第19話 命の重さ 責任の重さ
新顔の入店に、酒場の外まで聞こえてきていた喧騒が止んだ。
常連客たちの視線がスミカとその護衛に注がれる。
スミカはできるだけ堂々とした態度で最奥のカウンターに向かった。護衛たちも全身から殺気を放ち周囲を警戒する。
『……いらっしゃい』
でっぷりとした体つきの店主が、カウンターテーブルに腹を載せた格好でぶっきらぼうに言った。声はノイズ混じりでザリザリとした質感だった。喉に巻かれた古い人工声帯のせいだろう。
骨董品に片足を突っ込んでいるような古いサイバネに内心驚きながら、スミカはカウンターの前に立った。視線は店主である中年男性の目をまっすぐに見据えている。
『ご注文は? ビールは小瓶で200、大瓶で500だよ。軽食が欲しけりゃ、そこのメニュー表を見な』
スミカは店主の言葉を無視。カウンターを指でトントンと叩き余裕たっぷりの態度で質問した。
「いいえ結構。それよりも配達をお願いしたいの。上、やってる?」
店主は眉間にシワを寄せてスミカをまじまじと見た。普段なら勘違いした観光客など叩き出すところだが、少女の背後に立つ護衛がそれを許しそうになかった。
『そっちの階段から上がりな。あんたらのことは伝えておく。……行儀よく頼むぞ』
店主は顎をしゃくって左手の階段を示した。
「行儀よく、ね」
護衛の一人を階下で待たせ、スミカは階段を上がった。狭い廊下にチンピラが二人立っており、スミカの姿を認めると廊下の右側にある扉を開けた。とてもそうには見えなかったが、彼らは見張り役兼案内役のようだ。
無言のまま部屋に通された。
暖色系の照明、板張りの床、金色の模様が入った赤い壁紙、そのどれもがイミテーション。見た目を取り繕い、なるべく威厳ある雰囲気を演出しようという部屋の主の努力が伺えた。
「こんな所に何の用だ。お嬢さん」
声の方を見る。飾りの書棚をバックに、人工レザーのオフイスチェアに腰かけた男がいた。
男は髪を短く刈り、口には髭を蓄えた白人だった。男が肘をつくイミテーションの木製風デスクには、薄茶色の液体が入ったボトルとタンブラーグラスのセットが置かれていた。
「あなたがモグリエキスプレスの社長ね? 聞きたいことがあって来たの」
スミカはポケットから細長いプラスチック片を取り出した。文書閲覧用のスマートデバイスだ。彼女はデバイスを分割線に沿って展開。超薄型有機ELの画面を引き出してから、デスクにそっと置いた。
男はグラスに入った酒を一口含んでから、デバイスを手に取った。画面には、モグリエキスプレスのサインがされた納品書が表示されている。
「これがなんだ。紛失物を届けてくれたのか?」
「建造中の人工島アクパーラ2。あなたはここに書いてある物資を島に運んだはずよ」
男はため息を吐いて座りなおした。
「どうだったかな。第一、世の中には守秘義務ってものがあるんだ。仮に知っていたとしても誰が話すか。そもそもあんた誰だ」
「私はP.E.G社のスミカ・ソーン。アクパーラを運営する企業の幹部から依頼されてここに来たのよ。建造途中で音信不通状態のアクパーラ2へと、本島の物資が秘密裏に輸送されている疑いでね。もう一度聞くわ。物資をアクパーラ2に運んだでしょ。答えて」
「あんたが何者かはわかったし、事情もわかった。でもなあ、知らないことは話せない」
「ならこの書類のサインはどういうこと。この会社の人間が社長であるあなたに独断で輸送を行っていたってわけ? 随分立派な社長ね」
スミカは鼻で笑った。その態度が男の神経を逆なでる。
「……ガキが。何様のつもりだ? さっきから好き放題ほざきやがって。ここは上とは違う。痛い目にあいたくなきゃ、とっとと消えな」
男は凄んだ。その目は商売人のものではなく、交渉手段に真っ先に暴力を選択するような犯罪者の目だった。
だが、スミカはその威圧に一歩も退かなかった。デスクに両手を置いて、相手の顔を見下ろす。物理的な上下関係を作り出して威圧し返した。
「こちらだって引き下がるわけにはいかないの。あなた、あの島で何が起きているか知ってる?」
声は低くゆっくりと一語ずつ言葉を紡ぐ。相手が確実に理解できるように。
均衡を保っていたシーソーが、現実の様子とは逆のスミカの方に比重が傾く。
「……いいや。興味がない。もう店じまいだ。失せな」
スミカの問いかけに、男は唾を飲み込んでから答えた。有無を言わせぬ迫力がある。男には、目の前の小娘が数々の修羅場を経験してきているように思えた。
男はこれまで、アクパーラの地下という狭い世界のさらに一部でその権勢を振るってきた。逆らうものなどいないし、いたとしても暴力で黙らせていた。
だが目の前に立つ小娘にはその権威が通用しない。狭い井戸に慣れきってしまっていた男にとって、スミカは広い空のようなものだった。
「おい! お客様のお帰りだ」
異物を一刻も早く排除して自分の王国を取り戻したかった男は、部下にスミカたちを連れ出すように命じた。
部屋の隅で待機していたチンピラが近づいてきた。スミカの肩に手を伸びる。それを阻止しようと護衛のサイボーグも大股で動く。
チンピラの手が肩に触れる。
「気安く触るな!」
振り向きざま、スミカは強烈な肘打ちをチンピラの鼻っ柱に命中させた。
予想外の反撃に、チンピラが鼻を両手で抑えて後ずさる。チンピラの腰ベルトに差し込まれた拳銃が照明に反射する。
目ざとく武器を発見したスミカは、チンピラの腰から拳銃を抜き取った。銃はオートマチック。弾丸は装填済みだ。
スミカは安全装置を外して、銃口をデスクの男に向けた。伸ばした腕にズシリとした重量感が伝わってくる。
訓練を思い出しながら、トリガーからは指を外す。それでも、緊張で硬直する手は自然と関節に沿って丸まり、何度も人差し指がトリガーにかかりそうになった。
「よせっ!」
男は両手を突き出して悲鳴を上げた。すでに先ほどまでの強気な態度は消え失せている。
スミカの手が男の服の襟元を掴みぐいっと引っ張った。男の顔がデスクの天板に押し付けられる。
「これで分かったかしら。私が本気だってことが。交渉はしない。引き下がることもない。わかったら、アクパーラの監視網をどう掻い潜って輸送をしたのかをとっとと喋りなさい!」
銃口が男のこめかみに押し付けられる。
「話せるかよ……、殺されちまう…」
だがそれでも口を割らない。意地からではない。恐れから話せないのだ。男は、今この場で銃を突きつけるスミカではなく、それとは別のだれかを強く恐れていた。
「誰に…?」
男の様子にスミカも気づく。相手が動揺している今が情報を聞き出すチャンスだ。
「スリーエスの連中ね?」
スミカは自分の予想をぶつけた。現状この一件に関わっている組織のなかで、モグリエキスプレスに仕事を発注するのはスリーエスくらいだろう。
あの高飛車女の嫌な高笑いが聞こえてくる気がした。
「……違う」
しかし男は否定した。予想は外れたようだ。
銃口を男の頬に押し付けてスミカは再度訊ねた。
「もう一度チャンスをあげる。最初からやり直しでね。輸送方法と指示をした者の名前を全部話なさい。答えやすいところからで結構よ」
男は力なく喋りはじめた。
「せ、潜水艦だ。島の建設後に使わなくなったドック。そこが拠点だ」
「それじゃあ、そこに案内しなさい」
「教えるだけのはずだろ! あれを取られたら仕事にならねえ!」
男はスミカの神経をどこまでもイラつかせた。一つ言えば拒否の悲鳴を上げる。らちが明かない。煮え切らない態度から、この男はひょっとすると、見た目ほど考えて行動していないのではないかと思えてきた。
情報だって意図して小出しにしているわけではなく、ただ思い付いた事をバラバラに話しているだけかもしれない。
信頼できる情報源とは言えなかった。それでも今はこの男に頼るしかない。
上手く尋問して話しを引き出そう。そうすればいずれは重要な情報も出てくるかもしれない。まずは、互いの立場をより明確にしておこう。
スミカは改めて自分が強い人間であると己に言い聞かせてから、口を開いた。
「わめくな! あんたに拒否権なんかない。命がかかってる。人の、命が! アイ! アクパーラ2には今何人滞在している!」
『はい、アクパーラ2では現在三百六十余名が滞在していると考えられます。ただしこれは元々の記録からの引用で、その他外部からの人員も含めると五百に迫る可能性もあります』
アイはLEDライトを輝かせながら淡々と告げた。
「五百人! 五百人もあそこにはいる。このままだとあそこを吹き飛ばさなきゃ行けなくなる。あんたのせいでよ。その責任を負う覚悟はあるのよね!?」
若干人数を盛って、スミカは男を追い詰めた。三百六十余名。その言葉の重みはスミカにものしかかってくる。
男は必死の形相で悩み考えていた。
彼には、それほど深い考えなどなかった。今の立場も、ただ高きから低きに流れてきて得ただけだ。違法操業も、ただそちらの方が儲かると思ったからそうしているだけ。法律を守ったほうが儲かるならそうしている。
今回の仕事も、相場よりも高い報酬を提示されたから飛び付いただけだった。
それが小娘に銃を突き付けられることになるなど、思いもしなかった。
話したかった。話して楽になれるならそうしたかった。だができなかった。それくらい依頼者に恐怖を感じていた。直接的に脅されたわけでも、正体を知っているわけでもない。それでも、彼の本能は依頼者について口を割ることを頑なに拒否していた。
「こいつをお願い。さあ、案内してちょうだい。あんたの肩には、アクパーラ2にいる五百人以上の命がかかっているんだからね!」
スミカは、うなだれる男の連行を護衛に任せ、先に階段を降りた。
しっかりとやり切れただろうか。まだ緊張で手先が冷たい。
気分を落ち着かせるため、スミカは手のひらで自分の頬に触れた。何かで知ったリラックス方法の、うろ覚えでの実践だった。ハオランがいれば叱られたことだろう。
彼は聞きかじった知識だけで実践をしないよう常々スミカに語っていた。
(今思い出しても笑える。コーラのボトルにキャンデイを入れる遊びをした時、適量が分からなくて泡の柱が天井まで届きそうになってた)
そんなことを思いつつ、スミカはハオランが無事であることを祈った。
潜水艦の規模や性能がどうであれ、少しでもハオランたちの助けになるのではないか。そう思いたかった。
三百六十余名。その責任を、果たして自分は背負えるのだろうか。スミカは自問する。だがそれは馬鹿げた問いだ。
すでに関わってしまっている以上、背負うしかない。背負いながら最善の方法を探すしかない。
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