オブリヴィオン

 新型HIの最終調整を終えたネプトは、そのまま作戦司令室に向かった。そこにいたのはルミナ。暗い照明の下で端末に見入るその横顔に、かつて抱いていた絶対的な信頼の影は、もうなかった。


「ルミナさん。話がある。」


 ネプトの声は低く落ち着いていた。

 ルミナは顔を上げると、淡々とした瞳で見返した。


「どうしたの、ネプト。」


「……俺は、あんたに確認したい。今までのあなたたちの活動も、この次の作戦も。全部、本当に人類のためなんだな?」


 ルミナの指がわずかに止まる。

 ネプトは続けた。


「ソラリス… 僕は異星人を地球から追い払うために協力していると、あんたは思ってるのか?」


 一瞬、ルミナの瞳に硬い光が走った。


「……ネプト。わたしは人類を護る。そのために必要なら、政府のために力を貸す。それだけだ。」


「それだけで済むか? ソーラ・コアには……人として生まれた命が詰め込まれている。ただ、死ぬためだけに。」

 言葉ににじむ怒りを、ネプトは必死に抑え込む。


 ルミナは深い溜息を吐き、椅子の背に体を預けた。


「ネプト。あなたには、まだわからない。異星人たちは地球を利用して、いずれ完全に支配する。人口太陽があれば、一度だけでも奴らを地球から引きはがせるの。わたしは、それに賭けるしかない。」


 ネプトは目を細める。

 ルミナは言葉を継いだ。


「……あなたの言うクローンたちの犠牲。それが痛ましいのは当然よ。でも、ウィルだって……」


 唐突に口にした名前に、ネプトはわずかに眉を寄せた。

 ルミナの声は震えていた。


「……ウィルだって、最後にはソラリスを信じて戦った。わたしは、あの人を敬愛していた。……愛していたと言ってもいい。だからわたしは絶対にソラリスを裏切らない。」


 ルミナの目が、一瞬遠くを見た。

 ネプトはその視線を正面から受け止める。


「……そうか。あなたの気持ちはわかった。」


 苦い感情を飲み込み、ネプトはゆっくりと頷いた。

 しかしその胸の奥には、ソラリスで死にゆく名も無きクローンの人間たちの声が刺さっていた。

 (悪いな、ルミナ。僕は……ソーラ・コアの起動だけは、止める。どんな手を使ってでも。)

 その決意を表には出さず、ネプトは表情を整えた。


「……じゃあ、任務に戻る。指示があれば言ってくれ。」


「ええ。期待しているわ、ネプト。」


 ルミナの声は淡々としていたが、その奥に潜む狂おしい使命感をネプトは確かに感じ取った。

 背筋をぞわりと走る恐怖を振り切り、ネプトは振り返らずに司令室を後にした。


 最終調整を控えた格納庫で、ネプトは一人、工具を片付けながらゆっくりと息を吐いた。


 整備棟の格納庫は、ほの暗いライトが巨大な人型兵器を浮かび上がらせていた。

 ネプトは格納された直立しているネプトの新しいHIのシルエットをゆっくりと見渡す。


 「……やっぱり大きいな。」


 頭頂高二十七メートル。

 格納庫の天井ギリギリまで届くその銀色の巨体は、どこか人間の意匠を削ぎ落したような硬質さを放っていた。


 隣には、また別の新鋭HIが立っていた。

 深い藍色の装甲にヴァルカリアンの有機曲面を融合させたような美しい外形。

 武装は大型の水冷式マイクロミサイルポッド、汎用のマルチビーム砲、それに前腕のブレードスパイクを内蔵し、制御フレームには最新のヴァルカリアン式バイオ制御材が用いられていた。


 ダグラスは今にでも倒れるような顔つきで青いHI を眺めた。

 「……あっちもすげえな。アルケが情報提供したらしい。ルミナが気を利かせて造らせたって話だが。」


 「名前は?」ネプトが問い返す。


 「プロミスティンだとよ。約束、って意味らしい。」


 「約束……」

 ネプトは少し笑う。あのアルケらしい名前の選び方だと感じた。


 ダグラスは肩をすくめて言う。

 「どっちにしろ、てめぇの機体も名前くらい決めとけ。新型Oだとか新造Hiじゃ呼び勝手が悪い」


 銀色の巨体を見つめて、ネプトは短く答えた。

 「オブリヴィオン。」


 「物騒だな。」


 「……忘却って意味だ。だけどただ消えるという意味じゃなくて、自分の傷も恐怖も全部抱えて先に進む。そんな風な名前だ。」


 「理屈くさいが、お前らしい。」


 ダグラスはそう言って、巨大な機体を見上げる。

 「しかしまあ……でけえ。昔のHIの二回りはあるな。」


 ネプトも視線を上げる。

 オブリヴィオンの一つ目の光学センサーが、どこか自分を試すように沈黙していた。

 アルケの趣味が色濃く反映されたプロミスティンの優美さとは対照的に、オブリヴィオンのその顔には余分な装飾がない。

 人を象徴する「二つ目の顔」をつけなかったことを、また思い返す。


 「やはり二つ目の顔はいらないな。人間の真似をする必要はない。あいつは、俺の……俺そのものだものな」


 ダグラスは少し黙って、その後で笑った。

 「変わってんのな、お前は。」


 「……そうかもな。」


 鉄骨の隙間を抜ける風が、二機のHIをかすかに揺らす。

 そしていよいよ、決戦の日が迫っているのだと改めて実感させられた。


 ネプトは自分の拳を見つめた。

 相手の動きや呼吸のわずかな揺らぎを読み切り、肉体でねじ伏せるあの戦い。

 苦しく、重たく、血のぬめりが指にこびりつくあの感触。

 確かに相手を仕留めたのは自分の意志だった。

 けれど──何かを失ったのは、むしろ自分だった気がしてならない。


 「……ネプト。」


 背後から聞き慣れた声がして、振り返るとエリナが立っていた。

 その手には、どこかで拾ってきたのだろう、歪んだ小さな飛行機のオブジェ。翼は片方が根元から折れ、まるで空を飛ぶ夢をあきらめたように見えた。


 「拾い物だけど……これ。」

 そっと差し出される。


 ネプトは黙ってそれを受け取った。

 指で表面をなぞると、かすかな塗装のはがれが引っかかる。

 (……俺自身も、そうなのかもしれないな。)

 心の中で思う。


 「塗装くらいならしとくよ?溶接とかはできないんだけどさ。ははは…」

 エリナの声は、不器用ながらもあたたかかった。


 「……ああ。ありがとう。でもいいよ。これはありがたく持っておくさ」


 ネプトはかすかに笑い、折れた翼のオブジェを手にしっかりと握った。

 胸の奥で静かに決意が形になる。


 (壊れたって、やり直せる。オブリヴィオンだって……何度でも。)


 「いよいよ、今夜。アルケちゃんもあなたと一緒に戦うために昨日からずっと休んでる。あなたもちゃんと休んでよね」


「ああ、作戦開始までは休むことにするよ。」


 エリナが整備班へ戻ってゆく足音が遠ざかり、格納庫にはまた静寂が戻る。

 ネプトはオブリヴィオンの胸装甲を見上げた。


 もうすぐだ。

 この機体で挑む次の作戦が、確実に今後を変える。


 (ガーディアン……お前の強さは忘れない。けど俺は俺のやり方で行く。)


 まるで飛べなくなった飛行機が再び羽ばたくように。

 ネプトは、次の戦いに向かって前を向いた。


 (オブリヴィオン……共に行こう)


 そして──作戦開始時刻が、もうすぐに迫った


 格納庫のが少しずつ明るくなり、光の中にオブリヴィオンの姿が現れる。

 決戦は、もう目前だった。

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