STAGE.15 莫迦酔狂ひ――一瞬の陶酔を

 ステージの上だというのに不甲斐なかったベーシスト、草薙ナナコ――。


――はあ……。だせーぜ、あーし……。


 高円寺で巻き込まれた厄災。いやそのもっと前。西武新宿駅での理不尽で不条理な暴力を端にして続くナナコの運のなさ、星回りの悪さ。それらに振り回されたことによって今日のステージがこんなだったというのだ。そう思ったら何だか鬱々とした気分が徐々に苛々に上書きされてくる。それでもつい先刻のダサいステージングや折れ砕けた愛機/Betaベータ 5のことが頭にちらつき、再びナナコはううっと悲しみの声を漏らす。


 そんな様子で楽屋の椅子に腰掛け頭を抱えてううっと一人唸っているナナコを横目にスズカがせっせと機材を撤収。バンドに帯同して初のローディー業、いきなりからして缶チューハイをやりながらはさすがに? と思い自重していたというわけ。落ち込んでいるナナコがもちろん心配ではあったがそれはそれ。酒は酒。このあと飲むぞと最後の仕事に勤しんだ。


 撤収を終えたDIExDAxLAxBOCCHIダイダラボッチは渋谷の適当な居酒屋にゴー。


 ナナコは泣きたい気分なのか怒りたい気分なのか、よく分からないモヤモヤを抱えたまま、全くもって最高の夜とならなかった今夜、バンドだけの打ち上げとしては実に数年振りに酒の席に着くことになった。


「カンパイーッ――!!」


 合わせたジョッキががちゃりと鳴って中の酒がいくらか溢れる。それを合図にバンドの打ち上げ兼草薙ナナコを元気にしようの会が始まった。


「まあよ、ナナ公。なんだ。あんま気にすんなよ。誰にでもあれくらいのハプニングはあるだろ」


 ナナコはシンタロウからそんな気遣いの言葉が飛んでくるとは夢にも思ってなかったので心の中で「シンタロウ~」と名前を呼びながら彼に向けた視線がうるうるとしてくる。が。


「プロ意識に欠けるような奴なら誰にでもな! ぎゃはは! 歪みかけるところでワウ踏むバカがいる!? 三回もシールドに足かけるか!? おもれー」


 折角の、熱くて固い絆! みたいなシーンだったのにいつもの調子を堪えきれず、唐突に水を差してぎゃはぎゃは笑って馬鹿にしてきたシンタロウが腹立たしく、ナナコは腰を浮かせるとテーブルを挟んで正面に座る逆さ長ネギ頭の肩を無言でどついた。


 そのナナコの横でスズカが両の人差し指でバッテンを作って、それはダメダメ、とジェスチャー。


 どつき終わって椅子にどかっと座り直したナナコはレモンサワーのジョッキをぐっと傾けてぐびぐび呷る。普段ほぼアルコールを口にしないナナコのそれはもうやけくそと言って差し支えのないものだった。


 ほとんど一気飲みしたと思ったらテーブルに突っ伏してうわーんと泣きはじめてしまった。


「まあ、ナナコ。色々あったんだ。これから先、気持ちが整理できなくて今日みたいな日がまた来たとしても俺たちで支えるか――」


 ヒロノブが分かりやすく励ましてやっている最中、ナナコががばっと上体を起こす。すでに顔は真っ赤。目も据わっておりレモンサワーが回りに回っている。


「あーしはさあ……ピストルズじゃなくてダムドになりたいの! 分かる!?」


 テーブルにドンと拳を打ち落とす。


「いや、ピストルズ最高だろ。しかもダムドよりクラッシュって感じだし。並びで言えばピストルズ、クラッシュ、スターリン」


 ナナ公よ、それは違うだろとシンタロウが口を挟む。


「うるへー! かんけーねーの混ざってんぞ! あーしが話してんだから長ネギは黙ってお座りでもしとけ!」


 俺の拳をくらすぞこら、と思ってシンタロウは一瞬むっとした顔になった。しかし、一応は高円寺での一件から落ち込み続けているナナコを励まして崇め奉って元気にさせようという裏のお題目を掲げている打ち上げなので、ここは一つ多目に見てちょ、とスズカが両手を顔の前で合掌させて苦々しくウインクしてみせる。それを見てシンタロウは仕方なくわなわな震わせていた拳を何とか仕舞った。


「あーしの人生はあ……ピストルズよりダムドなの! メタリカよりアンスラックス! んでえ……エックスより筋少! ハイスタよりニューキー! ラルクより黒夢! そういう価値観でやってんの! 分かる!? 長ネギにはわかんねーよな。頭長ネギだもんな!! あははー」


 最後はもう高笑い。


「(……うわ。酔ったらこの女が一番面倒くさいの忘れてた)」

「(……うわ。酔ったらナナコが一番面倒くさいの忘れてた)」

「(……うわ。酔ったらこの子が一番面倒くさいの忘れてた)」


 シンタロウとヒロノブは、あからさまにめんどいの文字を顔に張り付けていた。スズカはレモンサワーをちびちびやりながら、自分より厄介な酔っ払いがいると酔えないよなー、家に帰ってから飲み直すかなー、と思案していた。


「へ。へへへー。へへへへへー」


 ナナコが呆けた顔で脈略もなく笑いはじめるので、皆一様に怖いと感じた。怖いと感じたが口を挟むと二倍の面倒が返ってくるため、皆ナナコの次の言葉を待つほかなかった。


「…………。」


 無表情。ナナコが五秒フリーズ。

 その後バチッと急にスイッチが入る。


「あーしねえ、スズカのことだーい好き!!」


 へらへらと愛を伝えながら隣のスズカにしなだれかかる。


「ちょ! いきなり!? 恥ずかしーよ、ナナコー」


 ちびちび飲んだ酒のせいだけではなしに顔を赤らめるスズカに、なおも「ほんとらよー?」とナナコが絡み付く。


「んでえ、ヒロノブも大好きー!」


 泥酔女が親指をぐっと立てる。それを受けてヒロノブはまあまあうんうんありがとうと頷いて答える。


「シンタロウはあ、ちょっとだけ好きー!」


「ちょっとだけってなんだ! おい!」


 と言いつつも、ナナコに人差し指をビッと向けられたシンタロウは、まあ悪い気はしない。


 この場にいる人々への告白ののち、だはははーと幸せそうに笑うナナコ。


 平時であればナナコの抱える本音の出力のレベルの制御を司る彼女の脳みその前頭連合野だか言語中枢だかの中にある幽門のような機関、その機関がうまいこと閉じたり開いたりして本音を包み隠して強がって見せたりちょっとだけスズカに甘えて見せたりするのだが、そいつが今時分アルコールに酔ってべらべらのぱかぱかの馬鹿になっていてもうずっと開けっ広げの状態、そんな状態に陥っているのでナナコの本音の吐露が止まらない止まらない。


 それからというものナナコは、今年のうちにZIPPジップ TOKYOトーキョーを埋めたいと駄々をこねたり、シンタロウも曲を書けとか、この間の轟音バンドの子たちと話をしたかったのにと拗ねたり。


 そんなことをぐだぐだと並べ立てていたかと思うと、ずいっと立ち上がって。


「ヒロノブ! お前男だ! 叩けんのか!」

「シンタロウ! お前も男だ! 曲書けんのか!」

「スズカ! お前は女だ! あーしのベース直してくれんのか!」


 と、一人ずつに渇を入れる始末。


 そんなこんなで、吐くもの吐いたら満足げな表情を浮かべてに寝てしまったナナコ――。


 潰れたナナコを男二人で担いでバンドの機材車/黒塗りのハイエースに運び込む。運転係としてノンアルを貫いたヒロノブが運転して上石神井のナナコとスズカの自宅まで送ってくれることになった。


「なんかスッキリした顔してたけどよ。ナナ公、こんなんで立ち直るかね?」


「どうだろうねー。元々そんなに強い子じゃないからねー」


 少しだけ酔いが回っているスズカがガラスの向こうに遠い目をやって答える。


「ま、だろうな。じゃなきゃモトリーの『Kickstartキックスタート Myマイ Heartハート』かけて儀式みてえなことしねぇよ。パンクバンドがLAメタルとかマジでふざけてんのかと思ったけど、絶対ぜってえ引かねえ、って感じだったし」


 ハンドルを握るヒロノブがふっと笑う。


「懐かしいな、ダイダラの初ライブの時お前たち揉めたよな。モトリーはその曲しか知らなかったみたいだし、スイッチ入れる合言葉が欲しかったんだろうな」


 会話の中心のナナコは後部座席で幸せそうに眠り続けている。


 上石神井の家の前に着くと、ヒロノブとシンタロウがナナコの機材を運び込んでくれたが、眠り姫は部屋までわたしがおんぶするからと言って断るスズカ。


「ヒロくん、運転ありがとー。二人とも気をつけてねー」


 ナナコをおぶるスズカが小さく手を振る。


「おうよ」

「ナナコのこと頼んだぞ」


 スズカがサムズアップして答えるとハイエースは発信して夜に消えていった。


「ぐー」


 スズカは自分の背中で無防備に眠るナナコをちらっと見てくすりと笑った。そしてふっと真面目な眼差しになって。


「ナナコのこと。絶対に支え続けるからね」


 一人呟いた。


「あーがと……」


「え? 起きてた?」


 眠っているのだから返ってくるとは思っていなかったナナコの返事に思わずびくっとするスズカ。


「ぐがー」


 どうやら寝言だったよう。


 それからほんの少しの間、方やうつつで方や夢で、静かに互いの温もりを感じる二人であった――。

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