STAGE.3 大人の階段昇らない――カミシャクの段
バンドマンの朝は遅い。
時はすでに14:00を回っていた。
昨晩、突如として上半身刺青まみれ、鉄パイプを持った暴漢に襲われた草薙ナナコ。命からがら、急行 拝島行きの電車に飛び込み逃げ延びた。
西武新宿駅から十六分ほど電車に揺られ、自宅最寄りの上石神井駅で降りると、もはやどこが痛むのかもよく分からない足をずりずり引きずりながら歩いた。ヘッドライトに照らされてナナコの影が伸びたり縮んだり、何台もの車が通り過ぎていく。
やっとの思いで八畳二間のアパートに帰宅。疲労困憊満身創痍のナナコはすぐにでも布団に身を預けたかったが、男の返り血などで汚れたままでは同居人の戸塚スズカに叱られてしまう。仕方なしにシャワー。身を清めたのちに布団に倒れ込むと泥のように眠った。
で、昼過ぎ。
寝て起きたら昨夜は引きずっていた足も少し痛むが案外普通に動かせた。ナナコは生物的に強いようだ。
手持ち無沙汰にディスプレイがガビガビにひび割れたスマートフォンを開くとコミュニケーションアプリ/
――は? やば。
普段は通知の数字が残っているのが気持ち悪くてわりかしすぐに処理するナナコ。見たこともない数に慌ててRAINを立ち上げるとナナコのバンドのリーダー兼ドラムスである
『お前大丈夫なのか?』
『返事がないが生きてるのか?』
『怪我ないか?』
『こんなにベース振り回して壊れてないか?』
『お前はそこにいるのか?』
『なんであんな無茶したんだ?』
『楽器壊れてるんじゃないか?』
『ベース弾けるのか?』
『入院?』
『立て替えてるリハ代まだ返してもらってないぞ?』
『入院か?』
『逮捕の方か?』
ナナコを心配するメッセージがずらりと並ぶ。
――何であーしがボロボロなの知ってるんだ?
昨日のことは悪夢だったんじゃないかと現実を飲み込めていなかったナナコにさらなる疑問符が降ってくる。そのすべてのメッセージを確認するのも面倒だったのですぐにヒロノブに電話をかけた。
『バカヤロウ! 何で早く返事を寄越さなかった! 大丈夫なのか!?』
「だっー! うるせー!」
心配で仕方のないヒロノブの声が大音量の割れたノイズとなって響く。ナナコはびっくりして耳元からスマートフォンを遠ざけた。
「あーしは、まあ、足とか色んなとこ
怪我の具合を伝えながら足を水玉模様に染めている青あざを無意識にさすさす撫でる。
「つーか、あーしに何かあったの何で知ってんの?」
『まだSNSとか見てないのか?』
知っているも何もないだろうといった調子でヒロノブが続ける。
『"パンク娘がゾンビ男に襲われてて草"とかって、お前がベース振り回してる動画がバズってるぞ』
確かにカメラ回してる野次馬がたくさんいたからなと納得しつつ、自らがバズっているという事実にドキドキワクワクしてしまうお馬鹿なナナコ。彼女にとっては目立つことが何よりの良薬なのだ。
『おい! 聞いてるのか? 打ち上げパスして帰ったと思ったらあんなことになってたから心配してたんだぞ』
「あ、悪い悪い。まー、とりあえず指とかも大丈夫だし弾くのは問題ないな。ただ、肝心のあーしのベースが……」
刺青痩身の鉄パイプと鍔迫り合いになった際にミシッとネックが嫌な音を立てたことを思い出す。あの音は楽器として致命傷を負ったと判断するのに足るものだった。
ナナコはついこの間ローンを完済したばかりなのにと肩を落とす。
「とりあえずスズカに見てもらうけどヤバいかも。しばらくサブの方でやることになるかもな」
『そうか……。まあ、なんだ。ちゃんと病院行けよ』
「あーしのおかんかっつーの」
うっさいなーと悪態をつくように電話を切ったナナコであったが、いつも甲斐甲斐しく面倒を見てくれるバンドリーダー/須佐山ヒロノブには感謝しかない。
昨日から帰って来ていないスズカを待つしかないと布団にばたりと身を投げる。
するとそれが合図だったかのようにドタンと音を立ててと玄関が開く。
「やーやーやー。ナナコくん! 昨日のライブはどうだったかなー?」
「おげー。
唐突に酒の臭いに襲われてナナコは堪らず跳ね起きて鼻をつまむ。度々このような事態に襲われるがいつまで経っても慣れることはない。
八畳二間は一瞬にしてアルコール臭に支配された。ロングの黒髪の間に紅潮したへらへら顔。手には500ml缶のチューハイをぶら下げている。このべらべらに酔っ払って帰ってきた女こそがナナコの同居人/高校の同級生/戸塚スズカである。
「昨日の仕事終わりに飲みに行ったんだけどー、気付いたら朝になっててー?」
スズカはお恥ずかしい限りでとも言うように目を細めて頬をぽりぽりとかいている。
「なんか気分良くってコンビニでおかわりしてたらこんな時間になっちゃったー。へへへー」
ナナコの方に「ごめんちょ」と顔を向けるとあらびっくり。
「って、えー! ナナコ! あざだらけ!」
この同居人は酒に溺れて何一つ把握していないと悟る。ナナコはちゃんと説明しなくてはと、かくかくしかじか昨日のライブの後に災難な目にあったことと、その際にベースを振り回したせいで調子が悪いこと、だから愛機の様子を見て欲しいことを伝えた。
試しにスズカがナナコの愛機/五弦ベース/
「ダメそーだねー。とりあえずわたしの店で細かく見てみる?」
床に並んだ塗装の剥げたエフェクターたちを指差して「それも見なきゃでしょ。すぐ行こ」と続ける。
今日はスズカのオフ日。悪いとは思いつつ愛機のためにナナコはその言葉に甘えるしかなかった。
スズカがシャワーを浴びたり身支度をする間、ナナコは傷ついた相棒たちを丁寧にギグバッグに仕舞っていく。
家を出てまずは上石神井駅へ。そこからバスに乗り、スズカが勤める楽器店のある吉祥寺駅を目指す。道中の車内で連れが何度もえづくのでナナコは粗相してしまわないか気が気でなかった。
「スズカさぁ、そんなべろべろの状態で店に顔出して大丈夫なの?」
「あの店はわたしのお陰で回ってるから問題なーし! でへへー」
――頼んじまったけど、勤務中にこんな奴来たら嫌だろ……。
やっぱり店に申し訳ない、しくったと反省するも吉祥寺に着いてしまったので、この酔っ払いのお陰で回っているらしい楽器店を目指して二人並んで歩いて行く。
道すがら、くたびれヨレたスーツに身を包む如何にもだらしのなさそうなサラリーマンが前方から歩いてくる。道幅は十分にあるというのにナナコのすぐ横ですれ違う。
――なんだ? 今のおっさん。あーしはああいう人との距離感がおかしな奴、やっぱ嫌いだわ。
眉間にしわを寄せてため息をついていると肩をトントンと叩かれる。
急に体を触れられたナナコは眉間のしわをより一層深くして怪訝な表情で振り返る。
「うわあ、やあっぱり。お嬢ちゃん、良いねえ。良いよお、ツンとしてて。ねえねえ、大人四、いや六でどう? どう?」
口を開いた瞬間、むわっと口臭が漏れ出て思わず湯気でも上がっているような錯覚を起こす。
「おっさん。今、触った?」
無機質に鳴らした五弦のようにぞっとするほど冷たく低いトーンでナナコが問う。
「あちゃー。おじさん。ごしゅーしょーさまです」
嫌らしいサラリーマンに向かって両手を合わせてうやうやしく一礼するスズカ。
体に触れられてカリスマベーシストは一瞬で沸騰。みるみるうち白目に真っ赤な枝が走り始めた。
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