祈りのティアラ
「リディアーーっ!!」
結界の外から響いた、叫ぶような声。
その声を聞いた瞬間、わたくしの胸に押し寄せたのは、涙に似た熱だった。
裂けた空間の向こうから駆けてきたのは、
薄紅の髪を揺らす聖女――セリア。
「遅れてごめんっ……! でも、もう一人になんて、させないから!」
「セリア……!」
わたくしの元へたどり着くなり、セリアは勢いのまま、抱きついてきた。
華奢な腕、震える指先。
嗚咽混じりの声で「無事でよかった」と何度も繰り返す彼女に、
心の奥にこびりついていた冷たい影が、すっと溶けていくのがわかった。
その後ろから、ルーファスも現れた。
剣に血が滲み、鎧には焦げ跡。
それでも彼は、一歩一歩、真っ直ぐにこちらへと歩いてきた。
「……無事でよかった。……間に合って、本当によかった」
「ルーファス……あなたまで……」
「君の側にいると、なぜか必ず戦場にいる。けれど……それでも、今の俺は、ここにいたいと願っている」
そう言って、彼は差し出した手で、そっとわたくしの指を握った。
――温かい。けれど、不器用で、どこかぎこちない。
そのぎこちなさが、かえって胸に響く。
「行きましょう、皆さん。……この手に、希望を抱いたまま」
◇
王都は今、世界中の注目を集めていた。
《精霊冠せいれいかん》の儀式。
それは、かつて神と精霊が契りを交わしたとされる古の儀式であり、
新たなる加護の象徴として、“精霊の花嫁”にだけ戴かれる栄誉だった。
そして今、わたくし――リディア・アルヴェインが、その祭壇に立っている。
「紅霞こうかの瞳、アルヴェイン公爵家の元令嬢、精霊騎士リディア。
あなたはこの冠を戴くにふさわしいと、我ら精霊は認めましょうか?」
祭司が問う。
その声が空へ消えぬうちに、
フィーネの七色の羽がひときわ鮮やかに煌めいた。
『ふふん、もちろん! この子ほど、誰かのために泣ける子、いないよ!』
「……ありがとう、フィーネ」
わたくしはそっと頷き、まっすぐ壇の中央に進んだ。
王侯貴族たちが見守る中、
わたくしの目は――ただひとつ。空の高みに浮かぶ“冠”を見つめていた。
風がそよぎ、炎が灯り、水が舞い、土が揺れる。
四大精霊の加護が、わたくしの背に羽を描いていく。
“あなたの祈りは、誰のためですか?”
(誰かの涙を、ひとつでも少なくするため)
“あなたの力は、何のためにあるのですか?”
(過去を断ち切り、未来を選ぶため)
“ならば授けましょう。この“精霊冠”を。
悪役令嬢ではなく――精霊の花嫁として”
ティアラが降りてくる。
その瞬間、世界が、息を呑んだ。
蒼銀の光が、天に届くほどに爆ぜる。
王都を包む魔障が一瞬だけ霧散し、七色の羽が舞い踊る。
そして――わたくしは、そっとその冠を戴いた。
「誰が決めたの? わたくしが“悪役”だなんて」
「わたくしの物語は、わたくしが書くのですわ」
◇
……しかし。
「おやめなさいっ! それは、“器”として使うためのものでは――!」
叫んだのは、祭壇の陰に潜んでいた一人の男――
《王立魔導塔》の重鎮、《ヴァルト・ヘイゼル》だった。
「王都の精霊力が臨界を超えます! このままでは――!」
「なっ、ヴァルト殿!? これは王命による……!」
「違う! これは、陛下ではない何者かの“魔”の命令だ!
リディア嬢が“冠”を得た瞬間、その封印が……!」
彼の言葉は、そこで止まった。
天を裂くような咆哮。
空が黒く蠢き、魔障が逆流する。
“……めざめよ”
低く、けれど空間すべてを震わせるような声。
その“声”に応じるように、
空が、光ごと――喰われた。
次の瞬間、黒き槍が《ヴァルト》を貫いた。
「ッ……ぐ……は……」
彼の目が見開かれたまま、黒い瘴気に飲まれていく。
「魔族の……真なる……王……?」
彼はそれだけを呟き、煙のように崩れ――その姿は、跡形もなく消えた。
◇
「――リディア!」
「下がって! これは、わたくしが……!」
セリアとルーファスが駆け寄るが、わたくしはすでに、
“冠の誓い”によって精霊力を限界まで引き出されていた。
だが、逃げる気はなかった。
たとえこの冠が、“魔王の目覚め”を促す道具であったとしても――
「わたくしは、“希望”を選んだのですわ」
「貴方のような存在に、物語の結末を奪わせたりしない……!」
紅霞の瞳が、真っ直ぐ空を見据える。
わたくしの背に、七色の羽根が一斉に開き――
――そして、彼らが、手を重ねてくれた。
「一緒に戦うよ、リディア!」
「……守る。何度でも、必ず」
セリアとルーファスの温もりが、わたくしの手に重なる。
この手は、もうひとりではない。
◇
空は深く、闇を孕み。
王都は震え、歴史が書き換わろうとしていた。
でも、確かに――わたくしの物語は、ここから始まる。
「来なさい、魔王。
精霊の名にかけて、わたくしがあなたを――否定しますわ」
――“花嫁”として、“悪役令嬢”として、
そして、“ただのわたくし”として。
その夜、空に咲いた七色のティアラは、
後にこう呼ばれることとなる。
“希望の冠”。
そして、この瞬間から物語は――次なる“覚醒”へと進み始めた。
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