第22話 新しい生活.4

 餅がつき上がったところで木桶に移し、縁側で丸める。

 涼が仕込んでくれた小豆で、餡子も作ってあった。蓬生に餡子、最高の組み合わせだと初音の口角が上がる。

「やけに嬉しそうだな」

 すかさず帆澄に指摘され、初音はあっ、と頬を赤らめ恥ずかしそうに肩を竦めた。

「実は、蓬生餅も餡子も大好きなんです」

「知っていた。だが、つきたては食べたことがないんじゃないか?」

 この時期、八重樫の家では餅をつく。だけれど、妖を封じるのに忙しい初音は、つきたてを口にする機会がなかった。

 父と春人、使用人でついたという餅を、一人居間で食べていたのを思い出す。

 そんな寂しさまで共有してくれていたのだとしみじみする初音の横で、帆澄がしまったとばかりに顔を歪ませた。

「すまない。初音さんの日常を覗き見していたわけではないのだ。だが、初音さんがいつ勅令を受けるか分からないので、どうしても、止む無くたまに、生活を垣間見る瞬間があって、だな」

「はい。見守ってくださっていたのですよね」

 しどろもどろの帆澄に、初音はにこりと微笑む。その無邪気な笑顔が、却って帆澄の良心を痛めるともしらずに。

 痛む胸元をぐっと押さえた帆澄の背中を、棟馬がばしりと叩いた。

「初音ちゃん、怒っていいんだよ。覗き見なんて紳士の風上にもおけない悪行だ。いやらしいにもほどが……いたっ」

 今度は帆澄が棟馬の頭を叩く。べしっといい音がした頭を撫でながら、棟馬が口を尖らせた。

「本当のことじゃないか」

「決して、断じて、そのようなことはない」

「いやいや、それは無理があるだろう」

 睨み合う二人の前に、呆れ顔の涼が皿を並べる。

「お二入りとも良ければお召し上がりを。お腹が空いているから、喧嘩するのですよ」

「いや、涼、これは喧嘩では」

「やった。餡子までつけてくれているぞ」

 棟馬が嬉々として餅をつまみ頬張ると、心底おいしそうに頬を緩めた。

 涼が初音にも皿を手渡す。こちらにはちゃんと箸も添えられていた。

「どうぞ、お召し上がりください」

「ありがとう」

「うまかった」

 すでに食べ終えた棟馬が、目の前にあるさっき丸めたばかりの餅をひとつ、追加で皿に乗せる。

 初音は餡子を餅にのせ、箸で持ち上げかぶっと口にする。とろーん、と餅が伸びた。なかなか切れないそれに苦心しながら咀嚼すれば、蓬生の良い香りが鼻から抜ける。

 ほくほくと温かく、柔らかい。頑張った甲斐があったと初音が頬を緩め食べる姿を、帆澄が目を細め見守る。

「帆澄、食べないのか? 俺がもらってやろうか?」

「食べるに決まっているだろう。元気になったら腹が減って仕方ない」

 棟馬が帆澄の餅に伸ばしてきた手を、帆澄が払い落とす。そうして左手でもちを摘まむと、大きく開けた口で半分頬張った。

 その食べっぷりに初音が目を見張る中、帆澄はさっさと咀嚼し残り全部口に押し込む。さすがに頬が膨らんだが、それもあっという間に平らげた。

「食欲があるのは良いことです」

 初音も残りの餅を口にする。餡子も甘すぎず、粒が残っていて初音好みだった。

 せっせと一人手を動かし餅を丸める涼にも食べるよう勧めると、心底嬉しそうな笑みが返ってきた。

 その顔を見て初音はふと思い立ち、前に座る帆澄に声をかける。

「帆澄さま、お願いがあるのですが」

「なんだ?」

「長屋の妖にこの蓬生餅を届けたいのですが、いいでしょうか? あの時、せっかく祝ってくださったのに、私、飛び出してしまいました。お詫びにと考えたのですが、厚かましでしょうか」

 予想外の提案に帆澄は目を丸くしたのち、口角を上げた。

「いや、あいつらも喜ぶだろう。これを食べたら一緒に出かけよう」

 その会話を聞きながら、涼と棟馬はそっと目配せをする。

お互いに憎からず思っているのに、自分の感情に鈍感すぎるこの二人は、相当時間がかかるだろう。

 ゆっくり楽しもうと、妖二人の目は笑っていた。


 土手を歩き階段を下り、暫く進むと長屋が道の脇に増えてきた。

その行き止まりにあるコの字型の長屋の敷地に足を踏み入れれば、なつみが目ざとく見つけ駆け寄ってきた。

「帆澄さま、また来たの?」

「酷い言い草だな。あざみは?」

「今日は仕事に行ったよ」

 なつみは黄色の格子柄の着物の裾をたくし上げていた。手と足が濡れている。洗濯をしていたのだろう。

 道中、なつみは人間と妖の半妖だと帆澄が教えてくれた。父親は亡くなり、今はあざみ一人で育てているらしい。だから妖気に違和感を感じたのだな、とお思いつつ初音が身をかがめ声をかける。

「こんにちは」

「お嫁さんだ! もう元気になったの?」

 なつみの問いに困惑していると、帆澄が助け船を出してくれる。

「この前は体調が悪くなったので帰ったが、今日は元気だ」

 そういう理由にしたのかと察し、初音は改めてなつみに向き合った。

「心配させてごめんなさい。もう大丈夫よ」

「そう、良かった」

 にっこり笑うと、今度は目ざとく帆澄の持っている岡持ちを指差す。「それは?」と聞くので帆澄が蓋をとって中を見せる。

「うわぁ、蓬生餅だ!」

「皆で分けてくれ」

 子供らしい歓声に、帆澄があたたかく笑う。と、初音が「あっ」と声を上げ口を押さえた。

「帆澄さま、餡子を忘れてきました。取りに戻りましょうか?」

「いや、必要ない。他の者が作った餡子をここに持ってきたら勘助が怒るからな」

「勘助、という妖もこの長屋の住人ですか?」

「ああ、小豆とぎだ。この前会ったひょろっとした男だが、覚えているか?」

 そういえば、初老の女性と一緒になつみの家を訪れた男がいたな、と思い出す。

 手足が細く、肩まであるくせ毛を首の後ろでひとつに纏めていた。目立った皺はないがどこか老成した雰囲気をしてた気がすると記憶を呼び戻していたら、一番手前にある家の引き戸ががらりと開いた。

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