わたくしを試さないで

「……まったく、なんでまた“あの舞台”に立たなきゃいけないのかしら」




ドレッサーの前で、ため息をひとつ。鏡の中のわたくしは、真紅と白銀の精霊装に身を包み、どこか遠い目をしていた。




“精霊祝祭”。




王都最大の霊儀のひとつ。街中が浮かれ、神殿では精霊たちへの感謝と祈りが捧げられる盛大な祭典。


そして今年、なぜか突然、“精霊騎士代表”としてリディア・アルヴェインが選ばれた。




──つまり、わたくし。




「完全に裏がありますわよね、これ」




「リディア、もうちょっとだけ、口元ゆるめて〜?」




フィーネが空中でくるくる回りながら、無邪気に笑う。




「だってせっかく可愛いドレス着てるんだし、仏頂面だともったいないよ〜。はい、“精霊の微笑”〜!」




「……精霊って、もっと荘厳な存在じゃなかったかしら?」




「ぴぴー、わたしはリディアの精霊だもん。リディアが怒ってたら、一緒に怒るし、拗ねてたら、抱きつくしっ」




「……子犬か何かですの?」




にこにこしながら抱きついてくるフィーネを軽く抱きしめつつ、わたくしは深く息を吐いた。




「……行きましょう。罠でも、舞台でも、“演じ切る”のが悪役令嬢の務めですわ」







王都の中央広場。万の人々が集い、花びらが宙に舞う。


その中心、白亜の神殿前に設けられた黄金の階段を、わたくしは一歩一歩、上っていく。




頭上には、七色の光に満ちた精霊の冠。




その手前で、わたくしは足を止めた。




「……我が名はリディア・アルヴェイン。かつて罪に問われ、いま再び、精霊に祈る者――」




深紅のドレスが風に舞う。観客席のざわめきが、息を呑んだように静まり返る。




そして――




バンッ!




「……っ!?」




突如として、魔導式の爆音。視界に閃光が走る。


神殿裏手で、封印結界が破られたような異変が生じ、空気が震えた。




「何者かが侵入――ッ!精霊の冠が……!」




「避けてください、リディア様!」




わたくしを庇って飛び込んできたのは――黒の騎士装。




「ルーファス……!」




一瞬、世界が止まったように感じた。


彼の背は、わたくしを包む盾のように前に出て、蒼い剣の柄を強く握る。




「……あなた、まだ“騎士”を名乗るつもりなのね」




「君の前では、たとえ地位を失っても、剣を抜く理由がある」




彼の眼差しは真摯で、誤魔化しがなかった。


でも――なぜでしょう。近すぎて、遠く感じるのは。




「……わたくしはもう、“守られるだけの娘”ではありませんわ」




「知ってる。でも、俺は……君の背中を預かりたい。せめて、それくらいは……」




わたくしが何か返す前に、背後からふっと風が吹いた。




「まあまあ、お二人とも。観客が見てますよ。惚気はあとでお願いしますね?」




その声は、やけに甘く、どこか皮肉めいていた。




「……また、現れたのですのね」




白銀の髪に、金の仮面。アレン・レイヴァント王子。


笑みをたたえたその瞳は、どこまでも本心を見せない。




「仮面舞踏会以来ですね。今日も美しい。リディア嬢。いや――紅き精霊騎士殿?」




「皮肉がお好きなようで。ならば、“貴方の仮面”も、さぞ磨かれていらっしゃるのでしょうね?」




「……そう言われると、もっと脱ぎたくなりますね」




「……その発言、問題ですわよ?」




「問題児なもので」




まったく、彼との会話は常に綱渡りだ。けれど――嫌いじゃない。この緊張と、遊びの境界線。




「ところで、リディア嬢。今日の騒ぎ、貴女に向けたものかもしれませんよ」




「……貴方は、知っていたのですか?」




「“知っていた”というより、“感じていた”のです。誰かが、貴女を“試そう”としていると」




その瞬間、言葉が喉で止まった。




“試す”。




――わたくしは、まだ「信じてもらえる存在」ではないのだと。




まだ、「選ばれていない」のだと。




「……ならば、答えてみせましょう」




わたくしは静かに、右手を掲げた。


赤と金の光が溢れ、魔導陣が空中に咲く。




「試すのは、そちらの勝手。でも、“わたくしの力”を侮ってはなりませんわ」







その日、結界の修復と共に、魔障の汚染源が浄化された。




リディア・アルヴェイン。


紅き精霊騎士は、危機の只中において再び、その力を示した。




だが、王都の奥底では――別の“歯車”が回り始めていた。




「“彼女”は、こちらの掌の中よ」




黒衣の令嬢が、笑っていた。




そして、その言葉を“誰か”が見つめていた。




金の仮面の奥、アレンの瞳が、ふと――笑みを消したのを、わたくしはまだ知らない。

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