第20話 新しい生活.2
初音が襖をしめると同時に、帆澄は深く息を吐いた。
「盗み聞きとは悪趣味だな」
視線を向けた先の窓ががらりと開き、棟馬が顔を出す。
「俺がいると分かったうえで、口説くとはなかなかやるなぁ」
「何の話だ? 俺は口説いてなどいないぞ」
帆澄の口調はいたって真面目だ。嘘でも誇張でもなく本当にそう思っていると察した棟馬は、身をのけ反らせる。
「それが本音なら、相当な罪作りだぞ」
そう言うと、窓枠を越え部屋に入ってきた。一応、草履は脱いだらしく、素足で畳を歩くと帆澄の前で胡坐をかく。
「お前、初音ちゃんのことをどう思っているんだ」
「ちょっと待て、どうして急に呼び名が親し気になっているんだ?」
「帆澄が寝ている間にいろいろとな。で、どうなんだ?」
いろいろとはなんだ、と帆澄はぼやきつつ答えた。
「妹のような存在だ。ただ、実際に会って、随分大人になったと思った」
「それだけ?」
「そうだ」
「それだけの感情で見守ってきたのか? 身を挺して守ったのか?」
当たり前だとばかりに帆澄が真顔で頷いたので、棟馬は深いため息を吐きながら額を押さえた。
「だったら、どうして初音ちゃんに髪飾りを贈ったんだ? あのリボンを外して欲しいからじゃないのか?」
まるで幼い子に道理を教えるかのような口調だ。
穂澄は魍魎を通じ、初音が毎日身に着けているリボンが、春人からの贈り物だと知っている。指摘され、帆澄が顎に指を当て唸った。
「それは……自分でも理由が分からないが、あのリボンを見ると苛立つんだから仕方ないだろう」
だからその気持ちが、と棟馬は畳みかけようとするも、開けた口を閉じる。妖を滅してばかりで色恋と縁のない男だったと、諦めの境地に至ったようだ。
項垂れる棟馬に、帆澄は本題を切り出す。
「で、妖狐の動きはどうなんだ?」
「相変わらず地方で阿紫霊や地狐が頻出している。何を企んでいるのか不明だが、分家がこぞって地方に向かわされているこの状況は良くない」
帝都に残る破魔の力を持つ人間は、今や初音、帆澄の他に数人程度だ。
「初音ちゃんの足の傷はほぼ治ったが、問題はお前だな」
「なに、明日には身体が動くようになるだろう」
「動くが、全快ではないぞ」
棟馬が念を押す。帆澄は問題ないとばかりに左手を振り、布団に横になった。
「寝ていれば治る」
「それで治れば、俺はいらない」
「お前のいいところは、薬草に長けているだけではない。信用しているぞ」
「あぁ、そうかい。帆澄は妙なところで人っ垂らしだな」
そう言いながら、棟馬は後ろに手を付き天井を見上げた。
帆澄の無自覚な口説き文句に真っ赤になっている初音の顔を思いだし、思わず口が緩む。気長に楽しむことにしよう、そうぼやいた棟馬の言葉は、布団に遮られて帆澄の耳には届かなかった。
*
初音は二階の自分の部屋の襖を閉じると、ぺたんとその場に座り込んだ。
まだ赤い頬に手を当て、ふぅ、と息を吐く。
(帆澄さまは、私に理解してもらおうと思って、長屋へ連れていってくれたんだ)
みせかけだけの夫婦になるのだとばかり思っていたが、帆澄はきちんと向き合おうとしてくれている。ならばそれに誠意をもって答えるべきだろう。
そう決意し顔を上げると、窓に映る自分の姿が目に入った。その髪には春人に貰ったリボンが結わえられえている。さぁ、と顔から血の気が下がった。
(お守りの中の魍魎を通して見ていたなら、帆澄さまは、これがリボンの送り主を知っているのでは……)
自分はなんて不義理なことをしてしまったのかと、頭がくらりとした。
春人のことを好いていたのかと問われると、即答できない。ただ、結婚したら自分をひとりの女性として見てくれるだろうと期待していた。
恋慕と断言できないまでも情はある。だから餞別にくれたリボンは初音にとって特別なもので、それこそお守りのように毎日身に着けていた。
でも、帆澄の真摯な気持ちを知った今、これを結んでいるわけにはいかない。
初音は急いで髪のリボンを解き、丁寧に畳み引き出しにしまった。そうして代わりに帆澄から貰った簪を手にすると、部屋の片隅にあった鏡の前に座り、髪に挿してみる。
濃紺の簪は初音の髪に溶けこみ、桜の花が髪に散ったようだ。
「綺麗……」
少し大人びた意匠だ。これなら年上の帆澄の横を歩いても、見劣りしないかもしれない。そんなことを考えていると、襖の前に妖の気配がした。
「青女房、入って」
声をかけると襖が開き、青女房が顔を出した。すすっ、と畳の上を滑るように移動すると、初音の前できて小さな陶器の器を手渡す。中には棟馬が薬草で作った軟膏が入っていた。
「薬を塗る時間ね。ありがとう」
初音の言葉にびっくりしたように、青女房が顔を上げる。
いつも俯いていたので、見えるのは髪の間から覗く青白い肌と、落ち窪んだ目だけだった。初めて青女房の顔を真正面から見た初音は、ぽかんと口を開け固まってしまった。
「……あなた、そのような顔をしていたの」
うりざね顔に、細く涼し気な目元。儚げなのに香るような色香が漂う美人だった。
恥ずかしそうに青女房が両手で顔を隠し、俯く。
「突然ごめんなさい。でも、あの、よければ、もう一度顔を上げてくれない?」
初音から命じられたことはあるが、頼まれたのは初めてだ。青女房は戸惑いがちに両手を下ろし、おずおずと視線を上げた。
やはり美人だ。陰鬱に見えていたのは、顔を隠すように落ちた髪の影のせいだったのだろう。初音は長屋で出会った妖に名前があったのを思い出し、青女房に問いかけた。
「あなた、名前はあるの?」
「……はい。涼と、言います」
初めて聞く青女房の声だ。質問しておいてなんだが、声を出せると思っていなかった。少し低めの落ち着いた声音は、しっとりとして耳に心地よい。
「そう。では、これからは涼と呼ぶわ」
涼の細い目が丸くなり、信じられないとばかりに目を瞬かせた。
「あたしのようなものの名を、呼んでもらえるのですか?」
「涼さえよければ。それに、会話もできたのね」
印を結んだ妖は話さない、というのが八重樫の常識だった。
でも考えてみれば、棟馬はうるさいほど話かけてくる。昨日なんて「初音ちゃん」と呼ばれた。慣れ慣れし過ぎて指摘すらできないでいると、さらに何度も呼んでくるので閉口したものだ。
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