第15話 胎動

「応答せよ! 何があった。応えろ! アマヒト1、状況を報告しろ! アマヒト2はどうした!」


 モニターに表示されていた映像が突然乱れた。中継映像が、アマヒト2のものからアマヒト1のものに切り替わる。


 アマヒト1がいる位置は、神殿に続く階段の前だ。彼の視界のなかに、同僚であるアマヒト2の姿はない。


『か、管制室、いったい何が起きたんだ』


「それはこちらが聞きたい。相棒はどこに行った」


『わからねえ。あいつ、消えちまいやがった。あ、あの門の中に』

 アマヒト1は震える声で自身が見た光景を話続けた。


 神殿から漏れ出す燐光のことを。


 その光に誘われて、アマヒト2は制止の声も聞かずに門の中へと踏み入ったことを。長い階段を登る間も、交信状態を維持していた通信機からは、同僚の幸福に満ちた声が聞こえ続けていた。


 深海で見たあり得ない現象や異常状態の同僚の様子を間近で体感したアマヒト1のメンタルは、限界に近かった。


「了解した。アマヒト1、そちらの活動限界もそろそろ近い。一度戻って起きたこと見たことを再度報告せよ」


『……わかった』

 アマヒト1は安堵のため息を吐いた。本来なら、深海神殿へと消えた同僚の後を追うべきだと思ったが、あの異様な光景を見た後ではとてもそんな事はできなかった。薄情だと言われても構わない。あの禍々しい神殿から逃げられるなら、どんな謗りも甘んじて受け入れるつもりだ。


 アマヒト1はパワーローダーの浮力調節機能を操作した。重い耐圧ボディがゆっくりと浮き上がる。


 ようやくここから離れられる。再び安堵の息を吐いたアマヒト1は、最後に深海神殿を見下ろした。広い。呆れるほどに神殿を構成する海底の盆地は広かった。コロッセオかなにかのようだ。


 その時、パワーローダーのコクピット内に、けたたましい警告音が鳴り響いた。アマヒト1はぎょっとしてパワーローダーのセンサーを確認した。だが確認するまでもなく、警告音の正体はわかっていた。


 世界そのものが激しく揺れていた。




 ***




「あれを暴こうなんて、気でも狂ったのか!」

 モニターに映った深海遺跡を見た瞬間、今まで厳重に封印してきた十年前の悪夢がゾニの脳内を駆け巡った。


 長い階段の上に鎮座する巨大な門。その先に待ち受けるとても古い神殿。存在そのものが人類史に対する挑戦と言えるような数々の構造体。

 それを、ゾニは十年前に深海ではっきりと見ていた。


「見るなのタブーではないがね、人間の心理とは恐ろしいものだ。ゾニ、君は私が何度訊ねても、あの遺跡の内部に何があるのか教えてくれなかったね」


 ゾニの額に脂汗が浮かぶ。緊張から指先が冷たくなる。


 十年前、フランツとゾニは海底に沈んだ潜水艦の学術調査中に、海底遺跡を崇めるカルトによって誘拐された経験があった。

 ゾニが件の深海遺跡を見たのはこの事件の時だった。


「あれはきっと善意からの行動だったのだろう。十年前のあの時、狂信者たちと共に遺跡に向かい、そして一人で戻ってきた君の表情を見て、私は感じ取ったよ。ああ、あの遺跡には口を噤みたくなるほどの何かがあったのだろうなと」


「そうだ。あそこには誰も近づくべきじゃない。それほどに恐ろしい場所なんだ」


 フランツは車椅子の肘置きを掴む手に力を込め、肩を震わせた。その感情は羨望であり怒りであり嫉妬だった。

「その行為が学者にとってどれだけ残酷な仕打ちか、君には分からないだろう!」

 フランツは勢いをつけて車椅子から立ち上がった。その両足は、もはや自力で立っていることすら難しいほどに筋肉が衰えていた。


「あの場所に何があったのか、それさえ教えてくれていればこんなことをせずにすんだんだ。危険な連中と手を組むことも、友人を騙す必要もなかった!」

 口の端に泡をつくりながらフランツは溜め込んでいた鬱憤をゾニにぶちまけた。


 ゾニは言葉を失った。かつての理性的で賢明だった友がすっかり変わってしまった事を、どう受け入れていいのかわからなかった。


 その時、二人の老人の立つ中央管制室の床が揺れた。


「地震か?」

 体験したこともないような激しい横揺れに、ゾニは身構えた。


 そこにフランツがもたれ掛かる。なんとか立っていることはできても、枯れ枝のような足では急な震動に耐えることはできなかった。咄嗟にゾニが脇を抱えて抱き止める。


 中央管制室が更に激しく揺れた。天井からは重い者がぶつかる音が聞こえてくる。地震の影響で破損した構造体の一部が、剥がれたり崩壊したりしてアクパーラ2の海上から深海まで一直線に続く巨大な縦穴目掛けて降り注いでいた。いくつかの大質量が管制室へと落ちてくる。直撃ルートを外れたものはすれすれを掠めていく。掠めていった建材はなにものに止められることもなくまっ逆さまに海底を直進していく。落ちた音は聞こえない。


 管制室が位置しているのは、場所で言えばまだ地上階だ。だがそれより下は海の中。現在も多くの人々が働いている。構造体の破損は命に直結する問題だ。アクパーラ2の巨大さゆえ、もし仮に縦穴を形成している筒のように繋ぎ合わされた壁が破損したとしても、すぐさま崩壊することはないが、それでも海底の彼らにとっては文字通り死活問題だった。

 

「彼をここから連れ出せ。今すぐに!」

 フランツは身を離し、車椅子に倒れるように座り込んでゾニを指差した。


 地震による揺れが徐々に小さくなっていく。


 武装した男たちが待ち構えていたかのような速さでゾニを取り囲み拘束した。

 当然ゾニは抗議の声を上げるがその訴えが聞き入れられることはない。長年の重労働で鍛えられているとはいえ、ゾニは高齢者だ。兵士としての訓練を受けている警備員たちには到底かなわない。彼はなすすべもなく中央管制室から連行された。



 その様子を、ハオランは中央管制室の天井裏で観察していた。地震と崩落によって生じた建造物全体の混乱を好機と見たサイボーグ戦士は、誰にも気取られることなく目的地に侵入を果たしていたのだ。


 ハオランの存在に気づいている人間は誰もいなかった。


「さて、ここからどうするか……」

 ハオランはヘルメットの顎を撫でながら思案する。想定ではハオランが陽動を行い、混乱に乗じてミニソンが管制室のコンソールから情報を抜き取る予定だった。だがことはそう上手く運ばない。


「さっきの連れて行かれた爺さん、たしかここの作業員のまとめ役だよな」


『資料と照合中……、大当たりや。間違いないで、アクパーラ労働組合のゾニ会長や』


「なら話を聞きに行くとするか。状況に進展がない状態で待っているのも馬鹿らしいしな。移動しよう。ミニソン、道案内を頼む」


『はいな! 任せんさい!』


 ハオランたち一人と一機もゾニを追って移動した。二人の存在は影のように静かだ。気配を消すのではなく一体化させる。彼らは今、人工島の纏う雰囲気に溶け込んでいた。


 アクパーラ2で、己の好奇心を満たそうとする者。仲間たちを無事に連れ帰ろうとする者。大事な人の願いを叶えようとする者。アクパーラの秩序を守ろうとする者。様々な思惑が蠢いていた。だがその誰も、自分たちの足元のさらに深い場所。存在するはずのない深海神殿の奥で、恐るべき驚異が目覚めようとしていることになど気付いていなかった。


 いや、そうではない。気付けないのだ。存在するレベルが違う。低次元の時空のみしか知覚できない人間には、正常な精神を保ったまま神殿の奥の何かを知覚することなど到底不可能だった。


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