象徴のHI
大使館での任務を終えてから、ネプトの日々は妙に静かだった。
あの引き金の重みと、壁にこびりつく血の生温かい感触が、ふとした拍子に蘇る。
ひと息つくたびに胸がざわついた。
それでも、何度かニューロンドに足を運ぶ余裕はあった。
アナンケーとは週に一度ほど顔を合わせ、パンを一緒に食べたり、街角の聖堂でささやかな会話を交わした。
不思議と彼女の無邪気さに触れるだけで、血なまぐさい記憶から少し遠ざかれた。
だが、別れ際に何度か振り返る彼女の後ろ姿が、自分にはまぶしすぎるように思える日もあった。
基地に戻れば、すぐに現実に引き戻された。
通路で整備班の男たちがひそひそと声を潜めて話している。
「大使館の件、本当にすごいよな」
「ほとんど単独でやったって噂だろ。正にウィル・トールの再来!!だな」
──またか。
背筋が冷たくなる。
ウィル・トール。ソラリスの伝説的なパイロット。しかし、30年前に行方が分からなくなり、死んだといわれているが… もちろん自分はソラリスに入るまでその名を聞いたことはなかった。だからその人との関係なんてあるはずもなかった。
それでも人々は、自分にその幻影を勝手に重ねていく。
まるで「ウィルの再来としてではない。個人としてのネプト」には価値がないみたいに。
(僕は……ウィルではないのに)
口に出せず、心の奥で噛み殺した。
そんな苛立ちを抱えたまま、ダグラスに呼び止められた。
「おい、ネプト。少し顔見せろ」
地下の格納庫。
組み上がりかけた新型HIが銀色のフレームをむき出しにして鎮座していた。
ダグラスは分厚い手袋を外しながら語る。
「お前の要求で、神経負担は最小にしてるが……相当クセはあるぞ」
「……そうか」
あまり感情を込めずに返した。
横でエリナが資料を抱えて加わる。
「アルケちゃんにも助けられたし、結構苦労したんだよ~」
「アルケが……」
「うん。ネプトが無茶できるように、ちゃんと支えてくれてるんだから。声かけてあげてきなよ」
エリナが微笑んだ。
ネプトは黙って頷いた。
──
無機質な廊下を歩く。
心の奥に重たい石を抱えたまま。
けれど、どうしてもアルケの顔を見たくなった。
ノックをすると、すぐに返事が返る。
「どうぞ」
部屋に入ると、アルケは机に向かってペンを走らせていた。
散らばった設計図と古びたノート。
それでもこちらを向いたときには、柔らかい笑顔だった。
「悪い。邪魔したか」
「ううん、ちょうど休憩しようと思ってたところ」
「ダグラスたちから聞いた。無理しすぎるな」
「……つい夢中になっちゃって」
アルケは小さく笑う。
そしてネプトも、ようやく少しだけ笑い返した。
二人の間に、しばらく穏やかな沈黙が流れる。
HIの話はしない。
ただくだらないことを話した。
「この前さ」
「うん?」
「街でサンドウィッチっていうパンを食べた。なんか……ハムと、甘いソースのやつ」
「へえ、おいしかった?」
「……まあ。味はよくわからなかったけど、外で食べるのが新鮮だったし」
「そうなんだ」
アルケはくすっと笑う。
「今度、わたしも一緒に行ってみたいな」
「……ああ、そんな日が来てほしい。造らなきゃな、僕らが」
少しだけネプトの表情がほころぶ。
「でも、おなか壊さないようにしなきゃね」
「そんなに弱くないさ」
「ふふ、そうだね」
ほんのわずかの会話。
なのに、不思議と温かい。
自分がまだ、血と硝煙の向こう側だけに生きていないという証のように感じた。
「……本当に、ありがとうな」
ぽつりと落とした声に、アルケがそっと目を伏せた。
「……うん。いつでも話しに来て」
「じゃ、また」
「おやすみ」
ドアを閉めると、ほんのり漂うインクのにおいが残った。
人の声のある空間に触れた後の温度が、ネプトの胸をじんわりと満たす。
(ウィルの影じゃない。僕のままで……)
心の中でそう繰り返し、ネプトは深く息を吸って薄暗い廊下を進んだ。
軍用照明がわずかに瞬くその通路で、壁を隔ててわずかに聞こえる声に足が止まる。
「……予算が下りるのは、あくまで今回の陽動作戦が上手くいった場合だけだ。私たち政府も表立ってソラリスを支援はできんのだ」
「我々が目立たせる。地球の世論を煽ってやる。アウリアンやクリケトスの監視の目は、それで逸れる。」
声の主はルミナ。相手は姿から見るに政府関係者だろうか?
(なんだ……?目立たせる?)
ネプトは足音を殺して壁に身を寄せる。
「しかしねえ、今回の作戦で軍が封じられれば確かに我々は動きやすくなる。だが、君の仲間はどうなんだ?」
「問題はない。ソーラ・コア計画に不要な者は排除する。例え、同じソラリスの仲間だろうとね」
冷たい声にゾクリとした。
あれだけ正義を語り、異星の勢力に立ち向かっているように見えたルミナ。
だがその裏で、小さな戦争を意図的に仕掛けるなどという……。
(俺たちの戦いは……誰のためなんだ?)
喉の奥が詰まるようだった。
自分はウィル・トールの影に見られ、ソラリスの「英雄」として持ち上げられる。
だがルミナたちにとっては、便利に使える一枚の駒でしかないのではないか――
そんな不安が胸の奥を蝕む。
そのとき廊下の奥で、ルミナがドアを開けて出てきた。
「ネプト。いたのか。」
表情に変化はない。
だが、その瞳の奥は冷たい光を宿していた。
「任務の続きについて説明する。来なさい。」
(……ルミナ。あんたの本当の狙いは、何なんだ?)
ルミナから与えられた次の指示は、三日後の夜にニューロンドのはずれに位置する中継基地への侵攻だった。
「予定通り補給部隊が来る。その物資を確保しろ。」
ルミナの声は冷たく、機械めいた響きを帯びていた。
中継基地は一見すれば単なる軍の補給拠点だ。だが、そこの守備を担っているのはアウリアンをはじめとする異星種族を中心とした正規軍部隊で、その思想には「地球人を含めた全種族の秩序維持」という大義があった。
正義を信じ、ただ真面目に軍務をこなす彼ら。
それを、ルミナは逆手に取ったのだ。
補給基地を襲えば当然、防衛のために彼らは全力で迎撃に出る。
そしてその混乱の中で、ルミナたちは新たに仕入れる兵器を運び込む。
異星の目を欺き、さらに政府筋との裏取引の隠れ蓑とするための犠牲。
(……軍は、本当に純粋なんだろうな。)
胸の奥でネプトは小さく呻いた。
任務を前にした高揚感ではなく、苦いものが喉に張り付く。
補給基地にいる兵士の多くは、自分と同じように家族を思い、地球を思って志願した者たちだろう。
だが、そんな兵士すら「駒」として動かす。
ルミナのやり方に、恐ろしさがあった。
「ネプト。……任務に迷いはないわね。」
不意に、通信の向こうでルミナが問いかけてくる。
「……やるしかないんだろ。」
唇を強くかみ締め、短く答える。
(これが、残酷な現実……か。)
決行は三日後。
そのわずかな間に、ネプトは訓練を続けながらアナンケーやアルケと何気ない会話を挟んでいた。
けれど、どこか心の底に冷たい澱のように残るのは、あのルミナの冷酷な声だった。
二日後に迫った中継基地への襲撃。
だがネプトには、その日までに済ませておかなければならない大きな仕事があった。
自分が操縦する新型HI──ガーディアンの後継機ともいえる機体の組み上げだ。
フレームはすでに完成していたが、武装制御系の最終調整が残っていた。
工房にはいつもと違う張り詰めた空気が漂い、技術者たちは寝る間も惜しんで仕上げに没頭している。
ネプトは装甲に貼られたケーブルを点検しながら、ダグラスやエリナに声をかけた。
「どうだ。間に合いそうか?」
「間に合わせるさ。だがてめえが壊さない限りな。」
ダグラスはハンマーを握りしめながら笑い、オイルに汚れた頬をぬぐう。
「武装モジュールの接続も、あと二日で何とかできるはず。」
エリナが冷静に補足した。
ネプトはその様子を見て、小さく息を吐く。
(あの中継基地での戦いには、こいつを使うしかない……)
あの場所を守る軍は決して弱くない。自分ひとりの力では正面から蹴散らせないとわかっている。
それでも、道を開けるのは自分しかいない。
「夜までには終わりそうか?」
ダグラスはクマのできた強い目で「さてな、間に合わせてはみよう」といって持ち場へと戻っていった。
ネプトがふと、目をやった先にアルケの姿があった。
設計図をめくりながら、黙々と部品の配置を再確認している。
「アルケ。」
声をかけると、彼女は少しだけ顔を上げた。
「ネプト……大丈夫?顔色、良くないよ。」
「……ちょっと考え事してただけだ。君に言われたくもない」
ネプトは苦笑する。
アルケのそばには、紙袋に入ったパンの包みが置いてあった。
「そういえば……昨日サンドイッチ食べた。前に教えてもらったやつ。外に行った友達から買ってきてもらったの」
ネプトは少し安心したように鼻をかいた
「どうかした?」
「……ちゃんとお昼、食べているとわかって、うれしいのさ。」
アルケの声聞き、ほんのわずか優しさが心ににじむ。
それだけで、ネプトの張り詰めた神経が少しだけほどけた気がした。
(あと二日。……終わったらまた、こうやって他愛ない話をできるだろうか。)
小さく胸の奥で問いかける。
ルミナは決してこの計画を失敗させる気はないだろう。
補給基地を巡る戦いは、単なる作戦ではなく次のステップへの布石。
それを理解しながらも、ネプトは新型HIの鋭いラインを見つめ続けた。
小さく息をつき、ネプトは歩を進める。
薄い硝子の向こう、夜景の光がまぶしすぎるほどに滲んで見えた。
工房の薄い灯りの中、ネプトはダグラスとエリナに挟まれて図面をのぞき込んでいた。
設計中のHIは、全身のフレームがほぼ組み上がり、武装レイアウトの最終調整が残っている段階だった。
「……例のガーディアンと一緒に運ばれたビームソード、積む場所で揉めてんだ。」
ダグラスが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「そもそも重量バランスが悪い。腕に仕込むのは大きさの都合で無理だし、腰に収納すりゃ展開に時間がかかる。」
展開時にはフレームに覆われた内部から巨大なビーム刃を伸ばし、高出力で鉄製の装甲を紙のように切り裂くほどの威力を誇るビームソード。これは現代の技術では作れないものだ。
「でも、もし遠距離兵装が潰された時に使えるなら、搭載しない手はないわ。」
エリナは迷いなく言い切った。
ネプトは図面を見つめながら、ふと考える。
「……背中、どうだろう。マウントレールを少し伸ばして背部に収める。展開機構さえ工夫すれば、振り抜く動作も早くできるはずだ。」
二人は一瞬顔を見合わせ、エリナが小さくうなずいた。
「確かに……背中なら出力ケーブルの取り回しにも余裕がある。」
「仮にそこに置くとして、外装は薄くしておくぞ。」
ダグラスがタブレットを叩きながら、すでに設計案を書き足していく。
しばらく作業が進み、ふとエリナがHIの頭部設計に視線を落とした。
「……ネプト、このHI。顔、やっぱり一つ目のままでいくの?」
「そうだが?」
「軍は、人を象徴するからってわざわざ二つ目にするんだよ?あなたの機体は、一つ目で通すのは……異様だと思う。」
ネプトは小さく息をついた。
「いいんだ。」
「なんで?」
「……人間を象徴するのが目的じゃない。敵にとって、ただの恐怖の象徴であればいい。」
工房の空気が重くなる。
エリナは小さく苦笑した。
「本当にあんたは変わってるね。」
その言葉に、ネプトも笑い返した。
「変わっているんじゃない。そう見せているだけさ」
その笑顔の奥には、あの代表者の血が頭にまとわりつく記憶が今も冷たく息づいていた。
ダグラスがその空気をほぐすように声をかける。
「とにかく決めたな。背中にソード。異星技術も含めて、そいつがネプトの戦い方だ。」
「……ああ。」
HIのフレームには、ヴァルカリアンの小型リアクター、アウリアンのセンサー群も埋め込まれていた。
そして腰に収まるサイズながら、展開するとまるで大型の日本刀のように巨大なビーム刃を放つビームソード──背部マウント機構により戦闘中も瞬時に展開可能なその異質な武装が、最終的な切り札として収まる予定だ。
人の技術だけでは届かない領域に踏み込みながら、その姿はすでに「人の象徴」という範疇を超えていた。
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