42. 絶望の街で、託されたもの

「チッ……キリがねえ」


 ヴァイルたちはひたすら魔物を斬り伏せていた。

 炎に包まれた街に、もはや人影はない。

 ただ、おびただしい数の魔物だけが跋扈している。


「このままじゃ、俺たちも……!」

「弱音吐かないで。隊長を信じて戦い抜くよ!」


 女性隊員が深紅の剣を振るう。

 炎に包まれた魔物は断末魔を上げる間もなく、灰となって消えた。


「ヴァイル、あんた妹が居たよね。あの、お人形みたいに綺麗な子……あれは男どもが放っておかないね。心配でしょ?」

「何が言いてえんだ」

「帰るよ。ここを切り抜けて」


「あ……人だ! 生存者かもしれない!」


 ロウが指差す先に、人影があった。


「……た。……また……」


 白衣をまとった男がひとり、虚ろな目で何かをぶつぶつと繰り返している。


「大丈夫ですか!?」


 ロウが駆け寄ろうとした、その瞬間。

 影のように魔物が飛びかかる。


「くっ!」


 咄嗟に剣を振り抜き、ロウは魔物を両断した。


「困ったなぁ……困った困った」


 ぞろぞろと魔物が現れ、白衣の男を守るように取り囲む。


「魔物が……どういうことだ!?」


「“魔物”? ……ああ、“魔法生物”のことね」

 

 男はムカデの頭を撫で、満足げに微笑んだ。

 

「随分と慣れ親しんでくれているようで安心しましたよ。研究は……大成功だったようですね」


 ぞわりと悪寒が走る。

 その顔を、俺は知っていた。


(研究所の所長……!)


 末端の警備員だから直接話したことはない。

 だが、遠巻きに何度も見かけた。


 まさか、こいつも転移してきたのか。

 なら、もうひとりも――。


 吐き気が込み上げる。

 俺たちの世界から来た人間が、この街を滅ぼした。

 そんなこと、あってほしくない。


「さて……グリムハルトが全部殺してしまう前に、サンプルを回収しておきましょう」

 

 所長が口元を歪める。


「そこの女性……あなた、なかなか優秀そう。どうです? 私と来ませんか?」

「こんな状況でナンパ? 悪いけどお断り。私には心に決めた人がいるの」

「ふむ……残念です。では、他の方はいかがですか?」


 その瞬間、ヴァイルが無言で踏み込み、斬撃を放った。


 ムカデの群れが一瞬で切り裂かれる。

 鋭い刃は一直線に所長へ――。


 しかし、轟音と共にヴァイルの身体が横に弾き飛ばされた。


「っ……!」


 瓦礫を砕きながら着地した彼の前に立ちふさがったのは――蜘蛛型の魔物。

 さきほどよりもひと回り大きく、脚の1本1本が鋼のように硬質化している。


「またテメェか……! 切り刻まれに来やがったか!」


「対能力者用なので物理攻撃主体とは相性が悪いんですが……。まあ、この程度が相手なら問題ないでしょう」

 

 所長は愉悦に満ちた声でそう言った。


「まずは脚から! 隊長がやったみたいに、いくよ!」


 女性隊員の掛け声に合わせ、3人が一斉に斬りかかる。

 次々と脚が斬り落とされ、胴と頭だけが残る。


「もらった!」


 ロウが渾身の力で胴体を両断せんと振り下ろした。

 ――だが。


 金属を叩いたような鈍い音。

 刃は通らず、蜘蛛の体表には傷ひとつない。


「ロウ! 下がれ!」


 ヴァイルの叫びと同時に、再生した脚が槍のごとく突き出された。


 ぐしゃり、と嫌な音が響く。

 鋭い脚がロウの腹を深々と貫いていた。

 持ち上げられた脚先に、力なくぶら下がる体。

 血が滴り、石畳を赤黒く染めていく。


 女性隊員が叫びながら駆け、渾身の力でその脚を切断した。

 ぐらりと揺れたロウの体を抱きとめる。


「あ……う……」

「まだ息がある! でも……出血が……!」


「カスティア。ロウの治療は任せた」


 ヴァイルの声は低く、鋭い。

 双剣を交差させると、眩い光に包まれ――1本の灰色の大剣へと姿を変えた。


「……一撃で終わらせる」


 残像を残し、ヴァイルの姿がかき消える。

 次の瞬間、上空から稲妻のごとき斬撃が振り下ろされた。


 轟音。

 蜘蛛の外殻が真っ二つに割れ、中から黒い霧が噴き出す。

 苦悶に身をよじった後、その巨体は崩れ落ち、動きを止めた。


「……やったか?」


 息を荒げながらヴァイルが呟く。


 だが――。


「いやぁ、困った困った。実に困った」


 所長の声が、静かに響いた。

 切り札を倒され追い詰められたはずの男。

 しかしその声音に、焦りも動揺も一片たりとも無かった。


「面白いね、それ。誰でも魔法を使えるなんて……実に興味深い。持ち帰らねば」


 ――ギアのことだ。


「テメェ、まだ余裕ぶってやがるのか。悪いが情けはかけねぇ」

「ええ、もちろん。……ねえ?」


 にやりと口角を吊り上げる所長。


「あ、がっ……!」

「ロウ!? どうしたの!?」


 突如、ロウの体が痙攣し、悲鳴を上げる。

 肉が裏返るように歪み、体内から何かに吸い込まれるように――ぐしゃり、と潰れていく。


 あっという間に、床には小さな血濡れの肉塊が転がるだけになった。


「や……やだ……なんで……!」


 カスティアの手が震え、声にならない嗚咽が漏れる。

 その瞳には、恐怖と絶望だけが映っていた。


 足音がゆっくりと近づく。

 割れた地面を踏みしめる、乾いた靴音。


 ――あの襲撃者だ。


「隊長は……ゲイル隊長は……?」


 カスティアが、縋るように呟いた。

 だが返答の代わりに、ぐしゃり、と嫌な音が響く。


 彼女の身体は、まるで紙を丸めるように押し潰された。

 血が地面に広がり、音もなく消えていく。


「カスティア! ロウ! ……テメエエェッ!!」


 怒号とともに、ヴァイルが突っ込む。

 だが襲撃者が片手を軽くかざすだけで、ヴァイルの体は弾き飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられた。


「飽きた。帰るぞ」

「いやあ、困った困った。本当に困りましたよ」

 

 所長が、まるで談笑するかのように肩をすくめる。


「そちらの女性は持って帰るつもりだったのですが……」

「さっきの男で我慢しろ。行くぞ」


「待ちやがれ……まだ、終わっちゃいねぇ……!」


 ガラガラと瓦礫が崩れ、ヴァイルが立ち上がる。

 血に濡れ、体は傷だらけ。

 それでもその瞳は死んでいなかった。


「持ち帰るには少々、元気すぎますね。弱らせてもらっても?」


 所長の言葉に応じるように、襲撃者が再び手をかざす。


「ぐっ……ああぁっ!」


 ヴァイルの体が地面に叩きつけられる。

 見えない重圧に押し潰され、骨が軋む。

 右腕が逆方向に折れ曲がり、苦悶の叫びが迸った。


「ありがとうございます。ええ、丁度いい……見事な調整です」


 所長はゆっくりとヴァイルに歩み寄る。


「そういえば――」

 

 指をパチンと鳴らす。


 ぞろぞろと、ムカデの群れが地面から現れた。

 それらは黒い液体のように集まり、先ほど倒れたはずの蜘蛛の肉体へと吸い込まれていく。


 ぬるりと再生した脚が動き、巨体が立ち上がった。

 さきほどよりもさらに大きく、禍々しい姿で。


「ご覧の通り。グリムハルトが来なくても……勝ち目など、最初から無かったのです」


「お前……“ヴァンクロフト”を、知っているか」


 押さえつけられたヴァイルを見下ろし、襲撃者が問いかける。


「知るか……よ……」

「クハハハハ! そうか! ならば朗報だ! 奴の時代は、いずれ終わる!」


 襲撃者の歓喜に満ちた笑い声が、燃え盛る街に轟いた。


「さて、帰りましょうか」


 所長がくるりと背を向ける。

 襲撃者がヴァイルの髪をつかんだ、その瞬間――。


 轟音。

 鋭い蹴りが襲撃者を吹き飛ばす。

 姿を現したのは、致命傷を負い、行方をくらませていたゲイルだった。


「親……父……」


 俯いたゲイルの表情は、苦痛ではなく、深い悲しみに彩られていた。


「ロウ……カスティア……すまん。全て、俺の責任だ」


 ヴァイルへと視線を移し、静かに告げる。


「倅。稽古ばかりで、父親らしいことをしてやれなかったな」

「なに……言ってやがる……」

「生きろ。そして……セシルを、頼んだぞ」


 その眼差しは、揺るぎない慈愛に満ちていた。


「やつめ……油断しおって」


 蜘蛛型の魔物が襲いかかる。

 だがゲイルは一歩も退かず、繰り出される連撃を全て捌き切る。


「任せたぞ、坊ちゃん!」

「――はい!」


 声とともに、横たわるヴァイルのもとにカイムが飛び込んできた。

 その刹那、氷の壁が生まれ、2人を包み込む。


 ガシャリ――。

 戻った襲撃者の一撃で氷のドームが粉々に砕け散る。

 だが、そこに2人の姿はなかった。

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