祈りのティアラ

「リディアーーっ!!」




結界の外から響いた、叫ぶような声。


その声を聞いた瞬間、わたくしの胸に押し寄せたのは、涙に似た熱だった。




裂けた空間の向こうから駆けてきたのは、


薄紅の髪を揺らす聖女――セリア。




「遅れてごめんっ……! でも、もう一人になんて、させないから!」




「セリア……!」




わたくしの元へたどり着くなり、セリアは勢いのまま、抱きついてきた。


華奢な腕、震える指先。


嗚咽混じりの声で「無事でよかった」と何度も繰り返す彼女に、


心の奥にこびりついていた冷たい影が、すっと溶けていくのがわかった。




その後ろから、ルーファスも現れた。


剣に血が滲み、鎧には焦げ跡。


それでも彼は、一歩一歩、真っ直ぐにこちらへと歩いてきた。




「……無事でよかった。……間に合って、本当によかった」




「ルーファス……あなたまで……」




「君の側にいると、なぜか必ず戦場にいる。けれど……それでも、今の俺は、ここにいたいと願っている」




そう言って、彼は差し出した手で、そっとわたくしの指を握った。




――温かい。けれど、不器用で、どこかぎこちない。




そのぎこちなさが、かえって胸に響く。




「行きましょう、皆さん。……この手に、希望を抱いたまま」







王都は今、世界中の注目を集めていた。


《精霊冠せいれいかん》の儀式。


それは、かつて神と精霊が契りを交わしたとされる古の儀式であり、


新たなる加護の象徴として、“精霊の花嫁”にだけ戴かれる栄誉だった。




そして今、わたくし――リディア・アルヴェインが、その祭壇に立っている。




「紅霞こうかの瞳、アルヴェイン公爵家の元令嬢、精霊騎士リディア。


あなたはこの冠を戴くにふさわしいと、我ら精霊は認めましょうか?」




祭司が問う。




その声が空へ消えぬうちに、


フィーネの七色の羽がひときわ鮮やかに煌めいた。




『ふふん、もちろん! この子ほど、誰かのために泣ける子、いないよ!』




「……ありがとう、フィーネ」




わたくしはそっと頷き、まっすぐ壇の中央に進んだ。


王侯貴族たちが見守る中、


わたくしの目は――ただひとつ。空の高みに浮かぶ“冠”を見つめていた。




風がそよぎ、炎が灯り、水が舞い、土が揺れる。


四大精霊の加護が、わたくしの背に羽を描いていく。




“あなたの祈りは、誰のためですか?”




(誰かの涙を、ひとつでも少なくするため)




“あなたの力は、何のためにあるのですか?”




(過去を断ち切り、未来を選ぶため)




“ならば授けましょう。この“精霊冠”を。


悪役令嬢ではなく――精霊の花嫁として”




ティアラが降りてくる。


その瞬間、世界が、息を呑んだ。




蒼銀の光が、天に届くほどに爆ぜる。


王都を包む魔障が一瞬だけ霧散し、七色の羽が舞い踊る。


そして――わたくしは、そっとその冠を戴いた。




「誰が決めたの? わたくしが“悪役”だなんて」




「わたくしの物語は、わたくしが書くのですわ」







……しかし。




「おやめなさいっ! それは、“器”として使うためのものでは――!」




叫んだのは、祭壇の陰に潜んでいた一人の男――


《王立魔導塔》の重鎮、《ヴァルト・ヘイゼル》だった。




「王都の精霊力が臨界を超えます! このままでは――!」




「なっ、ヴァルト殿!? これは王命による……!」




「違う! これは、陛下ではない何者かの“魔”の命令だ!


リディア嬢が“冠”を得た瞬間、その封印が……!」




彼の言葉は、そこで止まった。




天を裂くような咆哮。


空が黒く蠢き、魔障が逆流する。




“……めざめよ”




低く、けれど空間すべてを震わせるような声。


その“声”に応じるように、


空が、光ごと――喰われた。




次の瞬間、黒き槍が《ヴァルト》を貫いた。




「ッ……ぐ……は……」




彼の目が見開かれたまま、黒い瘴気に飲まれていく。




「魔族の……真なる……王……?」




彼はそれだけを呟き、煙のように崩れ――その姿は、跡形もなく消えた。







「――リディア!」




「下がって! これは、わたくしが……!」




セリアとルーファスが駆け寄るが、わたくしはすでに、


“冠の誓い”によって精霊力を限界まで引き出されていた。




だが、逃げる気はなかった。


たとえこの冠が、“魔王の目覚め”を促す道具であったとしても――




「わたくしは、“希望”を選んだのですわ」




「貴方のような存在に、物語の結末を奪わせたりしない……!」




紅霞の瞳が、真っ直ぐ空を見据える。




わたくしの背に、七色の羽根が一斉に開き――




――そして、彼らが、手を重ねてくれた。




「一緒に戦うよ、リディア!」




「……守る。何度でも、必ず」




セリアとルーファスの温もりが、わたくしの手に重なる。


この手は、もうひとりではない。







空は深く、闇を孕み。


王都は震え、歴史が書き換わろうとしていた。




でも、確かに――わたくしの物語は、ここから始まる。




「来なさい、魔王。


精霊の名にかけて、わたくしがあなたを――否定しますわ」




――“花嫁”として、“悪役令嬢”として、


そして、“ただのわたくし”として。




その夜、空に咲いた七色のティアラは、


後にこう呼ばれることとなる。




“希望の冠”。




そして、この瞬間から物語は――次なる“覚醒”へと進み始めた。

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