第3章『裏切りと祈りのティアラ――もう一度、あなたを信じてもいいですか?』

プロローグ 英雄と呼ばれた悪役令嬢

――わたくしは、救世の魔導師。




……そう呼ばれるようになってしまった。




「わたくしを追放したくせに、今さら“救世主”とは。都合のいいことですわね」




王都の白壁に背を預け、わたくしはそっと溜息をつく。




一月前。あの夜、魔族が王都を襲撃し、わたくしが“正体を明かして”全てを救ったその日から、街は変わった。いや、正確には――表面だけが、少しだけ塗り直された。




「リディア様!お噂は本当でしたのね……!」




「助けていただいたと聞きました!何卒、握手だけでも……!」




ええ、こうして人々は笑顔を向けてくれる。拍手をくれる。子どもたちは“魔導師さま”と駆け寄ってくる。




でも、わたくしの耳は知っているの。裏路地の陰で、まだこう囁かれていることを。




『あの方、追放された悪役令嬢でしょう?』




『ええ、公爵家の恥とまで言われたのに……今さら“救世主”ですって』




「――英雄?その称号、少々重すぎますわね」




だから、わたくしは気取って笑う。高く顎を上げて、風を受けてドレスの裾を翻す。どれだけ足が震えていようと、紅霞の瞳にだけは涙を映さない。




だって、それが“わたくし”でしょう?







「リディア、ちょっと待って!髪、崩れてる!」




「崩れていませんわよ。これは風に踊る、女神のような動きですの」




「風で花びらみたいになってるの!おでこにくっついてる!」




わたくしの横をせわしなく駆けてくるのは、セリア。元・聖女であり、今ではわたくしの大切な――相棒?




……いえ、もう少し甘い言葉でも、許されるのかしら。




彼女はいつも、まっすぐすぎて危なっかしい。わたくしと違って、泣きたいときは泣いて、笑いたいときに笑う。それが羨ましくもあり、少しだけ――憧れる。




「リディア、やっぱり……無理、だよ。笑えない。あの時、私は何もできなかったのに……」




「……あら。今さらですの?」




「うぅ、そんな言い方しなくてもっ……!」




「ふふ、冗談ですわ。――でも、わたくしはあなたを、責めたりなんかしていません。少なくとも、今こうして隣にいるのだから」




「……ありがとう。リディアって、やっぱり優しいね」




「違いますわ。これは余裕のある女の演技というものですの。優しさではありませんことよ?」




「えへへ、そういうとこも好き!」




「――……セリア?」




「と、ともだちとして、ねっ!」




……そうやって照れながら言い訳をつけるのも、可愛いのよ。ほんとうに。







だが、そんな和やかな時間も、すぐに終わりを告げた。




王都の空に、黒い“霧”が漂っていたのだ。




それは魔族の瘴気……ではない。だが、似ている。どこか、もっと“底が見えない気配”――




「……セリア。あの黒い煙、見えまして?」




「うん。あれ、魔障……だよね。禁呪が解かれた影響で、地下の封印層から漏れてるって」




「……やはり」




《禁呪》の余波は未だ消えていなかったのだ。あの仮面舞踏会の夜、アレン王子が撒いた“火種”が、ゆっくり、だが確実に燃え広がっている。




「リディア様、後ろ!」




「――来ましたわね」




わたくしの背後、通りを這うように現れたのは、魔障に染まった魔物。かつて人だったであろうその姿は、醜く歪んでいる。




セリアが杖を握るよりも早く、わたくしは静かに呪文を紡ぐ。




「……《アルカ・コード》展開。対象:浄化。出力:最大。詠唱、開始――」




《コード・エクスピアート》




黄金の陣が空間に浮かび、霧と共に魔物が瞬く間に塵と化す。




周囲の人々が静まり返る。




「え……い、今の……?」




「一瞬で……?」




「まさか、リディア様が……」




そう。わたくしが、あの“追放された悪役令嬢”が、王都のど真ん中で、人々を救った。




「――ふぅ。こんな早朝から、魔障の掃除とは気の早いこと」




「リディア……すごいよ。やっぱり、あなたは……英雄だよ」




「……英雄。ふふっ、それは、セリアが言うと信じたくなってしまいますわね」




誰かの言葉じゃなくて。




誰かの都合でもなくて。




セリアのその瞳に映るわたくしが、“そう”であるならば――




わたくしは、きっと、そうなれる。







その日の夜、わたくしのもとに、一通の手紙が届いた。




金糸の封蝋。見覚えのある紋章。




――アルヴェイン公爵家。




かつてわたくしが追放された、血の繋がった“家族”からの招待状。




「……いまさら、何を?」




セリアが心配そうに覗き込む。




「リディア……大丈夫?」




「ええ。わたくしは、もう泣きません」




そう。もう、あの頃とは違う。




“悪役令嬢”ではなく――“英雄”として。




この手紙は、きっと始まりの鐘。




けれど、その先に待つものが、また新たな痛みだとしても。




わたくしは進む。もう一度、信じてみるために。




あの場所へ。あの人たちと向き合うために――。

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