる。




でも今はまだ、知らなくていい。




なぜなら――少女は今、確かに“愛される光”の中にいたのだから。

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