アマヒト2 遺跡内にて

 深海で見つけた大きな門。あれを見上げた時の光景が頭から離れない。光の届かない深海でありながら青白い燐光を放つ燐光が、とても奇妙でとても愛おしかった。


 しかしそんな感情も、門をくぐって歩き進むうちに消え失せた。我ながらあの時は正常ではなかったと感じる。


 どれほど歩いただろうか。すでに足の感覚がない。


 正常ではないといえばこの空間もだ。感覚では、すでに五時間以上歩いている気分だった。


 搭乗しているパワーローダーの計器類を確認するが、タイムカウントはぐるぐるとまわり続け、酸素残量を示すメモリも、上下を行ったり来たりを繰り返していた。


 なにもわからない。自分がなぜこんなところにいるのか。なぜあの門をくぐってしまったのか。仲間の必死に止める声、管制室からの呼び掛け。すべて聞こえていたはずなのに従わなかった。


 あの時の自分は正常ではなかったのだ。過ぎたことをいつまでも悩んでいたところでしょうがない。


 ちがいない。


 それよりも脱出の方法を探そう。そうだ。


 ようやく長い通路が途切れた。広い空間だ。


 鍾乳石のように壁面が溶けているような見た目の建物がいくつも建ち並ぶ光景が広がっていた。街だ。とても古そうな大都市。


 これを人間が作り上げたとは到底信じられなかった。光の届かない深海で大規模都市を作り上げることなど、古代の人間には不可能だ。そしてそれは技術が発達した現代でも変わらない。人間はまだ、身近にある深淵すらも攻略できていない。 


 それならこの光景はいったい何なのだろうか。頭が働かない。とにかく歩き続ける。どこに行くべきなのかわからない。


 視線を彷徨わせていると、遠くの方に周囲の建築物よりもひと際高い柱のようなものが見えた。道もあの柱の方向に伸びている。


 あれが街の中心部だろうか? とにかく行ってみよう。何度もふらつきながら、それでも足が歩みをとめることはなかった。すでに自分のからだは自分のものではなくなっているのだろう。


 道中、道の真ん中で立ち尽くす人を見かけた。服装はつなぎ服の首元に金具をつけたおかしな格好だった。その人の足元には、小さな覗き窓を設けた丸い金属のヘルメットが転がっていた。子供の頃に教科書で見た潜水服にそっくりだ。


 あの金属の頭をかぶせれば、この人はきっと昔の潜水士そのものの姿になることだろう。


「あの、こんなところで脱ぐと大変ですよ。ここは海の底なんですから」


 通りすぎるつもりが声をかけてしまった。一刻も早くあのそびえ立つ物のところまで行かなければならないのに。


「えっ? あ、ああ、ありがとう」

 彼は自分の存在に気づいていなかったようだ。話かけると少し驚いた表情を浮かべて、そのすぐあとに会釈を返してくれた。

「でも大丈夫。このままでいいのだ」

 頬のこけた顔で言いながら、彼は自分が目指しているのと同じ方向を見つめて言った。この人もあの柱を目指しているのだろうか。


「私は狂ってしまっている。こんな場所に神殿など、ありえないことだ」

 彼は聞いてもいないのに語り出した。その口調は理知的で落ち着いていた。


「私はゲルマン民族の誇りと軍人として艦長としての名誉にかけて正気であり続けようとしていたが、それでも長い間の孤独は私を蝕むようだな。神殿の幻覚だけでなく、かつての部下の妄想まで生み出すとは……、恥ずべきことだ」


 彼が何を言っているのかはわからなかった。妄想? 幻覚? 我々は確かにここにいるじゃないか。文句の一つでもいってやりたい気分だ。でも、身に着けたパワーローダーは一人じゃ脱げない。手伝ってもらわなければ無理だ。


「まあいい。ところで、君もあの場所を目指しているのだろう?」

 彼は振り返って言った。反射的に腕を振って肯定のジャスチャーを送る。彼は嬉しそうに笑った。ように見えた。


「伝説の都市であるアトランティス。最初にこの忘れ去られた都市に到達するのは誇り高きゲルマン民族でなければならないと考えていたが、一人ではどうも味気ない。どうだろうか、ともにこの神殿の奥に訪れてみないか」


 堅物そうな表情を保っていた彼が提案してきた。どうせ目的地は一緒なのだ。断る理由もない。


「そうか。よかった。たとえ君が私が発狂したことによって生み出した空想の産物だとしても、同行者がいるのは心強い。さあ、行こう」


 彼が歩き出した。慌ててその後を追いかける。


 この場所が神殿なのか都市なのか、それはわからない。それでも、進み続けられる限り、この場所を隅々まで探索したいという衝動は抑えきれなかった。


 立ち止まっていた足が再び動きだす。燐光輝く深海の神殿都市。その奥になにがあるかはわからない。何であれ早くこの目で見てみたい。


 とても楽しみだ……

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