ひび割れた冠

「――わたくしの実家から、“面会希望”ですって?」




その報せを聞いたとき、わたくしは紅茶を吹き出しそうになった。優雅さ? どこかへ消えましたわよ。




アルヴェイン公爵家。名門中の名門。魔導と軍事の両面において、王国の中枢を担ってきた家系。


そして、わたくし――リディア・アルヴェインを、“悪役令嬢”として断罪し、王都から追放した家。




「今さら、どの面を下げて?」




口元に笑みを浮かべながらも、胸の奥では静かに波が立っていた。


驚きと戸惑いと、ほんの少しの――怒り。そして、もっと厄介な感情。たとえば、“期待”とか。




「……まさか、泣いてすがってきたりなんてしませんわよね?」




そんな都合のいい展開、乙女ゲームでも見たことありませんわ。







「リディア、顔が怖いよ……?」




「これは、“気高き貴婦人の微笑”ですわ。恐れ多くも、貴女に理解できるとは思っておりませんでしたけれど」




「えっへへ、ごめんね。でもさ、怖くても、会うんだよね?」




「ええ。逃げても、何も終わりませんもの」




セリアの瞳は、いつもまっすぐ。だからこそ、見透かされそうで――つい強がってしまう。




「ふぃーん」




そこへ、フィーネがぷかぷかと空中に現れた。虹色の銀髪に、七色の瞳。大精霊フィリメリアの、無邪気な姿。




「リディア、やだよぉ。行きたくない。あの場所、嫌なにおいするもん。腐ってる、きしんでる、割れてる……」




「……やっぱり、そうなのね」




フィーネは、言葉で“気配”を読む。人の心の濁りや場の霊的な異常を、嗅ぎ分ける精霊の力。




「精霊って、すごいよね……人の嘘、わかっちゃうんだもん」




「人の嘘よりも、自分の弱さのほうが、怖いですわよ」




わたくしはふっと笑って、背筋を伸ばした。


この足で、“あの場所”にもう一度、立つと決めたのだから。







迎えの馬車は、公爵家の紋章が燦然と掲げられていた。白銀の双頭鷲――誇り高く、冷たく、かつてはわたくしの盾だったはずの、象徴。




門が開く。


かつて通い慣れた、だが今は異邦のように思える石畳。整然と刈り込まれた庭園。まるで傷ひとつない仮面のような、完璧な城館。




「リディア様……」




執事たちが頭を下げた。その声に、どこかの誰かの“後ろめたさ”が滲んでいた。わたくしはあえて、微笑む。




「ごきげんよう。わたくしを追放した館へ、ようこそわたくし」







客間に通され、しばらくののち――扉が開いた。




「……リディア」




「お母様。お父様。ご無沙汰しておりますわ」




母は変わらず美しく、父は変わらず威厳に満ちていた。


完璧な貴族の夫婦。感情は見せず、感傷も、決して取り戻さない。




そのはず、だった。




「……許してくれとは言わん。ただ、あのとき――間違っていたとは思っている」




父の言葉は、石像のように重かった。




母はわたくしを見つめ、ほんの少し唇を震わせた。




「あなたのことを、誤解していたと……気づいたのよ。王都を救った、あの日。あなたがどれほど強くて、優しい娘だったか」




「…………」




心臓が、変な音を立てた。息が、浅くなる。




……ずるいわ。こんな言葉、欲しかったに決まっているのに。




「……そう、ですの」




けれど、それは“演技”だと、精霊は囁いた。




『心の奥では、あなたの力が欲しいと叫んでいる』と。




『“娘”としてでなく、“道具”として見ている部分がある』と。




「……リディア」




「はい?」




「近く、王族主催の“精霊冠の儀”が開かれる。そこで……お前に、アルヴェインの名を掲げてほしいのだ」




「――……」




「お前が冠を戴けば、王家はわが家の復権を認めざるを得ない。お前の名声を、“家の力”として借りたいのだ」




……わたくしの中で、何かが冷たく結晶になった。




「――まるで、舞踏会のときのようですわね」




「なに?」




「着飾った令嬢を“見世物”にして、誰の妻にふさわしいか、王族の前で競わせる……。


お父様、お母様。変わってなどおられませんわね。仮面だけ、美しい仮面だけ、取り替えて」




母の顔がわずかに歪んだ。




父の瞳から、温度が消えた。




「残念ですわ。わたくしはもう、あの頃の子どもではありませんの」







その日の帰り道、フィーネが肩にちょこんと乗ってきた。




「リディア、泣いていいのに。いまだけ、誰も見てないよ?」




「泣きませんわ。わたくしは、アルヴェイン家の冠を脱ぎ捨てて――この足で、立っているのですもの」




空を見上げると、雲の合間に、紅が差していた。




ひび割れた冠は、もう要らない。




代わりに、わたくしの頭上には、紅霞と光のティアラがある。




“英雄”でも、“悪役令嬢”でもいい。




わたくしの物語を紡ぐのは――わたくし自身なのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る