第18話 地下世界にようこそ

 スミカはアクパーラの最下層に向かうためエレベータープラットホームに乗り込んだ。テニスコートほどのサイズの業務用エレベーター。最下層へと降りる唯一の手段を使用しているのは彼女ただ一人だった。


 黄色い回転灯が輝き、プラットホームは唸り声を発しながら下降を始めた。


 薄暗い照明、プラットホームの床にこびりついた黒い汚れ。アクパーラの上層部では極力排除されていた地に足のついた生活感が目に付く。清潔感と煌びやかさで構成されていた上の世界とはまるっきり反対だ。暗く、後ろ向きで、陰鬱な雰囲気を感じる。


「世界有数のリゾートも、内側はキレイなところばかりじゃないわよね。やっぱり」


 スミカは同行者に語り掛けた。だが彼女以外に人の姿はない。代わりに、スミカの周囲を野球ボールサイズの金属球がふよふよと浮遊していた。金属球に搭載されたカメラアイが青く光る。


『本来、最下層のエリアは一般開放を想定していませんでした。資源加工の工場建設などをおもな使用用途として計画していたため、そのほかの観光客向けのエリアと比較するとデザイン性などの考慮もしておらず、あくまで労働者たちの交通の利便性に重きを置いています』


 金属球が女声の合成音声で返答する。アクパーラの現状を説明するその口調はまるでツアーガイドだ。


「誰も上との違いに不満を持たなかったの?」

 小さな同行者に訊ねる。見知らぬ場所への一人旅につきまとう少しの不安を払拭したかった。


『不満が募る前に一般人は全員上層に上がりましたから。いるのは犯罪者や不法滞在の本来存在するべきでない人々ばかりです』


「強い言い方ね。ええと……」

 なんと呼ぶべきなのだろうか。緊張のせいだろうか。続けるべき言葉が見つからず口ごもる。


 『私の呼称はアイ。アイと呼んでください。ちゃんづけでも構いません。そして、これは差別ではなく区別の問題です。法に背く人々の権利を尊重して、全うに生活している人々をないがしろにするわけにはいきません。悲しい話です』


 アイはわざとらしくため息を吐いて球体ボディを半回転させた。


 スミカには、その仕草がうつむき肩を落としているように見えた。うまいパントマイムだ。


 エレベーターが目的地に到着した。ゲートの解放を周囲に告げるブザー音が鳴り響く。重いゲートが左右に開かれる。生暖かい空気がエレベーター内に流れ込んでくる。


 スミカは一歩踏み出した。背後でエレベーターの現状が閉まる音が聞こえる。


「ここが、アンダー……」


 見上げた先に、空はなかった。有機ELを天井一面に使用して空を映していた上層とは異なり、ここは灰色の天井が空間に蓋をしていた。


 溶けたゴムのような焦げ臭さ、換気の不十分な空間で熟された魚介類の腐敗臭。いやな臭いが蔓延していた。べっとりと肌にまとわりついてくる不快な空気だ。


『すでに護衛の者を二名現地で待機させています。先導します。着いてきてください』

 アイが淡々と伝える。簡潔でわかりやすい。だけども無機質だ。


 スミカはアイに頷くと、合流地点を目指して歩き出した。


「エーラッシェー!」「高級ブランドのバッグがこの価格! 今だけだよ!」「いいお店あるよ! 300ポッキリ!」


 道なりに進みはじめてから数分もしないうちに、客引きや露店商がカモの匂いを嗅ぎ付けて近寄ってきた。


「お嬢さん、お土産に一個どうだい。有名ブランドのアクセサリーが今だけの激安だよ!」


「カッコいい子もカワイイ子も揃ってますよ! 旅の思い出に遊んでって!」


 怖いもの見たさで最下層を散策する観光客がいないわけではない。多くは引退して時間と金を持て余す隠居者や小金持ちの子息などだ。


 彼ら最下層住人はそんな鼻持ちならない人々を歓迎していた。質の悪い様々なアイテムを定価の何倍もの価格で売り付けたとしても、彼らは旅の思い出として喜んで金を出してくれるからだ。


 スミカは差し出される手や品物を避けながら目的地へと真っ直ぐ歩き続けた。だが住人たちの根気強さもなかなかのものだった。どれだけ断られ邪険に扱われても、彼らはスミカの行く手を遮り続けた。それこそが使命だとでもいわんばかりに。


 それから三十分間攻防が続いた。いい加減に痺れを切らしたスミカは、立ち止まり一番近い距離にいた物売りの腕を掴んだ。顔を近づけ睨みをきかせる。よく見てみれば、物売りはまだ十代後半らしき少年だった。


「まだガキじゃない。まあいいわ。あんた、これから言うことをよく聞きなさい」


 物売りの少年は戸惑いの表情を浮かべる。

「な、なんだよ」

 口調が仕事用から素に戻る。


「一つ買ってあげる。だからもう付きまとわないように仲間に伝えなさい」


 少年の首からぶら下がった箱に、折りたたんだ紙幣を一枚投げ入れ、中の品物を一つ掴む。

「もう一つ買わない? 今なら割引するよ」


 商機と見た少年がスミカからさらに金を引き出そうとする。しかし返ってきたのは無言の圧力だけだった。少年は気圧され渋々引き下がった。



『効果てきめんですね。誰も近寄らなくなりました。進行速度も十五パーセント増しです』


「それはいいけど、こんな物どうしろってのよ」

 スミカは先ほど購入した物を確認した。金属を加工した二つの長方形が磁石で張り付けられた何かだ。手のひらサイズのそれは、指を滑らせると長方形の片方がスライドする。動くたびに甲高い音クリック音が鳴る。


 ろくに調べもせずに箱から取り出したせいで、このアイテムが何に使うものなのか検討もつかない。


『それはフィジェットの一種ですね』


「なにそれ」


『手慰みの玩具です。一定の周期でリバイバルを繰り返しています』


「ほんっとうにいらなくて困る。これが終わったらあいつにあげよ」


 スミカはフィジェットを上着のポケットに突っ込むと、道の端に寄って立ち止まった。ようやく護衛との合流地点に到着した。周囲を見回し合図を送る。数秒としないうちに屈強な二人の男が姿を現した。当然サイボーグだ。



「遅れました。P.E.Gのスミカです。モグリエキスプレスはどこに?」


 護衛が後ろを振り返り指をさす。その方向には賑やかなバーが立っていた。その上に、小さくモグリエキスプレスの看板が掲げられている。


「それでは早速取り掛かりましょう」


 護衛たちはうなずくと、スミカの左右に配置についた。


 一歩踏み出すごとに緊張が強くなる。本当に自分にできるのかと疑念が強まる。だがスミカは止まらなかった。今さらここまで来たのだ。すでに中止の選択肢はないと己に喝を入れた。


 護衛が酒場の扉を開けてくれた。もう逃げられない。


 スミカは深呼吸を一つして戦場へと乗り込んだ。

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