43. 過去と未来

 過去の映像は、そこで途切れた。

 セシルは静かに涙を流し、マリアは唇を噛んで俯いている。

 千年前の都市滅亡の真実を目の当たりにし、俺たちの間には重い沈黙が広がった。


 けれど、感傷に浸っている場合じゃない。

 確かめたいこと、問いただしたいことが山ほどある。


 “街の記憶”は街全体の記録のはずだ。

 それなのに、今の映像はあまりにもピンポイントで、俺たちが知りたがっていた場面だけを映し出していた。

 誰かが意図的に選んだとしか思えない。


 心当たりがあった。

 だからまず確かめてみる。


「なあ、見てるんだろ? 女神様よ」


 破壊された聖堂の天井を見上げ、問いかける。

 しばらくして、どこからともなく柔らかな声が返ってきた。


『またお会いしましたね、颯太さん』


「やっぱりな。さっきの映像、あんたが見せてたんだろ?」


『はい。久方ぶりに、懐かしい場所からアクセスがありまして。確認したところ、あなた方でしたので。あの映像は、わたしの後悔の記憶。救えなかった者たちへの、わたしの罪の記録です』


「あの時、あんたは何をしていたんだ? 助けを求める声が届いていないように見えたけど」


『……眠っていました』


「はあっ!? まさか、あの惨事に、居眠りでもしてたって言うのか!?」


『居眠りではありません。わたしにも予測できない出来事でした。そして、あの侵入者たちを止められなかったのです』


「侵入者……」


『颯太さん、リゼさん。あなた方は、彼らをご存じでしょう』


 女神の言葉に、皆の視線が俺とリゼに集まる。


「ひとりは知っています。俺が元の世界で勤めていた研究所の所長です。もうひとりは……」


 リゼの方を見る。


「“虚無”グリムハルト。S級のひとり。すごく嫌なやつ……大嫌い」


 やっぱり知り合いか。

 奴の姿を見てリゼが反応していた理由も納得だ。

 あの圧倒的な力……あれがS級ってやつなのか。


『彼らは千年前、さらにその遥か昔、古の時代から時を越えて現れた者たちです。颯太さん、あなた方と同じく』


 ……ん? 今、なんて言った?


「あの、もう一度いいですか? ちょっと理解が追いつかないんですけど」


『彼らはあなた方と同じく、古の時代から時を超えて来たのです』


「……ってことは。ここは異世界なんかじゃなく、“未来の世界”……!?」


『はい。あなたから見れば、そういうことになりますね』


「えええぇぇ!?」


 脳天を鈍器でぶん殴られたような衝撃だった。

 

「ウソだろ……。リゼ……知ってた?」

「途中から、気づいてた」

「だったら言ってくれよ……」

「言い出すタイミングが分からなくて。ごめん」


 ずっと異世界だと思っていた。

 まさか未来だったなんて。

 言われてみれば、1日は24時間で、太陽も月もある。

 食文化だって似ている。

 冷静に考えれば、おかしくなかったのかもしれない。


「ってことは……味を占めた連中が、また現れる可能性もあるんじゃ……?」


『過去からの侵入を防ぐため、時間跳躍によるゲートはすべて遮断しています。あの時はわたしが眠っており、侵入を許してしまいましたが……以降は対策済みです』


「なるほど……。でも、カイムたちはどうなんだ? 普通にこの時代に来てるじゃないか」


『彼らは、わたしが受け入れたのです』


「女神を殺そうとしてる相手を、わざわざ?」


『原因を招いたのは、わたし自身の過失です。その償いとして受け入れました。それに――わたしは、わたしの存在の維持に執着していません』


「……死んでも構わないってことか?」


『それが“人の意志”であるならば』


 自分を人間ではないと切り離すような言い方。

 千年以上存在している時点で、確かにもう人とは呼べないのかもしれない。


「あの、女神様! 父は……父は、どうなったんですか!?」


 セシルが縋るように問いかける。

 映像の最後、ゲイルがどうなったのかは誰にも分からなかった。


『セシルさん、ですね。あなたの父、ゲイルの死亡は確認されていません。しかし、その後の消息も不明です。推測ですが、古代へと連れ去られた可能性が高いと考えられます』


「父さんが……生きてる……」


 セシルは舞い降りた一縷の希望に、安堵の色を浮かべた。

 けれど、その表情はすぐに硬くなる。


「……なら、兄さんの目的は“過去へ行くこと”」


 十中八九、それだ。

 漸くヴァイルの狙いが見えた。

 本当に、言葉足らずなバカ野郎だ。


「でも、それが“女神様を殺すこと”にどう繋がるの?」


 マリアの疑問に、女神が答える。


『それは、過去からの侵略者を招くためでしょう。彼らは過去へ戻る手段を持ったうえで現れた可能性が高い。わたしが存在する限り、その試みは決して成就しません』


「なるほどね。協力してくれるならいいけど、そうでなければ――奪うか、殺すか。そういう話ね」


 聖女様、さらっと物騒すぎる。


「じゃあさ……同じ奴らが、もう一度現れる可能性もあるんじゃないのか? 正直、カイムでも勝てる気がしないぞ」

「グリムハルトが来ることは、ないと思う」


 俺の不安に、リゼが静かに答えた。


「どうしてそう言えるんだ?」

「……グリムハルトは、わたしが粛清したから」


「……は?」

「あの映像では両目があった。あれは、わたしに粛清される前の彼。颯太と出会った時点で、彼は協会に幽閉されてる」


 いやいやいや。

 平然と、とんでもない爆弾を投げ込んでくるな。


「粛清って……あれを? とんでもない強さだったぞ。セシルの親父さんも、ヴァイルも歯が立ってなかった」

「映像の彼は本気じゃなかった。“虚無”の二つ名どおり、すべてを飲み込み、消し去る重力の使い手」

「それを、リゼが……?」

「そう」


 ……無茶苦茶だ。

 目の前のリゼからは、そんな怪物を倒したとは想像もできない。

 けど、事実なんだろう。


「ところで、女神様のところに行けば、リゼが俺を元の時代に帰せるんだよな?」


『はい。お待ちしています』


「なら、カイムやヴァイルも一緒に過去へ送ってやれないのか? あいつらだって、あの惨劇を無かったことにしたいはずだ」


『それは残念ながら不可能です』


「え、どうして?」


『あれはすでに確定された事象。過去を変えることはできません』


「……タイムパラドックスってやつか」


『いいえ、違います』


 ……違うんかい。

 ちょっとカッコつけて言ったぶん、余計に恥ずかしい。


『“原因”と“結果”。“過去”と“未来”。――それらは同時に存在するものです。どちらが先でも後でもありません。あの惨劇に“未来から来たカイム”が現れることはなかった。それは変えようのない事実なのです』


「過去は……変えられないのか」


 もし戻れるのなら――そう願ったことは、何度あっただろう。

 けど、その願いは決して叶わない。

 どうしようもない現実が、鉛のように胸に沈んだ。


『――そろそろ時間です。この街の記憶も役目を終え、やがて街と共に大地へ還るでしょう。皆さんと再びお会いできる日を、楽しみにしています』


 そう告げて、女神の声は静かに途切れた。


「……これでミッション終了、だな。帰ろう」


 それぞれが複雑な思いを抱えたまま、俺たちは帰路についた。


「早くシャワー浴びたい……」


 ぽつりと漏らすルミナ。

 そういえば、まだ全身でろでろのままだったな……。

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