第3話

「お待たせ」

「あっ、先生」


 山田からお礼の打診を受けた三日後の土曜日。

 断ろうとしたが、結局こっちが折れることになった。


「待ち合わせ、ちょうどだよな?」

「はい。少し、待ちました」

「デートじゃないんだから」

「え~」


 待ち合わせちょうどに到着した俺に苦情を漏らす山田をあしらうと、彼女は呆れた表情で不満そうな声を上げた。

 デートですら遅刻が珍しくない俺が間に合ったんだ。抗議されるなんて心外だ。


「じゃあ、行くか」

「はい」


 県内では大きめの駅で落ち合い、駅近の洒落たカフェへと向かう。

 私服でも山田の印象はあまり変わらない。野暮ったくもなく、妙にフェミニンすぎるわけでもない。大人しい色使いなためかオフィスカジュアルがイメージに近い気がする。

 長身も相まって普通に大人っぽい印象だ。


「昼は?」

「食べました」


 それならコーヒー飲んで解散でいいか。ちょうどいいな。

 隣を確かめると、同じ歩幅の山田がそこにいた。

 その気楽さに欠伸がこぼれかける。


「……先生」

「どうした?」

「お昼は?」

「……ブランチ、だったかな」

「寝坊ですか?」

起床時間です」

「へぇ~?」


 生徒相手に俺の態度もおかしいが、山田のこの距離感もおかしいな。



◇◇◇



「では、こちらを――」

「……はいよ」


 カフェに到着して注文を終えると、山田がスッと封筒を差し出してきた。その滑らかな所作に対して封筒にはシワが入っている。

 辞退は無理だなと端から諦めていた俺はそれを受け取る。


「これでお互いにミッションクリアですね」

「そーだな」


 苦笑を交わす俺たちの元にコーヒーとラテが運ばれてきた。

 先日、愛車の窓ガラスをノックした山田を招き入れてからの会話が思い出される。

 初めにお礼を言われた。そこまではいい。

 続いて山田から差し出された封筒。恐る恐る開けるとそこには『御礼 お茶代にお使いください』と達筆で記された紙に五千円札が同封されていた。

 なんだこれは。受け取れない。そう答える俺に山田は封筒を押し付けた。

 母からです。事情を話しました。そしたらこれです、と。


「そーいや、頬はもう大丈夫か?」

「ええ、今日はほぼノーメークです」

「さいか」


 山田の母親にコトが露見したのは頬の傷が原因だった。風呂上がりに頬にひっかき傷をこしらえてきた娘を、母は呼び止めた。

 メークのおかげで傷が消えた気分でいた彼女は追求から逃れられなかった。

 彼女が洗いざらい事情を話すと、母親はこの封筒を用意したそうだ。必ず受け取ってもらうように、と一言を添えて。

 母親の勅命を受けた山田は数日俺を眺めていたが、腹をくくって封筒を差し出したところ俺に拒否されてしまった。そこで食い下がる彼女との押し問答の末、俺たちは二人でこの御礼五千円を消費することにしたのだった。

 我ながらどうして拒み切れなかったんだと思うが、山田もその母親も強情であろうことを察した末の判断だ。


「……その後、問題はないか」

「ああ……あっちもバッチリ解決しました」


 深入りしたくはないが、聞かないのもおかしいので尋ねる。すると山田は拍子抜けするほどあっさり解決したと答えた。

 軽く味を確かめてから、ラテに砂糖を足して掻き混ぜる仕草は手慣れたもので動揺は感じられない。


「……うん。おいし」


 なかなかの甘党らしい山田は納得すると、ラテを再び口にした。


「……そうか」


 バッチリ解決、か。

 瞬く間に用意してきた話題を消費してしまい、俺はコーヒーカップを手に取った。

 シャープでいて苦さを想わせる香りだが甘さも感じられる。口にすると苦味が広がるが重くはない。いまいちシャキッとしないが、美味しいことに違いない。


「コーヒー、好きなんですか?」

「えっ?」

「堪能、してるっぽいので」


 気付けば山田が両手で包み込んだカップ越しにこちらを見つめていた。


「家でも、淹れたり?」

「休日だけだけど」

「へぇ」


 山田は不思議そうに俺の手元のブラックコーヒーを眺めている。


「先生。今日は駅まで車ですか?」

「いいや? 電車、だけど?」

「そうですか。私は私鉄です」

「……そうか?」


 唐突なやり取りに困惑する俺を山田が見つめた。


「先生、このあとは、どこ行きます?」

「えっ?」


 次が、あるのか?



◇◇◇



「わぁ……」


 カフェを後にしてしばらくして。

 俺たちは美術館にいた。鳥と獣、そして風景の絵画展。客入りも上々だった。

 用事があるからと断る俺に、同行を申し出た山田を連れてきたのだが案外楽しんでいるようだ。

 山田は風景よりも動物、鳥よりも獣が好みらしい。


「あっ、『叫ぶビーバー』」


 入ってしばらく進んだところの小広間に大きな縦長の絵が飾ってあり、それに山田が吸い寄せられていく。山岳地を背景に茶色でずんぐりとした生き物が後ろ足二本で直立して大口を開けている絵だ。

 ネットで流行った動画をそのまま絵にしたような構図でとにかく大きい。


「そういうタイトルだけど、コレ、ビーバーじゃないぞ」

「そういえば、なんか聞いたことある。ええと……ウッドチャック?」


 ビーバーの姿が思い浮かぶ人からしたら、これは違うと分かるが、じゃあなにかと言われた困る謎の動物。ここでウッドチャックが出てくるあたり山田は結構動物好きかもしれない。


「惜しいな。こいつはマーモットだ」

「マーモット?」

「マーモット。アウトドアブランドのロゴにも描かれてるぞ」

「……この子は、その、なんですか?」


 マーモットの絵をいぶかし気に眺める山田。全体的に丸みを帯びたフォルムはぬいぐるみのようだが、分類カテゴリーとなると何者か分からない、妙ちきりんな姿をしている。


「リスの仲間だ」

「りすぅ~⁉」

「しぃ……!」


 アニメで悪役が口にする『なにぃ⁉』もかくやのイントネーションで叫ぶ山田を制すと、彼女はスマホを操作し始めた。


「……うわ、マジか」

「マジだろ?」

 

 確認の精神は大事だが、教えてくれた人の前で、堂々と検索するのはどうなんだ。

 改めて巨大マーモットを眺めてみると、腹の辺りにPOPが貼られていた。


「これ、ボタン押すと鳴くみたいだぞ」

「……『マジモンの叫びが聞こえる』ですか?」


 これは面白い企画だ。ネットだと男の断末魔のような叫びを上げる作り物フェイクが有名だけど、実際マーモットは笛の音のような声で鳴く。そのことを知っている人も知らない人も楽しめる仕組みになっている。

 山田に勧めようと見やると、向こうもこちらを見つめていた。


「「押して――」」 

「みたら?」「みません?」


 どうぞと差し出していた俺の手を山田がパシリと掴んだ。


「一緒に、押してみません?」

「いやいや、いいって」

「……もしかして、ビビってます?」


 どうやら山田はこのボタンを押すと、絶叫が発せられると思っているようだ。そのうえで誘ってくるとはいい性格だな、コイツ。


「いやいやいや、誰が? 何に?」

「じゃあ、いいじゃないですか。押しましょう、ほかの人を待たせちゃいますよ」


 結局二人でボタンを押して、甲高いマーモットボイスに山田が爆笑した。

 そして、揃って職員に注意されたのだった。



◇◇◇



 美術館の順路終盤の部屋。

 高めの位置に飾られた風景画のような作品の前に俺たちはいた。

 ソファに腰かけたままとはいえ、十分以上はこうしているだろうか。

 隣の山田は何も言わず座ったままだ。若いのにこういうところはお利口さんだ。

 

「先生は」

「うん?」


 独り言のような山田の声に正面を向いたまま答える。


「この絵、見に来たの?」

「そうだな」


 再会というタイトルの山岳風景のなかに渡り鳥が描かれたこの作品は今回の展示の目玉だ。一部屋を独占しており、人の行き来は他よりも多い。


「鳥好きなのはわかったけど、これが一番?」

「そう、なるか……」


 好き嫌いというよりは、見てみたかったというのが一番だ。けど、来てよかったと思う。

 そんなことを思っていると山田がおもむろに立ち上がった。 


「……ちょっと、外しますね」

「先に帰っていいぞ?」


 流石に待たせ過ぎたか。そう思って帰宅を促すが、山田は首を振る。


「待ってて、ください」

「分かった」


 ややあって戻ってくると山田は立ったまま折りたたんだ紙を手渡してきた。


「先に帰ります。これ読んでください」

「ああ……?」


 困惑したまま紙を広げると、そこには鉛筆書きで数字とアルファベットが記されている。アプリのIDのようだ。

 

「連絡、待ってます」

「え? なんで?」

「そこも含めて続きはスマホで」


 美術館のアンケート用紙を使った手紙を持ったままの俺に、山田は一方的に要望を告げると颯爽さっそうと去っていった。


「立つ鳥跡を濁さず、か……」


 山田の後姿を見送り、絵に向き直る。

 再会というタイトルの絵画。

 作者は何を想いながらこの絵を描き切ったのだろうか。

 絵筆を手にした瞬間、目の前の渡り鳥たちはそこに居なかったはずだというのに。

 気付けば視線が出口のほうへ向いていた。山田の姿はもちろんなかった。


「……ちょっとだけ、濁ったか」

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