4. 空調壊れてんのかな

 音楽室には、焦げたような匂いがわずかに残っていた。

 カーテンは裾の一部が焼け落ち、床には煤が散っている。


 壁には這い回るような傷が残されていた。


 辺りの熱気。何かが荒らしていた気配が、うっすらと残っている。 

 


「学校はやめてほしいんだけどなぁ……」


 東堂倫は壁を見て嘆息する。

 制服の袖に黒い汚れ。額の端に汗。


 静かに息を整える。

 ポケットからイヤホンを取り出し、耳に押し込むと、僅かに表情を緩める。


 外れかけたドアが軋む音。

 近づいて蝶番を覗き込み、肩をすくめた。


 んー、と考えるような息を漏らす。


 鞄から工具箱を取り出し、しばらくネジを締め直していると、焦げたカーテンが目についた。


「こっちもバレバレだ……」


 鞄の奥から取り出したのは、手のひらほどの万華鏡。緑の刺繍で装飾された表面は丁寧な幾何学模様が施されていた。


 片方だけイヤホンを外し「頼むね」と声をかける。

 万華鏡が返事をするように光った。


 ポンと平手で叩いた後に机の上に置かれたそれは、すぐに強い光を集め始めた。


 次の瞬間、教室全体に薄い映像が投影される。

 ――傷のない壁、真っ白なカーテン。

 それらが、空間に上書きされていく。


 傷跡も煤も、カーテンの焦げも、ゆっくりとその下に隠れていった。


 廊下から中を見られても、これなら異変には気づかないはず。


 東堂は万華鏡を確認すると、その場を離れ、ドアの修理に戻った。


 ◇◇◇


 教室の中、万華鏡は投影し続ける。


「……壊れてるの?」


 入り口で誰かが東堂に声をかけた。


「これ? 備品管理委員のオシゴト……」


「それはそれは、お疲れ!」


「ホントお疲れだよ。こっちもガタついてんだよね」 


 その時


 万華鏡が、ポンッと小さな音をさせ、僅かに黒い煙を立て始めた。

 東堂だけがちらりと教室を見やる。


 やがてドアが東堂の手で閉めれられた。

 煙とも霧ともつかないそれが、瞬く間に部屋全体を覆い隠す。


 黒煙が床を這い、壁に周り、やがて扉の隙間に触れた。

 ギィ……と音を立てて、ドアがひとりでに開いた。


 「……また開いてんじゃん」


 万華鏡の主がまた扉を閉じる。


 筒は細い霧をしつこく出し続けた。


 次に、扉が空いた時、彼は素早く万華鏡を叩いた。小さく囁く。

「ヤバいって、……もうちょい頑張れ」

 

 一瞬で煙が吸い込まれ、また教室を映し出した。


 扉の向こうで、東堂はしれっと答えた。

「……空調壊れてんのかな」

 しゃがんでネジを締める振りをして、六花から視線を逸らす。

 言葉に焦りが混じっていたのを知る者は、本人と万華鏡だけだった。

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