16. 兄

「兄さん……本当に兄さんなの? あの日から、ずっと探してた。ヴァンガードに入ったのも、全部……父さんだって……!」


 セシルのお兄さん――マリアが言っていた、あの……?

 確かに背は高く、整った顔立ちだが、優しさは一切感じられない。


「どうしていなくなったの……!?」

「セシル……邪魔をするな。俺はこれから神を殺しに行く」

「何を言ってるのか分からない! 父さんは!? あの日、“外”で何があったの!?」


「もう一度言う……邪魔をするな」


 白と黒の双剣が、音もなく構えられる。

 ためらいのない一歩――そして斬撃。


「――っ!」


 目にも留まらぬ連撃。

 セシルは防戦一方で、反撃する気配すらない。


「それがお前のギアか。肉体ではなくマナを斬る……臆病そのものだな」


 マジで兄妹で殺し合う気なのか……?

 ――止めなきゃ。


 二人の速さについていける自信は、まるでない。

 それでも――やるしかない。


 訓練用ギアを握り、全身に力を込める。

 限界突破オーバークロック――あの時の感覚を思い出せ。


 試験の時よりも、はるかに強い手応えがあった。

 力が、意志が、はっきりと自分の中にある。


 二人の動きがスローモーションに見える。

 一挙一動に、どう対処すべきかが分かる。


「行ける……今しかない!」


 飛び込む。

 突き出した剣先が、男の頬をかすめた。


 男は即座に飛び退く。

 セシルは肩で息をしながら、驚いた顔でこちらを見た。


「テメェ……」


 鋭い視線が刺さる。

 

 ――来いよ、相手になってやる。


 だが現実は、防戦で手一杯。

 ときおり、見えている軌道と実際の攻撃がズレて届く。

 まるでゲームのラグだ。

 かろうじて防いでいるが、一撃食らえば終わる。


「セシルちゃんの兄貴って本当なのか!? 本当ならなんでこんなことを!」

「うるせぇ! 部外者は引っ込んでろ!」


 苛立ちが男の顔に浮かぶ。

 

 ――今だ。もっと力を……!

 

 ギアが閃光を放つ。

 思考は必要なかった。

 自然に、呼吸をするように攻撃を躱し、反撃を叩き込む。


 横振りを上体だけでかわし、みぞおちに一撃。


「チッ……痛ぇな、おい!」


 効いた。

 だが、すぐに次が来る。

 今度は遅い方のラグ――こちらの方が先に届く。


 胸元へ、渾身の突き。

 確かな手応え。


「ぐっ……!」


 ――いける。


「親父みてぇな動きしやがって……癇に障るぜ」


 白と黒の双剣が重なり、灰色の光を帯びる。

 刃は一本の長剣へと変わり、独特の構えが取られる。


 消えた!? ――いや、速すぎて見えない。


 気づけば、眼前に迫る灰色の刃。

 間に合わない――


 爆ぜるような衝撃音。

 セシルが刃を受け止めていた。

 だが手にした短剣が、霧が晴れるように砕け散った。


 大きな隙――逃すものか。


 渾身の一撃を叩き込む。


「がはっ……!」


 男は数メートル吹き飛んだ。

 立ち上がれる状態ではない――そうであってほしい。


「はぁ……」


 面をかぶった人物が肩をすくめ、吐き捨てるように言う。

 

「バカ……見てられない」


 ……あいつも戦えるのか?

 

 セシルは満身創痍。

 ギアも砕けている。

 今、この場で戦えるのは俺だけだ。


 訓練用ギアを構える。

 来るなら来い――そう心でつぶやいた。


 その瞬間、背に鋭い衝撃が走った。


 息が詰まり、視界が揺れる。

 遅れて、焼けつくような痛み。


 氷の刃が背中から腹へ突き抜けていた。

 服が赤く染まり、視界が急激に濁っていく。


「え……何が……」


 背後から、聞き覚えのある声がする。

 

「解析、終わったみたいだよ」


 カイム――。

 振り返れないまま、俺はその声を聞いた。


「女神の居場所が分かった。ご苦労様」


 冷たい声。


「カイ……ム……」

「ごめんね、ソウタ。僕たちは女神を殺して自由になる。誰にも邪魔はさせない」


 ――翼。

 そう、カイムは続ける。


「僕たちには翼がある。でも、女神はそれを認めない。全員、鳥かごに閉じ込めて飛べなくしてるんだ」

「僕はただ、空を飛びたいだけ……君が一緒にいた女の子も、きっとそうだよ」


「……リゼ……」


 痛みに意識が遠のく。

 リゼの顔が浮かぶ。


 思うままに力を振るえる元の世界。

 無力にされたこの世界。

 彼女には、どう映っているんだろう。


 腹の奥の痛みとともに、意識が遠ざかっていく。

 血の匂いが鼻を刺し、世界は黒く――沈んでいった。




「……さん……」


 遠くで、誰かが呼んでいる。

 震えるような、少女の声。


 重たいまぶたを開くと、泣きじゃくる少女がいた。


 黒く艶やかな髪。

 涙に濡れた碧い瞳。

 見覚えのある顔。


「……リゼ……?」


 少女は顔をくしゃくしゃにして叫ぶ。

 

「お母さん……お願い、死なないで……っ!」


 ――お母さん?


 自分を見る。

 女性の体。

 腹は深く裂け、血で濡れている。

 

 やはり、これは――夢だ。

 以前にも見た、あの記憶のような夢。


 少女の肩を抱く腕に、かすかな力がこもる。

 それがこの体に残された、最後の力だった。


「そこをどけ」


 背後から低く冷たい男の声が響く。

 ぞくり、と背筋が凍る。

 少女を守るように、腕に力を込める。


「ヴァンクロフトの人間は一人。その子供は――殺さねばならない」


 この子を……殺す?


 夢の中の自分が、ためらいなく答える。

 

「……可哀想な人。この子は、必ず救うわ。――あなたも、レオンも」

 

 返答はなく、足音は遠ざかる。


「お母さんっ……!」


 少女の声が耳元で揺れる。

 震える手が胸元を握りしめてくる。


 腹の奥が焼けるように痛い。

 呼吸も浅く、指先が冷たい。

 意識が――溶けていく。


 それでも――この小さな手を、もう一度握り返したいと思った。


 ――リゼ……。


 世界は再び、深い黒へ沈んでいった。

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