第49話


 そんなやり取りをしてしばらく経ったある日である。

「そろそろあちらさんもくたびれてくるころだろう」

 がりがりと軽く塩水につけた痩せた大根をかじりつつ子賁が呟いた直後に、昌豨からの使いが来たという知らせをもって邲が飛び込んできた。

 ぽいと近くで麦を焚いている鍋に残った葉を放り込みながら文遠のいる間に向かう。

「子賁」

「聞いた」

「おそらく会見を希望している」

 それにちょっと子賁は歯を見せて妙な顔をしたまま考え込んだ。

「まぁ最終的にはこのあたりで手打ちにしたいんだろうから、逢ってみて考えたらどうだ」

「向こうが呼び出してきたらどうする」

 それにちょっと渋い顔をしつつ子賁は文遠を見た。

「俺を連れていくなら説得に行ってもいい。でなければナシ」

 それに今度は文遠が苦い顔になった。あるいは下邳を思い出したのかもしれない。

「…ま、逢ってみてから考えようぜ」

 そういって使者を通す。会見の間には妙才もすでに着席していた。

「昌郡尉は降伏を考えつつ、迷っておられます」

 使者の言葉に子賁は文遠と目を見かわした。

 妙才が口を開く。

「正直だな。迷っている理由はなんだ」

「昌郡尉はご自身に万一のことがあった場合、身内の者の安全を保てるかをご心配されておられます」

 それに妙才は文遠を見た。

 子賁は考え込む。

 言っている事に破綻はない。

 そして妙才と文遠を見た。

 妙才は曹家に連なる人物である。軽々と敵陣に行くと何が起きるかわからない。

 となるとやはり文遠が説得に行くのが一番良いだろう。説得上手であるし、万一囲まれたとしてさっさと暴れて帰ってこれるだけの武威もある。

 あとは同行する子賁自身が自力で無事で切り抜けるのが条件となる。

「夏侯校尉、私が先方に行き説いてまいります」

 文遠が言うのに、妙才は渋い顔をした。

「お前直々に行くのか?」

 そういって子賁を見た。子賁に行かせたらどうか、という意味だったろう。

 が、それにかすかに文遠が殺気立った。

 ぴり、と空気が張り詰める。使者がそっと汗をぬぐった。

 妙才が軽く顎を引いた。まずいことに触れた気配は感じたらしい。

「はい。これも連れていきますが。これだけでは不安がありますゆえ」

 それに妙才は黙り込んだ。何かを察したらしい。

「分かった…ご使者、ご苦労だった。明後日にそちらに文遠がお伺いする。そのように郡尉に伝えてくれ」

 

 翌々日。

 文遠と子賁は連れだって馬で昌豨を訪ねた。

 伴はいない。

 妙才は「殿から預かっていたものだ。これをもっていけば少しは気休めになろう」といって、節を渡してきた。

 節とは朝廷の使者であることを示すものである。比較的新参者の文遠が持つにはかなり権能の大きなものであり、本来では触れることもかなわない。それを妙才が預かっていたというのは、朝廷の使者という体を取れば過ちも少なかろうという配慮であろう。

文遠は謝辞を述べた。

 それを子賁は横目で見ていた。

 この配慮は曹公のものであろう。

 それに子賁は許のほうにひそかに謝辞を述べた。

 節を見ると、すぐに昌豨は跪拝した。

 さすがに節を持った使者に害意を持つことは難しかったらしい。

 幕舎の中で差し向う。子賁は侍立した。

 昌豨は思っていたのと違い、細面で比較的線の細い男だった。どうも子賁が気になってならないようで、こちらをちらちらと見ながら文遠に改めて挨拶する。

「すでにここで対峙して1年になろうとしております。もし郡尉が袁氏に対しての忠誠を気になされているとしても、すでに義は果たされたのではないでしょうか」

 文遠が穏やかに言う。

「は…。おっしゃる通りですが」

「今降伏されれば郡尉含め、皆様の安全は保障いたす」

 機先を制するように言われ、昌豨が沈黙する。

 人たらしめ。

 半目で子賁は文遠を見た。

「信用できますかな」

「私はかつて関雲長の投降を手引きいたしました。節がなくても私は己の首にかけて身の安全を保障しました。そして曹公は約束を守られた。まして今私は節を持っております。これに偽りなどありましょうか」

 それに昌豨は沈黙し、唸った。

「…将軍、私の家族が三公山におります。私がここで降伏しても彼らは私を心配し、そう簡単に降伏いたしますまい。将軍自ら説かれますか」

 そういう昌豨に子賁は内心舌打ちをした。確かに昌豨一人を説得に遣わしたところでまた反抗される可能性がある。となると結局文遠が行くしかなくなる。

「わかりました。参りましょう…ただ三公山に上るのは私一人です。一旦供を自軍においてから参りましょう」

 そういうのに子賁は思わず目を剝いた。

 視線を文遠に向けると、目が合う。

 行かせてくれ、という目に子賁は大きく息を吸い込み、そして吐き出した。

 こいつも言い出したら聞かないんだよなぁ。頑固者め。

 やれやれ、と思いつつ肩をすくめて見せた。それにすまない、という顔を文遠が向ける。

「ではこれにて。明後日こちらにまた参りますので、準備をお願いいたします」

 そうして会見が終わると、文遠は礼をする。それに合わせて子賁も礼をした。

 昌豨も礼を返す。が、困惑した顔をしていた。その目ははっきりと子賁に向けられている。

 先ほどから気になって仕方ない、という顔をしていたが。

「あの、失礼ながらそちらは」

「私の校尉で白子賁と申すものです」

 文遠の紹介に、ゆったりと拱手する。

「白子賁と申します。以後お見知りおきを」

 それにようやく昌豨はほっとした顔を見せた。その表情は子賁が声を発したとたんに変わったのを子賁は見極めていた。いくら花も恥じらう美貌と言われようが、子賁も声を出せば男性であるのは明白である。

 どうも黙って侍立していた子賁が男性に見えず、軍中に夫人を連れてきているのか、と誤解されていたらしい。軍規の乱れている軍もあるしまったくないとは言わないが、この時代女性は公的な役目を負うことを許されず、当然このような会談の場に夫人を連れてくることはない。

 相手に対して非礼であるし、侮辱になりかねない。

 男性であり校尉という文遠の腹心である、とわかった昌豨は驚きの目で子賁を見た後に陶然とした目つきになった。どうやら別な誤解が生まれたらしい。

 その昌豨に、子賁は柔らかく声をかけた。

「昌郡尉、東海は河が氾濫すれば被害の大きい場所です。魏国内との通商が盛んになれば、不作の際も民は食に困ることはなくなりましょう」

 このあたりは黄河の下流域にあたり、洪水で作物が全滅するなど被害が出る場所である。蝗害もしばしば発生する地域でもある。

 そのような地域が凶作中に孤立無援になれば民が苦しむことになる。

 その言葉に昌豨ははっとした。俠を標榜し政治に触れているのであれば、民を苦しめないことは常に昌豨も考えているであろうと子賁は思っていたが、どうも当たったらしい。

 瞠目した後に、昌豨は恥じらうように一礼した。

「…ご助言感謝いたします。…おっしゃる通りです」

 黙って帰ってもよかった。が、自分が文遠に同席させられるだけの人間であることを示したほうが良い、と子賁は考えた。型破りな将軍という認識だけならよいが、今後を考えると文遠の人格を疑われるのは別な面倒事の元になりかねない。

 そこでさりげなく政治的な話を出した。同時に昌豨の反応を見るのも目的である。

 驚きの後、さらに昌豨の表情は一瞬こわばった。戦の最中も不思議と許方面の食料が東海に継続して流れ込んできているのを把握していたのだろう。子賁が手を引いていたとは気づかないまでも、もしや、というところは思い当たったかもしれない。

 そこで文遠が「ではまたまいります」と会談を切り上げた。

「はい、では後日…」

 主従が馬に乗った時に、子賁を舐めるように見た後にぼそりと昌豨が「うらやましい」というのが聞こえた。

 わかってんのかなぁ、俺30に手が届くオッサンなんだけど。

 子賁は内心独りごちた。ゆっくりと蟾を歩ませて文遠の後を追う。ある程度行ったところで馬を並べると文遠のこめかみに青筋がうねっているのが見えた。

 どうもしっかり聞こえていたらしい。  

「…いや、ね、今更でしょ。怒ることないでしょ」

「…」

 窘めるように言うが返事はない。むっすりとして盈を歩ませていた文遠が、やがて大きなため息をついた。

「…あそこで釘をさしておいてよかったな」

「あぁ。あれ?」

「一歩間違えていたら下邳の二の舞になっていた」

 そういわれ、くるりと目を回して子賁が一考する。

 たしかに単なるそういう相手と誤解されたままだとお近づきの印に今夜貸してくれ、となった可能性は無きにしも非ずだった。

 接待、というものである。

「必要だったら黙認するんじゃなかったっけ?」

 子賁がいうと、文遠が舌打ちをした。でかい図体の上に凶悪な顔でやられると、柄が悪いことこの上ない。

「必要なら、な」

 それお前半永久的に許可だすつもりねぇだろ。

 そう思い、子賁は半目になった。

 …30のオッサンの貞操なんぞけちけちするもんじゃないだろ。

 等と言おうものならどんな荒れ方をするかわかったものではないので、とりあえず子賁は黙っておくことにした。


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