第21話 新しい生活.3
棟馬は常識外すぎて省くとしても、印を結んだ妖は本来なら話せるようだ。
「名前を呼んでいただき個として扱われれば、言葉も意思も持ちます」
「そう。だとしたら、今まで酷いことをしてきたわね」
頬に手を当て、しみじみと初音が息を吐く。ずっと命令口調で接してきたが、さぞ嫌な思いをさせていただろう。でも、涼は首を横に振った。
「初音さまはお優しいです」
「私が? 優しい? 厳しいの間違いではなくて?」
「ええ、だって、熱いお茶をかけたり、苛立ちを吐き出すように折檻したりしません」
ちょっと待って、と初音が口を開け閉めする。
誰だ、そんな酷い所業をしたのは、と問いかけようとしてやめた。
(きっと、八重樫の人間すべてがそうだ)
初音がもの心ついたときから、涼は掃除や洗濯をしていた。青女房と一括りにされ、命じられたことを繰り返す日々。
その姿に、当主としてのみ存在し、孤独に妖を封じ続けた自身が重なった。
「……これからは、こうして話をして欲しい。それから、棟馬のように出かけてもいいわ。でも夕暮れまでには戻ってきてね」
そう言いながら、初音は涼の手の上に自分の手を翳した。ほわりと橙色の光が初音の手から鈴の身体へ吸い込まれていく。新しい印が結ばれたのだ。
涼が呆然と手を表裏し眺める。心なしか顔の血色も良くなっていた。
今までの自分を全部否定する苦しさは、依然として胸の奥で蠢く。でも、目の前で嬉しそうに微笑む涼に、こんな関係も悪くないと思えた。
(これで、私が今までしてきたことが許されるわけではないだろうけれど)
封じなくてもいい妖を、どれだけ封じてきただろう。
その事実は、これから先もずっと背負っていかなくてはいけない。
でも、今笑った涼の顔は一生忘れないでおこうと思った。
翌日、厨で朝食の片づけをしていた初音に、棟馬が声をかけた。
青女房も加わり三人でひそひそと相談し、庭先で準備をしていると、帆澄が縁側に姿を現した。歩けるほどに回復したようだ。
手ぬぐいを頭に被った初音が声を掛ける。
「帆澄さま、お加減はどうですか?」
「あぁ、もう大丈夫だ。急に暖かくなり春めいてきたな」
寝間着から袷の着物に着替えた帆澄が、両手を挙げて伸びをする。
やや右腕が上がりきっていないが、痺れもほぼ取れたようだ。
「ちょうど良かったです。今から棟馬と蓬生餅をつこうと思っていたのですよ」
「おう、それは楽しみだ」
初音の無邪気な笑顔に、帆澄が目を細める。二人の間にある空気が以前より親密に感じられ、棟馬はにまにまと口をにやけさせる。
「初音さま、もち米が炊き上がりました」
涼がもち米を入れた木桶を両手で抱え厨から出てきた。帆澄と目が合うと、小さく頭をさげる。
「これは見違えた。初音さんが青女房に名を聞いたのか」
「はい。涼から悪しき気配は感じませんでしたので」
妖にとって名前は特別だ。主人に固有名を呼ばれることにより、その姿をはっきりさせる。それは弱い妖ほど顕著だった。強い妖は名前など関係なく、自身の妖力で姿を形作れる。
今まで「青女房」とひとくくりにされてきたが、初音に名を呼ばれたことで、涼の容姿は帆澄の目にも変わって移った。
帆澄は沓脱石にある草履を引っかけ庭に下りると、初音のもとへやって来る。
「生まれたときから教わった価値観はなかなか変えれるものではない。だから無理強いするつもりはなかったが、こうもすんなり馴染むとは。初音さんは強く柔軟だ」
「強さ、は関係ないと思いますが」
不思議そうな初音に、帆澄は苦笑いで首を振る。
「価値観を変えるのは、今までの自分を否定するに等しい。それは辛くて苦しいゆえ、新たな考えを受け入れられず我を通すものを俺は幾人も知っている。素直でしなやかなのは初音さんの長所だ」
昨日に続く賛辞に、褒められ慣れていない初音はうろたえてしまう。どう返答しようかとおろおろしていると、棟馬が現れ帆澄の首に手を回した。
「だから、そういうのはふたりきりの時にしてくれないか?」
「どうしてだ。長所を褒めるのに人前もふたりきりもないだろう?」
「お前は自分がどんな面構えをしているか、分かってないだろ。無意識に甘さを垂れ流すってどれだけたちが悪いんだか」
呆れたように棟馬が目を眇める。帆澄が鬱陶しそうに首に回された腕をどけた。
そんなふたりを横目に涼がもち米を臼にいれ、一度厨に戻ると蓬生を持って戻ってくる。
蓬生は水で良く洗い、灰をとるため水にさらしてからさっと茹でた。冷めたところで、刻みすり鉢で擦り潰している。
茎が硬いので棟馬の力も借りた。どろりとしてきたら下準備は完了だ。
棟馬が蓬生ともち米を混ぜるように杵でこねたあと、気合の入った声をあげる。
「では、やるぞ」
ぺたん、と良い音が庭に響いた。
手に水をつけた涼が、合いの手のように餅を持ち上げ折りたたむと、再びぺたんと音がした。それが何度も繰り替えされる。
小気味よい音が庭先に響く。凍馬はもちろんだが、涼もどこか楽し気だ。
じっと見つめていたからだろう、汗を拭うのに手を止めた棟馬と目が合った。
「初音ちゃん、やってみる?」
「いえ、私はいいわ」
初音が微笑みながら、はっきり拒否を示す。それなのに、やはり棟馬はしつこい。
「大丈夫、初音ちゃんの手はつかないって」
ほらほら、と涼をどかせ臼の前に初音を連れていく。にこにこと嬉しそうにされると、初音としても断りにくい。
仕方なく傍に置いていた水の入った桶に手を入れると、帆澄が棟馬から杵を取り上げた。
「身体がなまっている。少し動かしたい」
「本当にそれだけが理由か?」
「そうだ、おまえはあっちに行っていろ」
棟馬が離れたところで、帆澄は杵を振り上げた。大丈夫かと心配する初音の前で、危なげなく帆澄がぺたんと餅をつく。慌てて初音も餅に手を伸ばした。
餅はずっしりと重く、柔らかく、温かい。
餅つきは初めてで、見よう見まねで下側から上へとこねると、帆澄がまた杵でつく。
慣れない初音に合わせているからか、棟馬たちに比べると随分ゆっくりとしている。
あまり遅くては餅が固くなってしまうが、棟馬も涼も何も言わず嬉しそうに二人を見守っていた。
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