第10話 出会い.4

 布団ごと初音を抱き込んだ帆澄はそれでもまだ起きる気はないようで、横向きに寝返った。初音はますます身動きが取れない。

「ちょ、ちょっと。あ、あの?」

 両手を動かしなんとか逃れようともがくが、帆澄の腕の中から顔を出すのが精いっぱいだ。

 さらに悪いことに、すぐそこに帆澄の美しい顔がある。頬がかぁと熱くなった。

 陶器のような肌から少し伸びる無精ひげが、なんだか余計に大人を感じさせた。太い首に喉ぼとけが小さく上下する。そこへ煙管の香りもするものだから、初音はどうしようもないほど動揺した。

(無理、無理、無理‼)

 春人とは手をつないだこともなかった。こんな風に抱きしめられるのは夫婦になったあとだと思っていたし、その考えは間違っていないと思う。

 わなわなと唇が震える。羞恥で目には涙が浮かんだ。

「ほ、帆澄さま!!」

 大声を上げると、帆澄は煩わし気に眉を顰めた。声は届いているようだが、起きる気配はない。

 初音がわたわたしていると、さっきまで吹いていなかった風が突如窓硝子を揺らした。

 ガタガタと揺れる窓の音が、どんどん大きくなる。

 割れるのではないかと心配したところで、やっと帆澄が異変に気付き目を開けた。

 ばちり、と視線がぶつかる。自分の腕の中で真っ赤になった初音と目を合わすこと数秒。

「う、うわっっ……わっっ」

 帆澄は物凄い勢いで飛び起きると、そのまま窓の方へ後ずさった。

 ゴン、と窓枠に頭が当たる良い音がする。

「ど、どうして初音さんがここに?」

「……あ、あのっ」

 身体が自由になった初音が、布団から這い出る。その顔は湯気が立ち上がりそうなほど赤面し、目は潤んでいた。

 布団の端を握りしめながら震える初音の姿を見た帆澄の顔が、さぁと青ざめた。

「えっ、いや。そんなはずは。ちょっと待て、思い出すから。いや、思い出すまでもなく、俺はひとりで寝て……」

 はっ、としたように自分の寝間着をパタパタと叩き、次いで初音に視線をやる。

 しっかりと袴の帯は結ばれており、襟元も裾も乱れていない。それに安心したかのように、帆澄は長く息を吐いた。そうして胡坐をかくと、いつもの帆澄の顔で問いかけてくる。

「初音さん、ところで、これは状況はどういう状況なのだろうか?」

 そう聞かれても、初音は答えを持ち合わせていない。だって、布団に巻き込まれたのは初音で、被害者なのだから。

 再び風が窓を二回叩く。帆澄はそちらに視線をやってから、初音に視線を戻した。

「もしかして、起こしに来てくれたのか?」

「ひゃい」

 動転が抜けきれないせいで間抜けな声が出た。布団から少し離れ改めて正座をするが、顔の火照りは静まらない。

 帆澄もやっと事態を把握したようで、深く頭を下げた。

「すまない。俺は寝起きが悪いらしく、いつも棟馬に布団をはがされ起きているんだ。だから布団を抱え込む癖ができて……」

「それで、私は抱かれたのですね」

「ちょっと待て、言い方! そうではなく。あぁ、兎に角すまない」

 胡坐をかいた姿勢で頭を下げる帆澄の額は、足にくっつきそうだ。

 恥ずかしかったが、年上の男にそこまで頭を下げさせるわけにはいかない。

「頭を上げてください。その、少しびっくりしただけですので」

「そうか。いや、それでも申し訳ない」

 帆澄は頭を上げるも、眉尻は下がったままだ。初音がどう言葉を続ければよいかと思案していると、廊下を歩く音がして襖が開けられた。

「起きたか?」

 ひょこっと棟馬が顔を出す。何かつまみ食いをしたのだろうか、頬が動いていた。

「どうしてお前が起こしにこなかった」

「たまには可愛らしい声で起きたいだろうと、主人を気遣ってみた?」

「なぜ疑問形なんだ。もういい」

 帆澄は立ち上がり、衛門掛けから縞模様の着物を取る。

 初音も続くように腰を上げ支度を手伝おうと手を伸ばしたが、食事を用意するようやんわりと断られてしまう。

 無理強いするつもりはないので言われたとおり部屋を出て厨に向えば、青女房がそこに立っていた。できた料理をどうすべきかと悩んでいるように見える。

「私が運ぶから、青女房は片付けを。それから、帆澄さまの洗濯物があるはずだから棟馬に聞いて洗ってさしあげて」

 青女房は言われたとおり、初音と入れ違うように帆澄の部屋へ向かった。

 初音はまだ焼いていなかった卵焼きを作り、ぱらっとあさつきを散らす。あさつきの味噌添えと卵焼き、昨日の残りのきんぴらを盆に載せ居間に運ぶと厨へ戻り、おひつやみそ汁も準備する。

 着替え終えた帆澄が座布団に座るのを見計らったかのように、朝餉の用意が整った。

「今日は豪華だな」

 帆澄の声がやや浮かれている。

「そうですか? いつもより一品多いぐらいです」

「卵焼きの色艶が良い。山菜が並ぶと春を感じる」

「お疲れでしょうし、たくさん召し上がってください」

「ではいただくとしよう」

 帆澄が丁寧に手を合わせ、箸を手にした。ふわっと焼いた卵焼きを割ると、内側からほくほくと湯気が立ち昇る。一口大のそれを口に入れ、ほふっ、と熱そうに、でも嬉しそうに食べる。

 その姿を見るのが、初音はいつしか楽しみになっていた。

 勅令で出掛けることの多かった初音は、ひとりで食事をするほうが多かった。食事自体は品数も多く豪華だったのだろうが、あまり味がしなかったのを思い出す。料理人は父親が選んできた人なので腕は確かなのだろうが、冷めていたのと疲れからそう感じたのかもしれない。

 美味しそうに食事をする帆澄に、頬が緩む。怪我をしていないかと心配していたが、元気そうだ。

「それで、変わりはなかったか?」

 帆澄から気遣いの言葉をかけられ、初音は目をぱちくりとする。大変だったのはきっと帆澄のほうなのに、と思いつつ、こくんと頷いた。

「はい。南の方で妖が出たと勅令があり向かいましたが、大したことありませんでした」

 現れたのは阿紫霊という妖狐の一種だ。

 妖が見えぬ人間でも、その存在を信じているかどうかは別にして、物語や昔語りで見聞きした経験が一度はあるだろう。

 だけれど、妖力によって阿紫霊、地狐、白狐、空狐、天狐と呼び名が変わるのを知るのは一部のものだけ。一番妖力が強いものを天狐といい、ここまでくると神や精霊として崇め奉られたりもする。

 初音が封じた阿紫霊は三匹。妖狐が群れるのは珍しいが、苦労はしなかった。

 食事の合間にそう説明すると、帆澄は箸を止め難しそうに眉根を寄せた。

「俺が滅したのは白狐だった」

「地方に白狐が出るのは珍しいですね。大丈夫でしたか?」

「あぁ、大きな怪我はしていない。それにしても最近妖狐が頻出するのが気になるな」

 比較的数の多い妖ではあるが、こうも続くのはあまりない。

 帆澄は暫く思案していたが「棟馬に命じるか」と呟くと、再び箸を動かした。

 何を命じるのか聞こうと思ったが、『俺は俺のやり方を貫く』と言われたことを思いだし、口をつぐんだ。

(帆澄さまも私と同じように自分の意志で婚約したわけではない。踏み込み過ぎないようにしなくては)

 初音は少し冷めたお味噌汁を飲む。

 この生活は居心地は良いが、時折、帆澄が引いた線がもどかしく寂しく感じてしまうのだった。


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