第11話 出会い.5

 食事の片付けが終えた初音が腰巻を解いていると、玄関先で「ごめんください」と男の声がした。初音が裏口から出て庭を回り向かうと、扉の前で軍人が立っている。

 軍服の肩に垂れる紫紺の房は、彼が帝直属の軍人である証拠だ。勅令を持ってくる軍人の顔は幾人か見知っているが、全員、肩に同じ紫紺の房が付いている。

「これを」

「畏まりました」

 差し出された手紙を初音は両手で恭しく受け取る。

 軍人は指先まで伸ばした手を額の横に当て敬礼をすると、踵を返し帰っていった。

 必要以上に言葉を交わさないので、彼が手紙の中身を知っているか初音に分かりようがない。

 手紙を見れば、上質の和紙に宮應帆澄の名が大きく掛かれている。

 初音は玄関から家に入ると、居間で一服をしている帆澄のもとへ向かい、長机に手紙を置いた。

「勅令です」

「客の声を聞いてそうだと思った。棟馬が受け取るだろうと玄関へ行かなかったが、初音さんが受け取ってくれたのか。すまない、手間をかけた」

「いえ、そんな。手間、というほどでは」

 八重樫の家で、当主の父親自ら玄関まで赴くことは、まずない。だから、帆澄が立ち上がらないのも当然だと思っていたので、謝られるとは思わなかった。

 帆澄は厳しい顔で、手紙を開ける。

「……」

 暫く無言で目を動かしていた帆澄だが、途中から何やら考え込むように口をへの字にした。

 初音が帆澄の勅令を読む姿を目にするのはこれが初めてではない。だがこんな風に表情を変えるのは珍しく、思わず口を挟んだ。

「難しい案件でしたら、私も同行いたします」

 父親から、八重樫の方が優れていると示せと言われたからではない。純粋に助けられたらと思ったからだ。

「……いや、そうではない。難しくはないのだが」

 そこで帆澄は言葉を区切り、宙を睨む。

 考え込むように指を顎に当てたのち、うん、と頷いた。

「そうだな。初音さんに知ってもらういい機会かもしれない」

「私にですか?」

 何をと首を傾げる初音に、帆澄は手紙を差し出す。受け取り読んだ初音は、ますます傾ける首の角度を大きくした。

「たしかに難しい案件ではありませんし、普段なら分家に命じられる類いのものです」

 だからこそ帆澄は自分に何を知って欲しいのだろうと、疑問が膨らむ。

 勅令は、『妖らしいものが住む長屋があるので、調査して欲しい』という内容で、特段目新しくもなかった。

「今、帝都周辺で妖狐の出没が増えていて、分家はそれに駆り出されている。だから俺に勅令がきたんだろ。ま、考えようによっては運が良かったとも言える」

「運がいい、ですか?」

 どういう意味だろう。だけれど帆澄は、今は初音の疑問に答えるつもりはないようだ。

 となると、件の長屋に着いてから話すのだろう。そこで初音はポンと手を叩いた。これしかない。

「妾? いえ、隠し子がその長屋にいるのですか?」

「……どうすればその結論に至るのだ?」

 眇めた目と冷ややかな声が返ってきた。

十七歳の小娘である自分と違って帆澄は二十五歳、妻どころか子供がいてもおかしくない年齢だしと考え至ったのだが、初音は気まずく視線を逸らす。

 ただ、どこかはっきりしない物言いは何か隠しているとしか思えない。

 帆澄が深いため息を吐きながら立ち上がった。

「急ぎではない。天気も良いので歩いていくぞ」

「はい」

 何にせよ、帆澄の新たな一面を見れるのだろうと初音も腰をあげる。

 こうしてふたりは勅命のあった帝都の南へと向かうことになった。


 明確な線引きはないが、主に帝都の北西部を八重樫が、南東を宮應が担っていた。

 だから、初音が南の長屋に足を運ぶのはこれが初めてだ。

 帆澄の家を出て川のある方へ進み、土手を川下へ進み折れた場所に長屋があるらしい。

 春めいてきたとはいえ、帰りは夕暮れになりそうなので、肩掛けも羽織った。ただ、帆澄から長刀は持たないで欲しいと頼まれた。

 妖がいるかも知れないと思うと少々心許ないが、もとより初音に来た勅令ではない。黙って言うことに従ったが、封じ紙だけは懐に入れた。

 土手に向って前を歩いていた帆澄が、肩越しに振り返りながら声をかけてくる。

「そういえば、初音さんはいつもは袴姿だな」

「着物ではいざという時に動きずらいですから」

 そういう帆澄は藍灰色の着物を着流しにしている。勅令に赴くときは洋装が多いが、あれは動きやすさを重視してかも知れないと初音は思う。見たところ、帯刀もしていない。

 宮應は破魔の力を込めた刀で妖を滅すると聞いたので、今日は本当に偵察だけのようだ。

 帆澄の屋敷から土手へ向かう通りには職人が多く住んでいるらしい。

 トンカチやのこぎりの音があちこちから聞こえる。開け放たれた扉の向こうでは、イグサを編む男がいた。

 時折、その軒先に木箱や机がちょこんと置かれ、商品が並んでいた。

家具を作っている家の軒先に、熊の彫刻や簪など統一感のない品が並んでいるのが面白い。余った木材で職人が暇つぶしに作ったのだろう。

 初音が横目でそれらを眺めていると、帆澄が足を止めた。

「気になるなら見て行くか?」

「勅令が来たのに寄り道は、駄目ではないでしょうか」

「火急の内容ではない。少し覗くぐらい問題ないだろう」

 そう言うと、さっそく近くの軒先に足を向け、並んでいた櫛を手にした。

「これはどうだ」

 手渡された櫛からはヒノキの匂いがした。彫られている柄は桜だろう。

「可愛らしいと思いますが、どなたに差し上げるのですか?」

 心底不思議そうに尋ねる初音に、帆澄はうっ、と喉を詰まらせた。

「……初音さんに、と思ったのだが。いや、いい。忘れてくれ。あなたにはその髪飾りがあったな」

 初音の手から櫛を取り、帆澄はそれを元の場所に戻した。気まずい沈黙に、申し訳ないことをしたと初音が罪悪感を感じる。

 嫌だったわけではない。だけれど、一定の距離を保った夫婦になると考えている初音には、帆澄が差し出した櫛の意味が本当に分からなかったのだ。

 この場を取り繕わなくてはと、初音はきょろきょろとあたりを見回した。だけれど、買い物も経験がない初音には、こういうときに何を買うべきか検討もつかない。

 妖を封じることだけを期待され、それに応え続けてきた初音に趣味なんてないし、自分が何を好むのかも分からない。

 考えあぐねていう内にふたりの少女が横に来て、さっき戻した櫛を手にした。「可愛い」「こちらも素敵ね」という会話に、年頃の少女はこういう反応をするものなのかと頷く。

 でも、頷いているうちに道の真ん中へと押し出されてしまった。もうあの櫛へ手が届がない。

「行くか」

 そんな初音の様子を見た帆澄は、櫛には興味がないのかと先を促す。

 初音もまた少女ふたりに気圧されその場を離れたかったので、素直に首を縦にする。そうして歩き出しすと、少し先にある軒下の長机が目に留まった。

 置かれていたのは硝子で作った器や帯留めといった小物類だ。器には「少々難あり」の札が立てられていた。難のあるものを堂々と売るなんてと興味が湧き、足がそこに向かう。

「形がいびつ、なのかしら?」

 さすがにヒビの入ったものは売っていないだろうと、珍しそうに眺める初音に「それはお弟子さんが作ったのよ」と奥から声がかかった。なるほど、そういうことかと会得する。

 顔を上げれば、四十代ほどの女性が笑っていた。

「その硝子品は試作品。綺麗でしょう?」

 帯留めや、簪の先にある硝子玉のことを言っているらしい。「はい」と強引に手渡された簪には丸い濃紺の硝子玉がついていた。桜が可憐に散った意匠の硝子玉に初音はほぉ、と感嘆する。

「綺麗」

 夜桜を彷彿させる。実家の門を潜ってすぐ横にある桜を思い出した。

 妖を封じ帰った夜、初音はいつもそこで足を止める。今日も無事に帰って来れたとほっと一息しながら、木を仰ぎみるのだ。春には桜、夏は葉桜、紅葉に枯れ枝と季節とともに姿を変える木だが、夜桜が初音の一番のお気に入りだった。

「では、これにしよう」

 横から帆澄の手が伸びた。

「えっ、あの。そういうつもりでは」

「二度も断られるのはさすがに辛い。嫌ならつけなくても良いから貰ってくれ」

 帆澄は袂から財布を取り出すと、女性にちゃりんと銅貨を手渡した。そうして、簪を包むように頼む。

「あ、ありがとうございます」

「大した金額じゃない」

 帆澄がふわりと口元を緩めた。その顔に胸がとくんと跳ねた。

 なぜか帆澄は初音を大事にしてくれる。宮應のやり方を貫くといった一方で、八重樫の名を名乗ってもいいと言う。初音に理解を求めず強制もしないが、ひとりの人間として尊重してくれる。

(何を考えているのか摑めない)

 考えた末、初音は前を行く帆澄の背中に問いかけた。

「どうして私に親切にしてくださるのですか?」

「勅令とはいえ、縁あって一緒に暮らすのだ。八重樫と宮應、それぞれの考えや思惑はあるだろうが、俺は初音さんといがみ合いたいわけではない」

「私も、そう思います」

「それは良かった。それから、最近棟馬とよく話をしてくれるだろう。それが俺は嬉しいんだ。だから、今日長屋へと誘った。ところで、八重樫の家では、妖についてどのように教わったんだ?」

 ふいに聞かれ、初音は当然のように祖父母から教わった内容を話す。

「人を害するもの、悪鬼。それを亡ぼすのが我ら八重樫の天命だと教わりました」

「では、幕府中期から妖の数が減った理由は? それが幕末増えたのは何故だ?」

「理由、があるのですか?」

 幕府時代は、今より妖を狩る者も多かった。八重樫、宮應を筆頭に、今はもう力を失った一族の名前が幾つか頭に浮かぶ。幕府中期に妖の数が減ったのは彼らの活躍によるものだろう。そう言えば、帆澄はかぶりを振った。

「妖は人の邪気を喰うのだ」

 初めて聞く言葉に、初音の足が止まる。

 邪気を喰う? そもそも妖は邪気そのものだ。意味が分からない。

 帆澄も足を止め、身体ごと初音と向き合った。

「戦乱の世では、企み、妬み、僻みといった邪気が蔓延していた。妖は邪気を体内に取り込み妖力を増し、また邪気の影響で悪しきものへと姿を変える。先日の妖狐がいい例で、あやつらは神として敬われる場合もあれば、人を喰う妖として恐れられてもいる。前者が邪気を帯びてない妖狐で、後者が邪気を喰った妖狐だ」

「……そうなると、邪気を取り込んでいない妖は人を害さないということになりませんか?」

 つい、詰問口調になってしまった。だが、八重樫の教えとはまったく異なる、容認できない考えだった。

 ぎゅっと眉根を寄せる初音に対し、帆澄はあっさりと頷いた。

「そうだ。そう考れば、戦乱の世で妖の数が増え、幕府が平穏な時代を築くと同時に減ったのも説明がつく。十数年前からまた増加したのは、幕末の内乱が原因だろう」

 ここ数十年で妖の数が増えたのは間違いない。

 そのせいで、初音は幼いときから妖を封じることを強いられたのだ。

「俺は、妖本来の数に増減はないと考えている。時代によって人の邪気の量が変わったせいで、邪気を取り込み人を害する妖が増えただけだ」

「そんなこと……」

 二の句が続かない。妖が人を害する原因が、人の邪気という考えは初音にとって青天の霹靂で、信じられなかった。

 帆澄の話が正しいという証拠はどこにもない。だけれど、違うと否定できる根拠も初音は持ち合わせていなかった。

「私は、邪気を持っていない妖に会ったことがありません」

「本当にそうか?」

 唯一口にできる反論を延べたが、胸の中で何かがぐるぐると巡る。

(だって、そうじゃなきゃ、今まで私がしてきたことは。私が封じた妖は……)

 背筋がゾクッとした。足もとがぐらぐらして、鼓動が速くなる。

 棒立ちになった初音に、帆澄は言い過ぎたというように眉を下げこめかみを搔いた。

「行こう。日が暮れる前に帰りたい」

「……はい」

 ざわざわと騒ぐ胸を押さえ、初音は帆澄の鮫文様の背中を追った。


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