第7話 じゃない方アイドルのライブ

 気づけば会場は目の前にあった。未だに慣れない都会の地で、電車の乗り換えを間違えることなくここまで来られたことを褒めてほしいくらいだった。会場の外だというのにこの人だかりは少し恐ろしかった。女性アイドルのライブだから九割以上が男だと思っていたのだが、若い女性や家族連れのファンが意外と多いことに気づいた。男が六で女が四くらいの割合だろう。近くにいる小学生になりたてくらいの女の子は、推しメンのタオルを持って走り回っている。西野奈々未という文字が目に飛び込んだ。


 とりあえず会場に入ろうと、人がたくさん並んでいる列を見つけ、そこに並んだ。やはり二人以上のグループで来ている人が多く、一人で来ている俺に視線がちらちらと伝わる。この人混みの中、ライブのTシャツの上に真っ黒のパーカーを着てきたのだが、かえってそれが目立っている。チクチク刺さるような痛い視線をほんの少しのあいだ我慢すればいいと思えば、気が楽だった。


 三十分ほどの時間をかけて、やっと受付にたどり着いた。俺はチケットを提示した。すると受付スタッフのおばさんは受理せず、少し首を傾げる。


「あの、これは関係者席のチケットですので、ここでは受理できません。お手数をかけて申し訳ありませんが、あちらのレーンに並んでいただけますでしょうか」


 俺はなんのことかさっぱり分からないが、とにかく俺がここにいることが間違っているらしい。このおばさんが指さしたあのレーンに向かえばいい、それだけを脳に命令させる。


 俺は受付の人に、すみません、と二回ほど頭を下げて移動する。並んでいたのに去って行く、そんな俺に対して視線がさらに集まる。パーカーの帽子を被るが、それがさらに不審要素を急増させているみたいだ。どうせ二度と会うことのない人、そう思えば、恥ずかしさなどを感じることはない


 そこから別の列に並んで受付を済ませた。入場するのに本人確認書類が必要と言われて少し焦った。学生証が入っている財布が無ければとんぼ返りするところだったが、きちんと持ってきていて安心した。その後は手荷物検査、金属探知機による検査を行った。千人なんて余裕で超える行列なのに、一人一人にこれだけ時間をかけていることに驚いた。過去に事件でもあったのか、検査員はいっさい作業を怠らなかった。迷子になりかけたが、無事に自分の座席につくことができた。


 この席は割と高い位置にある。少し身体を出して見下ろすと、下の方でわらわらと人が動いている。隣には寡黙そうな男性が座っていて、向こうにはメンバーの友だちなのか、複数の女子が何グループかいる。他にもメンバーの家族らしき人もいるため、血縁関係もなくて関わりの薄い俺がここにいていいのか、と不安になる。


 とりあえず俺はパーカーを脱いで、持ってきた麻衣のグッズを取り出す。ペンライトと一緒に入っていたメモ用紙には、『橙 緑』と書いていたため、この色を灯せばいいのだろう。家を出る前に使い方を学んだが、いちおう点けてみる。スイッチをオンにして白い光を灯し、ボタンを押して橙と緑に変える。眩しい光を放つペンライトに目を細める。しっかり電池も補充したため、電池切れの心配はない。


「橋掛麻衣さんのお兄さんですか?」


 突然話しかけられ、心臓がビクンッと反応する。寡黙そうな男性がペンライトを見てそう言ったのだ。


「いえ、友だち……みたいなものです」


 友だちと言えるのか、怪しいから言葉がふらついた。


「お、彼氏?」


 デリカシーもなくそんなことを言うこの人は、とても愉快で不敵な顔をしている。


 それに突然敬語が消えたから、この人は年上なのだと理解する。


「違います。否定できる証拠は何もないですけど」


「いいんだよ。俺も『吉川よしかわ優里ゆうり』ってやつの友だちなんだよね。ま、ここだけの話、そいつの元カレなんだよね、俺」


 場内にメンバーの声で注意事項や来場客への挨拶が流れる。周りの声を聞く限り、これは『影アナ』というらしい。メンバーによって反応にばらつきがあるが、場内は徐々に熱狂の渦の入口に巻き込まれる。


 しかしこの二人の間に流れる空気だけ他とは違う。


「言っていいんですか? 初対面の俺にそんな危ない情報を言って」


「いいさ、君はそういう人じゃないって分かるから。同じ目をしているから信じられる」


「……俺には分からないですけど」


「まぁいいんだよ。見た感じライブは初めてっぽいね」


 ペンライトの使い方に慣れていない様子からそう見られていたようだ。


「そうですね、初めてです。あなたは?」


 すると彼は素早い手つきでペンライトを点灯させる。桃と橙、おそらく吉川優里のカラーなのだろう。


「俺さ、吉川から突然フラれたんだよ。アイドルになるから関係を終えてほしいって」


「へぇ」


「もう少し興味持てよ」


「あぁ、えっと、そうなんですね」


「……まぁいい。でもあいつがアイドルになりたいっていうのは知ってたから、驚くようなことじゃなかったよ。でも音楽番組に吉川が映ると、やっぱり夢でも見てる気がするよ。まぁでもテレビに映るのなんて、やっぱり西野奈々未とかと比べると滅茶苦茶短いんだ。だから俺も吉川の力になりたいって思ってたら、いつの間にかここで応援してるってわけ」


楽しそうに話していた影アナは、「福沢ふくざわ葵あおい、川田かわた愛梨あいりで影アナをお送りしました」とどちらか一人がそう言ってアナウンスは締められた。


「凄い関係ですね。恋人からファンになるなんて」


「ほんと凄いと思う。でもあいつのためにも俺がしっかりしてないと迷惑かけてしまう。だからこんなこと、お前以外誰にも言えない。家族にも、親友にも」


「だったらなおさら言わない方がよかったじゃないですか」


「なんていうかな、知ってほしいんだ。輝かしいステージでパフォーマンスをする彼女たちは別世界にいて、今まで抱いてた感情を捨てざるを得ないんだって。俺と同じ状況の君に」


 彼はペンライトをゆらゆらと振りながらそう言った。きっとこの人は、本当に僕が麻衣の彼氏か深い関係にあるのだと思っているらしい。注意勧告みたいなものだろう。


「別に麻衣に特別な感情を抱いてないですよ。強いて言えば、ただの恩人ですよ」


「そうか。なら、そこから超えないように、もしくは超えられないように、だな」


 彼はなにを言っているのだろう、と少し頭を悩ませる。


「まぁでも、彼女はとてもマジメらしい。一つ一つの仕事を真摯に取り組んで、誰よりも感謝されるような人だ、って。だからそんなことは無いだろうけど」


 この情報は、おそらく元カノから聞いたのだろう。


「あ、言い忘れてたけど俺は鈴木だ。よろしく」


 鈴木さんは橙色が灯されたペンライトを差し出す。


「掛橋です、よろしく」


 俺は橙色に灯されたペンライトをそれに重ねる。カチッと音を立て、二つ合わせてバツ印が作られた。


 すると会場の明かりが徐々に消え始め、会場はざわざわとする。俺も何が起こるのか分からず、少し警戒していた。隣にいる鈴木さんは、バカにしたような笑いをしてくる。だからそこまで大きなことは起こらないのだろう、と心構えをする。


 まだ何も起こっていないのに、会場のボルテージは上がってくる。ファンの声は重みを増して、会場が揺れているような気がした。明らかに孤立している俺は、彼らに重ねるように少しだけ声を出してみた。


 するとベースとドラム、エレキギターなどが激しく響く楽曲が流れ始めた。その音楽を鼓舞させるようにファンも声を出す。鈴木さん曰く、『OVERTURE』と言うらしい。六十、七十パーセントだった会場のボルテージは一気にマックスになり、天井知らずの盛り上がりとなる。鈴木さんもノリノリで立ち上がって声を出している。落ち着いた目で見ている俺を見かねたのか、「お前も立て」と腕を思いきり引っ張られ、立った。この感覚はなんて言うのか分からないが、とても高揚した気持ちになる。


 何が起こるのかを楽しみに待っていると、OVERTUREが終わった。音楽が止んで会場はざわめきだすが、ここで勢いのあるイントロが流れ出した。たとえ受け手がどんな雰囲気であっても、感情を躍らせるような音楽だ。


「これは盛り上がるぞ」と鈴木さんは言った。


曲名もメロディーも歌詞も分からない俺は盛り上がれるのか心配だった。だがその心配は、照明がふんだんにたかれ、中央のステージからメンバーが飛び出した瞬間、少し消えた。でも正直、誰が出てきたのかは分からないが、そこに麻衣がいない、ということはすぐに分かった。


中央から出てきたメンバーは少しのあいだ宙を舞って着地する。その後、ファンの人たちを煽り、会場を一気に熱狂の渦へ連れていく。気持ちは昂っているが、どうやって盛り上がればいいのか分からない俺は、とにかくペンライトを振るだけだった。


「最初はそんなもんだよ」とぎこちない俺の動きを見て鈴木さんは言った。「俺も最初はついて行くのに必死だったけどさ、来るうちにさ、やっぱりライブは楽しいって気づくんだ。楽しい気持ちさえ持っていれば、案外どうとでもなるんだ。とはいえここは関係者席だ。派手に盛り上がるのはちいと難しいな」


「大丈夫です。ここで見守るように見てるんで」


 顔が小さすぎて人を判別するのが難しいが、ここから見ても麻衣が出てきたのは分かった。麻衣は手前の観客に身体を向けて、大事そうに手を振っている。


 俺がペンライトを振ったら気づいてくれるのかな、と淡い期待を抱いて振ってみた。だが再び暗転して、麻衣を見失った。


 重低音から始まる音が流れて真っ暗闇に包まれた場内だが、その闇からぽつぽつと浮かび上がる数多な色彩のペンライトが幻想的だった。サビが近くなると、バラバラに灯されていた色は、次第に赤一色に変わる。会場の一体感に鳥肌が立った。


 ライブはアイドルらしい曲からロックバンドのような激しい曲まで、幅広いパフォーマンスをしている。単純に歌詞が良いバラード曲もあって、それには胸を打たれた。


次の曲に移る。夏がテーマの曲らしい。太陽のように熱く、海のような涼しげな雰囲気のあるその曲で、清々しい表情で歌って踊る麻衣を見つけた。この前のテレビで見たときとは全然違う。あの日と今日とでは何がどう違うかなんて、俺には分からない。でもその姿は、とにかく楽しそうに見える。


 曲の途中、フリーパフォーマンスなのか分からないが、各々観客に手を振ったり投げキッスをしたり、色んなアピールをしている。そのとき、俺は二つのペンライトを振りながら麻衣の横顔を目で追っかけていた。どうせ気づいてもらえないだろう、という思いを抱きながら。麻衣は視線を上の方に向けて手を振っているが、視線と腕の角度が合わないような気がした。そんな違和感を抱きながら麻衣を見ていると、その目は次第にこちらに近づき、目が合った、ような気がした。


 でもそれは気のせいではなかった。麻衣はこちらに指をさし、アイドル笑顔を保ったまま手を振った。なんだか嬉しくなり、持っていたペンライトを助けを求めるように振り回した。ウインクをしたように見えたが、それは気のせいかもしれない。


 今朝、普通に話していた人は輝かしい華のステージでパフォーマンスをしている。本当に不思議なことだ。麻衣は今、別世界にいる。その言葉は確かにそう思える。


「ファンサ貰いやがって。俺なんか無視だぞ」


 鈴木さんは悔しそうに言った。少しのあいだ、ただ笑い合った。


「そういえば、シェイドライブの意味知ってるか?」


 ペンライトを振りながら鈴木さんはそう言った。名前に意味などないと思っていたから、知らないです、と正直に答えた。


 すると鈴木さんは持っていたペンライトを消した。


「日陰のライブ。音楽番組に出られないメンバー、いわゆる【じゃない方アイドル】たちが集まったライブだ」


 なんて残酷な名前なんだろう、と思った。でも、日陰だってずっと日陰なわけではい。日晒しの下で輝けるとき、彼女たちの内に秘めた力が発揮される。


 客観的に見れば、人気は無いのかもしれない。でも彼女たちは今、絶対に輝いている。そんな彼女たちを、俺は羨望の眼差しで見届けた。

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