第12話 妖と人間
暫く土手を南へ向かって歩くと、帆澄は右手に現れた階段を指差す。
膝下程度の高さの竹手すりに土を踏み固めただけの簡素な階段をおりた先は、下町情緒が溢れる場所だった。
黒船が来航し十数年、帝都の中心には西洋風の建物が建設され、衣食にも西洋文化の影響が現れるようになったが、このあたりは幕府時代と変わらない。
土埃を足元に舞わせながら進んだ突き当りに、コの字型に並ぶ平屋の建物があった。
一棟に五つの間口が均等に並び、中央には共有の井戸がある。よくある長屋だ。
その井戸のつるべを握っていた女の子が、ふたりを見てぱっと顔を明るくした。
「帆澄さまだ!」
女の子がつるべから手を離し、井戸の中にぼちゃんと桶が落ちる音がする。でも、女の子はそんなこと気にもせず駆け寄ってきた。その勢いのまま体当たりするように帆澄の腰に抱き着く。これはきっと。
「隠し子ですか?」
「どうしてそうなる」
「心得ました」
「心得るなっ」
簪を買ってもらった。いがみ合いを望んでいないのも理解した。
でも、ふたりの婚姻が勅命であること、また契約なのに変わりない。初音にだって許婚がいた。初音よりずっと年上の穂澄に過去がない、はずがない。
「私を気遣ってそう仰ってくださるのでしょうが、大丈夫です。帆澄さまのように見目麗しい方なら左様なこともあるのでしょう。私との縁談は勅令ですし、お気になさらず。そういえば、目元のあたりがそれとなく似ています」
「他人の空似だ。頼むから俺の話を聞いてくれ」
神妙に頷く初音に、帆澄は目頭を押さえた。声に悲嘆が滲んでいる。
それに構うことなく初音はしゃがみ、女の子と視線を合わす。
女の子は切れ長の瞳をぱちりとさせると、にっと笑った。微笑み返そうと口角を上げた初音だったが、すっと表情を消すと女の子から間合いを取る。
「帆澄さま、これはどういうことですか。彼女は妖です」
懐に忍ばせている封じ札に手を伸ばそうとすると、帆澄に手首を掴まれ制された。初音が剣呑な目で帆澄を睨む。
初音の知っている妖とは少々違うが、目の前にいる女の子が人非ざるものであるのは間違いなかった。
腕を掴まれたまま視線を巡らすと、全部で十五個ある長屋の間口の向こうに、計十体ほどの妖の気配が感じとれた。数は多いが、強い妖力ではない。
長刀がないのは心許ないが、封の紙だけで大丈夫そうだと算段する初音を、帆澄が呼び止める。
「待ってくれ」
「どうして止めるのですか?」
心底意味が分からないと眉根を寄せる初音に、帆澄は腰を折り深く頭を下げた。
「しばらく何も聞かずに俺に付き合って欲しい」
「ですが……」
封じるべきだと言いかけた初音だが、顔を上げた帆澄の真剣な瞳に言葉が続かなかった。
帆澄は初音から視線を外すと、不思議そうにふたりのやり取りを見ていた女の子に声をかける。
「なつみ、あざみは家か?」
「お母さん? いるよ。呼んでこようか?」
「いや、できれば家にあげて欲しい」
帆澄の頼みになつみは頷くと、踵を返し奥の長屋へと走っていった。
勅令に書いていた妖とは、どう考えてもこの長屋にいるものだろう。
(帆澄さまは、彼等の存在を知っていて、どうして何もしないの?)
ぎゅっと奥歯を噛みなつみの背中を睨む初音の肩に、帆澄が手を置く。
「申し訳ないが、この場は俺に任せて欲しい」
「ですが……」
「勅命は宮應に来たものだ」
ぐっと、初音が次の言葉を呑む。たしかにその通りではある。でも、連れて来ておいて、いまさらそれを言うのはずるいとも感じた。
だけれど、帆澄がもう一度頭を下げたので、それらの感情をぐっと飲みこむ。年上の男が女に頭を下げるなど、初音の知る限りありえない。
「……分かりました。ですが、私や帆澄さまに害があると判断したなら、封じます」
「心得た」
神妙に頷く帆澄の意図が、初音にはまったく分からない。
だけれど、ここは任せるしかないと腹をくくり、帆澄と一緒になつみが入った部屋へと向かった。
長身の帆澄が背をかがめながら、先に戸を潜る。
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