追想:草薙ナナコの過去編

STAGE.14 莫迦酔狂ひ――一杯の勇気を

 草薙ナナコの心と五弦ベースが折れたあの夜から数日のこと。


 ナナコは蹴りをもらったものの大きな怪我はなく無事であったが、それよりも精神的な面で相当に参っていた。三分に一度ため息をつき、飯もまともに喉を通らない。サブ機/五弦ベース/YAMAHAヤマハ TRBX505を手にして練習を行うもてんで集中できず一通りの持ち曲を雑になぞっておしまい。そんな調子である。


 ヒロノブはというと、一度気を失うほどの大ダメージを受けたが今のところこれといった症状などは出ていない。腹に食い込んだ釘の痕が痛々しく残るが、当のヒロノブ本人は『お前たちが無事ならこんなもん安いもんだ』としんどさをおくびにも出さない。


 無傷のシンタロウは遊び相手の兄妹がしゅんとしたままなのでさすがにちょっかい出す気になれねーなーとつまらなさそう。


 見るも無惨な姿となったナナコの相棒/五弦ベース/ATELIERアトリエ Z ゼット Betaベータ5はスズカが絶対に直すと豪語し、彼女がクビになって以来世話になっている個人ギター工房『P'sピーズギター』に持ち出されていた――。


 ※


 P'sギターの職人、竿本さおもとさんがボロボロのBeta 5が置かれた作業台を前に、「やってんな、こりゃあ」とごま塩の短い髪の毛をがしがし掻いている。


 長い艶やかな黒髪を高い位置で結って仕事モードオンの戸塚スズカがその隣で苦笑い。


「へへへ……凄いでしょ? 竿本さん、これ直せると思う?」


「このネックはまず無理だ。うちでイチから作った方が早ぇなぁ」


 これまで何本ものギターやベースに命を宿してきた逞しい指先で、中からひん曲がった鉄の棒/トラスロッドを覗かせる死に体のネックをがしっと掴み、こまごま観察している。


「折れないネックっていうのは……さすがに作れないよね?」


 在りもしない魔法に縋る思いで竿本さんに問いかける。


「ははっ。そりゃあ無茶ってもんだぜスズカちゃん」


 職人は手にしている折れたネックにこんこんとノックして話を続ける。


「ま、『折れにくい』ってのはやれねぇこたねぇと思うが」


 壁面いっぱいの収納棚からぺらっと紙を一枚取り出すとネックをラフにスケッチ。


「ほれ。ここをこうこうこう……」


 確かにワンオフで作るのであれば自らの要望もある程度叶えられそうだと膝を打つスズカ。


「ああー、なるほど! じゃあ、ジョイントの方はこれで!」


「おぉ、スズカちゃん、攻めるねぇ。だが、これじゃ重くなるけど良いのかい?」


「直すことの方が大事だから……うん、大丈夫!」


 ――――……。


「しっかし、このボディじゃもう木が鳴るかも分かんねぇぞ」


 それについては考えがあるのです、ふふんと鼻を高くするスズカ。


「木が鳴らなくなっちゃったんなら、鳴るようにしちゃえば良いんですよ!」


 ささっと先ほどのスケッチにボディ部を書き加えて鳴るようにするその案を記す。

 木材の共振による鳴りではなく、そもそも弦の振動を増幅してしまえという思い切った改修案。


「スズカちゃん、あんたやっぱぶっ飛んでるよ! チェーン店で収まるタマじゃねぇな!」


 竿本さんはスズカの、修復を超えた改修、いやもはや魔改造な提案にがははと笑う。


「思い切りザクりを入れることになるが構わないのかい?」


「ナナコなら分かってくれる。この子で音を鳴らせることがなにより大切だから」


 ナナコはこのベースを手にできることを望んでいるはずだから、多少姿形が変わろうともそんなことは些末な問題のはずだと、うんと頷く。


「そうかい……。で、それの元ネタのギターは5W出力だろ? そんなんでパンクは務まらねぇからな……ほれ、これ」


 竿本さんが目立ちにくい足元の方にある引き出しから黒くて四角い物体を取り出して作業台にぽんと置く。『Military Standard軍用規格』と書かれたラベルが貼ってある。


「竿本さん、これは?」


「なんかでどでけぇ音出したくなったときに使おうと思ってたもんでよぉ。あんまし言えねぇルートで仕入れた超高密度バッテリーよ」


「超……高密度……」


「これなら2000W出力で行けるんじゃねぇかな」


 市販品のそれと比較して途方もないその数値にごくりと固唾を飲んだスズカ。彼女の表情は最後、にやりと片方の口角だけを上げた――。


 ※


 さらに数日。


 ローディーとして戸塚スズカを加えたDIExDAxLAxBOCCHIダイダラボッチの面々はライブハウス渋谷路地裏にいた。


 ヒロノブはリハーサルスタジオに入ってもいつもと変わらず爆裂する弾頭を思わせるパワフルなドラムを打ち鳴らして何一つ問題なかった。シンタロウも吐き捨てるボーカルはキレておりギターもタイトとルーズを使い分ける独特なノリは健在。


 問題はナナコだった――。


「ぎゃは! ナナ公、今日は打ち上げチャンスだな!」


 ライブハウスの入り口前。シンタロウが本調子でないナナコに発破をかける。

 その後ろでスズカが甲斐甲斐しくスネアや金物/シンバル類を楽屋に運び入れている。


「うるせー! あーしは本番に強えんだよ! 本番! 本番!」


 自分に言い聞かせるように「そうそう。本番本番」と呟きながら、ベースとエフェクターボードを持ってナナコも箱の中に消えていった。


「ナナ公、大丈夫かねえ?」


 なんだかんだ心配してやれやれとため息混じりにシンタロウ。


「まあ、俺らでフォローするしかないだろうな」


 今日来てくれる観客には申し訳ないがステージに立たせる荒治療しかないだろうと、塞がりかけの傷が気になるのか無意識に腹をぽりぽりするヒロノブが、その腹を括っていた。


 渋谷路地裏の楽屋の中ではスズカがメンバーの楽器を手に取って調整に問題がないか最終チェック。


「ナナコもシンちゃんも、三日前のリハの時に弦交換してるから問題なし。シンちゃんのギターのビビりは弦高調整して治まったし、ナナコのYAMAHAのベースはBeta 5のセッティングに合わせた。大丈夫、かな?」


 ここまで酒も飲まずにせっせと働く彼女のポニーテールから覗くうなじにうっすらと浮かんだ汗がきらきらと光っている。


 スズカは作業の仕上げとしてナナコのベースのチューニングの最中。ナナコが楽屋に入ってくるなり線の細い彼女の背中にがばっと抱き付いて腕を回す。

 紅梅色のミディアムヘアーがロングの黒髪と絡む。


「ステージ、ちゃんと立てそう?」


 ナナコの顔が瞬きの音すら聞こえてきそうな近さだったが、スズカはさもありなんとペグを回したり、弦をべんと弾いて調律を続けている。


「うん……。多分……大丈夫」


 スズカは作業が終わってベースを太股に寝かせたが、ベーシストとローディー、二人はほんの少しの時間そのままでいた――。


 ※


 で、開演。

 いつもどおりに『Kickstartキックスタート Myマイ Heartハート』が鳴って登場するが――。


「あえ!?」


 フレーズが飛ぶ――。


「げえ!?」


 エフェクターを踏み間違えてオートワウ/Microマイクロ Q-Tronキュートロンが作動しベース音がワウワウワウワウ――。


「どえ!?」


 シールドに足を引っ掻けてずっこける――。

 それも三度――。


「なんか今日のだいだら、イマイチじゃね?――」

「曲が盛り上がるとこでベースがワウワウいってなかった?――」

「そも、草薙。ステージでずっこけって笑――」

「……ナナコ様なんかあったのかな? かな?――」


 観客から漏れ聞こえる声が耳に入ってしまい、カッコよくありたいと願う姿とはかけ離れた今日のステージでの姿が脳裏に俯瞰の映像として再生される。

 ナナコは情けないステージングが悔しくて堪らずううっと泣き声を漏らしてしまう。


 そんなナナコの肩にシンタロウがぽんと手を置く。


「んじゃ、今日こそ打ち上げだな」

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