第13話 崩落
まっすぐに飛んでくる鉄パイプを、ハオランは切り払った。パイプが通路の欄干から音を立てて落ちていく。
サイボーグが壁を蹴って宙を舞う。差し込む照明の光がアイアンクローに反射する。
こんな窮屈な空間で、これほどにアクロバティックな動きができるものなのかと感心しながら、ハオランは身を屈めてクローを回避した。
追い打ちに膝蹴りが飛んでくる。上半身を捻りギリギリの間合いでこれを避ける。
両者の装甲が擦れて火花を散らす。ハオランが上半身の力だけで刀を振るう。サイボーグが突き出した脚の関節部に、黒い刀身が食い込む。刀は見事にその切れ味を発揮した。
サイボーグの左下腿部が切り落とされた。細かなパーツが密集した内部構造が露出する。ケーブルが千切れて踊り、オイルが吹き出しハオランのヘルメットに付着した。
ハオランは前転をしてサイボーグと距離を取り、ヘルメットのオイルを手のひらで拭った。べたべたした感触は気持ち悪かったが、敵の脚部を切り落とすという結果を得られたのだ。必要経費と割り切ることにした。
サイボーグはバランスを崩して床に転倒した。サイバネボディの唐突なバランス変化に対応できなかったせいだ。アンバーエイヴに搭載されたバランサーは補助程度の性能だ。装着者には高度なバランス感覚が求められる。それがアンバーエイヴの数少ない欠点の一つだった。
「クソが! よくも切り落としやがったな! 俺の足をよくも!」
床に這いつくばり、サイボーグ兵士が吠えた。
「殺してやる。一口大にバラバラにしてやる。命だけは助けてやろうと思ってたのになあ!」
口汚くわめきながら、サイボーグは両手で強く床を叩き勢いでジャンプをした。そして残った足で跳ねながら両手をでたらめに振り回し始めた。爪が欄干に当たる。少し間を置いて欄干が元あった場所から、底も知れぬ奈落に落下する。
今度はパイプだ。ハオランの頭上に配管が降り注ぐ。
ハオランがその場から飛び退いた。床に落ちた何本ものパイプが不協和音を奏でながら床を激しく揺らす。
騒音に紛れて、軋むような異音が耳に届く。ほんの少し足場が傾いたのがわかった。
ハオランは足元に視線を向けた。足場を支えるジョイントのあちこちがすっぱりと切断されている。アンバーエイブのアイアンクローは、破壊するべきではない箇所までもを切断してしまったようだ。
足に振動が伝わってきた。起こってほしくないタイミングで起こってほしくない現象が起きた。
床が揺れる。壁が揺れる。アクパーラ2全体が音をたてて揺れていた。ハオランの立つ足場までも大きく傾いた。
〈地震、こんなところで?〉
ハオランは咄嗟に床の格子を掴み、古いコメディショーに登場しそうな角度となった床の上から滑り落ちるのを何とか耐えながら周囲の状況を観察した。
縦穴のあちこちから、警告サイレンとアナウンスが流れている。
『地震を感知しました。現在状況を確認中です。労働者の皆様は安全な場所で待機してください』
アナウンスが続く間も揺れは収まらない。それどころかどんどん振幅が大きくなっていくように感じられた。
頭上の威圧感にハオランは上を見た。鈍い色の大質量が落下してくる。逃げることはできない。間に合わないとハオランは悟った。緊張した体に冷たいものが走り抜ける。
風を感じた。死を覚悟したハオランの真横を、大質量の鉄骨が通過していった。それに呼応するかのように傾いた足場も奈落へと近づきつつあった。ワイヤーが一本また一本と千切れていく。
「やべえ。お、おれは何にもしてねえぞ……」
アーバンエイヴの狼狽える声がハオランにも聞こえた。この事態は自分が起こしたものであるとでも思っているのだろう。誰に言うでもなく否定の言葉を繰り返しながら、アーバンエイヴはハオランには目もくれず、無事な配管をその類人猿のような両腕で器用に渡りながら逃げ出していった。
時間がない。ハオランは見取り図を見た。そこで気づく。襲撃によってルートを把握する暇がなかったが、今になって確かめてみると目的地である中央管制室が現在自分がいる場所の直下に存在していた。
肉眼で直接見てみると、確かにハニカム状の構造体が六本の橋によって外縁と繋がり支えられる形で浮いていた。彼我の距離の開きは十メートル以上あるように見える。生身は当然、サイボーグであっても無傷で切り抜けることは不可能に近い高さだ。
それでも、なんとかしてあそこまでたどり着きたかった。
「ミニソン、あの中央管制室まで行きたい! ルート予測はできるか!」
ハオランが問うた。人工知能の中には、高度な演算能力によって高精度の予測が可能な個体が存在しているのだと聞いたことがある。ひょっとすると、この鉄の野球ボールにもそのような機能が備わっていて、何か有益な情報を提供してくれるのではないかと期待しての行動だった。
ときにはセカンドオピニオンも検討する必要がある。いくつか自分でも思案してみて、どれも危険極まりなく実現不可能に思える方法ばかりを思いついた場合など特に。
『了解や。分析開始……』
ミニソンの反応は素早かった。呼び出されるのを予想していたかのようにスムーズな流れで分析モードを起動した。小さな球体ボディが周囲を見渡す。
カメラアイから、赤と緑二色の測量ビームが照射される。落下していく建材やこれから崩落するであろう建材、風速や温度に湿度など、ミニソンの頭脳はハオランがこの危機を脱するためのあらゆる可能性を模索した。
分析が完了した。ミニソンは導き出した結論をハオランに送信する。
ハオランの網膜ディスプレイに、ミニソンの情報に基づいたハイライト表示が出現した。
『ルート1:ナビに従い崩落する建材を飛び渡る 成功率:83% 以上』
「他にはないのか?」
『これだけや。何回シミュレーションを実行しても、ハオランさんが生き残る可能性があるのはこれだけや』
ミニソンが淡々と告げる。砕けた口調から出力される冷酷な言葉に、これが冗談ではないのだと思い知らされる。
「ちくしょうめ、もっとほかにあればと思ったのに、結局かよ!」
まさか機械と同じ結論に達するなどとは考えもしなかったハオランは悪態をついた。
「それで、どうしたらいい」
覚悟を決めたハオランがミニソンに訊ねる。もうできるはずがないなどと臆している暇はない。傾いた足場は今にも限界を迎えそうな悲鳴を上げている。一刻も早くこの窮地から抜け出したかった。
「何もせんでいいで。計算によれば、あと二十秒でその足場は落下するから、その後はナビゲーションに従って動いてクレメンス」
「は?」
その言葉に、ハオランの思考はフリーズした。
足場を繋いでいたワイヤーが完全に断絶した。金属製の空飛ぶ絨毯が出来上がる。
『誘導する。その通りに動くんや!』
ミニソンの言葉がハオランを現実に引き戻す。
『右下のブロックにジャンプ!』
ナビに従ってハオランは落ちる足場からジャンプをした。着地先は足場よりも先に落ちた一回り小さなコンクリの足場だ。ハオランの右足がブロックをしっかりと踏んだ。
『続いて前方の足場! 左足で!』
今度は目の前のブロックだ。サイズはさらに小さい。これに何とか飛び移る。
『よっしゃ! 目的地まで距離が縮まったで!』
『さらに左のプレートでウォールラン!』
左手に縦穴の壁を構成しているらしき湾曲した金属プレートが降ってきた。壁を蹴って走り抜けるイメージホログラフィックが出現する。軽快な動きでルートを先導するハオラン自身の影法師だ。
ミニソンは人間の身体能力を過大評価しすぎている。ハオランにはそんな気がしてならなかった。
それでも逃げるという選択肢はすでに絶たれている。
ハオランは勢いをつけてプレートの壁面に飛びついた。重力に絡めとられる前に、一歩二歩とガイドに従い歩みを進める。
三メートル進んだところで限界が来た。重力に従い、ハオランの体がゆっくりと下方へと向かっていく。
『ワイヤーを掴め!』
それは未来予知と言えるほどに高精度の予測だ。ミニソンの新たな指示の直後に、さっきまでそこにはなかったはずのワイヤーがぶら下がっていた。切断されて間もないようで、ワイヤーは大きな弧を描いている。
咄嗟に手が伸びる。ハオランの手がワイヤーをしっかりと握った。勢いづいたワイヤーのスイングが強くなる。
『あとは簡単! 合図のタイミングで手を離すんや!』
強烈な遠心力によって投げ出されるのを耐えながらハオランは耐えるしかなかった。返事すらできない。首を縦に振り了解の意思表示をしているつもりだが、それも本当にできているかわからない。
ミニソンが自分の意思をくみ取ってくれたと信じて、合図が来るのを待つしかなかった。
時間にすればほんの数秒。しかし体感ではその何十倍にも思えた。
『今や! 飛べ! 飛べ!』
そして合図が来た。両手をワイヤーから離した。ハオランの体は、自然とムササビのような姿勢に広がった。風が全身を通りすぎていく。
中央管制室は間近だ。ハオランは受け身の姿勢をとり着地に備えた。目は閉じない。距離がどんどんと近づいていく。
無線越しにミニソンが距離のカウントダウンを進めていく。全身のセンサーが危険信号を発する。
中央管制室の丸みを帯びた表面に到達した。ハオランは今までの経験を総動員して可能な限り適切な姿勢で着地を試みた。足裏が接地する。そこからふくらはぎから太もも、続いて臀部から背中、そして肩へと、スムーズな五点着地が実行される。
ハオランは管制室の上に着地して二メートルほど転がってから静止した。高所からの着地による激しい衝撃で、肺からはすべての空気が逃げ出していた。体全体もひどく痛む。意識は朦朧としていて前後不覚の状態だ。だが、それでもハオランは確かに生きていた。
ハオランは自分でもわけもわからず噴き出してしまった。すぐに声を抑えたが、それでも笑い続けた。無謀に思えた行動が成功した。それがまるで冗談のようで可笑しくてたまらなかった。
ひとしきり笑ったあと、ハオランは無線でミニソンを呼び出した。
「なあミニソン。悪かった。お前のこと、正直侮っていたよ。認識を改めなきゃな。まったく大したやつだよ」
ただ純粋にミニソンに賞賛の声を送った。生きている喜びを分かち合えるのは、この場においてはミニソンしかいないからだ。
『喜んでもらえて何よりやで、ハオランさん』
「呼び捨てでいい。俺たちはもう友達だ」
ハオランは苦労して立ち上がりながら、ミニソンに言った。命を救われたのだ。もう他人ではない。
彼の立つ場所のすぐ下は中央管制室だ。ゆっくりとはしていられない。
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