ひび割れた冠
「――わたくしの実家から、“面会希望”ですって?」
その報せを聞いたとき、わたくしは紅茶を吹き出しそうになった。優雅さ? どこかへ消えましたわよ。
アルヴェイン公爵家。名門中の名門。魔導と軍事の両面において、王国の中枢を担ってきた家系。
そして、わたくし――リディア・アルヴェインを、“悪役令嬢”として断罪し、王都から追放した家。
「今さら、どの面を下げて?」
口元に笑みを浮かべながらも、胸の奥では静かに波が立っていた。
驚きと戸惑いと、ほんの少しの――怒り。そして、もっと厄介な感情。たとえば、“期待”とか。
「……まさか、泣いてすがってきたりなんてしませんわよね?」
そんな都合のいい展開、乙女ゲームでも見たことありませんわ。
◇
「リディア、顔が怖いよ……?」
「これは、“気高き貴婦人の微笑”ですわ。恐れ多くも、貴女に理解できるとは思っておりませんでしたけれど」
「えっへへ、ごめんね。でもさ、怖くても、会うんだよね?」
「ええ。逃げても、何も終わりませんもの」
セリアの瞳は、いつもまっすぐ。だからこそ、見透かされそうで――つい強がってしまう。
「ふぃーん」
そこへ、フィーネがぷかぷかと空中に現れた。虹色の銀髪に、七色の瞳。大精霊フィリメリアの、無邪気な姿。
「リディア、やだよぉ。行きたくない。あの場所、嫌なにおいするもん。腐ってる、きしんでる、割れてる……」
「……やっぱり、そうなのね」
フィーネは、言葉で“気配”を読む。人の心の濁りや場の霊的な異常を、嗅ぎ分ける精霊の力。
「精霊って、すごいよね……人の嘘、わかっちゃうんだもん」
「人の嘘よりも、自分の弱さのほうが、怖いですわよ」
わたくしはふっと笑って、背筋を伸ばした。
この足で、“あの場所”にもう一度、立つと決めたのだから。
◇
迎えの馬車は、公爵家の紋章が燦然と掲げられていた。白銀の双頭鷲――誇り高く、冷たく、かつてはわたくしの盾だったはずの、象徴。
門が開く。
かつて通い慣れた、だが今は異邦のように思える石畳。整然と刈り込まれた庭園。まるで傷ひとつない仮面のような、完璧な城館。
「リディア様……」
執事たちが頭を下げた。その声に、どこかの誰かの“後ろめたさ”が滲んでいた。わたくしはあえて、微笑む。
「ごきげんよう。わたくしを追放した館へ、ようこそわたくし」
◇
客間に通され、しばらくののち――扉が開いた。
「……リディア」
「お母様。お父様。ご無沙汰しておりますわ」
母は変わらず美しく、父は変わらず威厳に満ちていた。
完璧な貴族の夫婦。感情は見せず、感傷も、決して取り戻さない。
そのはず、だった。
「……許してくれとは言わん。ただ、あのとき――間違っていたとは思っている」
父の言葉は、石像のように重かった。
母はわたくしを見つめ、ほんの少し唇を震わせた。
「あなたのことを、誤解していたと……気づいたのよ。王都を救った、あの日。あなたがどれほど強くて、優しい娘だったか」
「…………」
心臓が、変な音を立てた。息が、浅くなる。
……ずるいわ。こんな言葉、欲しかったに決まっているのに。
「……そう、ですの」
けれど、それは“演技”だと、精霊は囁いた。
『心の奥では、あなたの力が欲しいと叫んでいる』と。
『“娘”としてでなく、“道具”として見ている部分がある』と。
「……リディア」
「はい?」
「近く、王族主催の“精霊冠の儀”が開かれる。そこで……お前に、アルヴェインの名を掲げてほしいのだ」
「――……」
「お前が冠を戴けば、王家はわが家の復権を認めざるを得ない。お前の名声を、“家の力”として借りたいのだ」
……わたくしの中で、何かが冷たく結晶になった。
「――まるで、舞踏会のときのようですわね」
「なに?」
「着飾った令嬢を“見世物”にして、誰の妻にふさわしいか、王族の前で競わせる……。
お父様、お母様。変わってなどおられませんわね。仮面だけ、美しい仮面だけ、取り替えて」
母の顔がわずかに歪んだ。
父の瞳から、温度が消えた。
「残念ですわ。わたくしはもう、あの頃の子どもではありませんの」
◇
その日の帰り道、フィーネが肩にちょこんと乗ってきた。
「リディア、泣いていいのに。いまだけ、誰も見てないよ?」
「泣きませんわ。わたくしは、アルヴェイン家の冠を脱ぎ捨てて――この足で、立っているのですもの」
空を見上げると、雲の合間に、紅が差していた。
ひび割れた冠は、もう要らない。
代わりに、わたくしの頭上には、紅霞と光のティアラがある。
“英雄”でも、“悪役令嬢”でもいい。
わたくしの物語を紡ぐのは――わたくし自身なのだから。
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