第2話

「その子は、山田奈緒やまだ なおだな」


 午後の業務を一通り済ませてから向かった保健室で顔馴染みの養護教諭の足立に尋ねると、彼は山田の名前を教えてくれた。

 

「で、どうした? 珍しく生徒の名前を知りたいなんて」


 生徒が利用していないからか砕けた調子で足立が尋ねてくる。年齢が近いこともあって、たまにこうやってくっちゃべっている仲だ。


「さっき昼休みに裏庭の方にいたっぽいんだよ。なんか誰かと揉めてたような、そうでもないような?」

「そうか」


 多少ぼかしつつ昼の出来事を足立に伝えた。悪いな山田、俺はズルい大人なんだ。

 とはいえ、相手は選んでいるつもりだ。足立はちゃんとした大人で懐が深い。下手に騒ぐことはないはずだ。


「特に揉め事は聞かないな。成績優秀だし、実家は裕福だ」


 成績優秀とはやるな。育ちはよい気がしていたが、勉強もできるタイプだったか。絵は無難且つ器用な感じだったかな。

 先程の山田とのやり取りを思い返すとしっくりくる評価になるほどと頷いていると足立が何か思い出したようだ。


「あ、でも……確か。如月、ちょっと……」

「はいはい」


 肩を落とし手招きする足立の誘いに従い、額を突き合わせるように椅子を寄せる。

 これはゴシップか。洒落にならない事情か。どちらにしてもオフレコってヤツだ。



◇◇◇



「交際経験はまあまあ豊富そうだ。常識の範囲で、だが」

「そうなのか」

「ああ。言われてみると、男子人気もそれなりだな」

「ほう」


 保健室の先生として勤める足立の元には生徒の色んな噂が集まってくる。自衛を兼ねてのことだが、誠実対応を徹底している彼のことを信頼している生徒は少なくない。そうなると今度は女子も男子もペラペラと他人のことを暴露するものだ。


「先輩と付き合っていたとか、他校の生徒と付き合ったとか。いまは確か、同級生と……」


 成績優秀で恋愛経験も豊富とは充実の学生ライフだ。足立は俺に聞かせるでもなく喋り続けている。おそらく頭のなかで噂話のピースとピースが高速で繋がっているのだろう。


「それで、揉めてそうな相手は?」


 その推理を中断して、犯人の名前を尋ねる。足立は若干不服そうな表情を浮かべたが、候補は絞れているだろう。俺はこいつと違って推理ものは趣味じゃない。


上野茉莉花うえの まりか。こっちはたまに恋愛方面で揉めてるな」


 名前で顔がすぐに頭に浮かんだ。なかなか派手な生徒だ。

 なるほど、彼女が犯人で間違いないだろう。

 記憶にある上野の背丈。山田が吐いた『クソちび』という罵倒。山田の頬の傷の付き方。いずれもピタリとハマる。

 その回答に満足した俺は保健室を後にする。

 帰り際に『あんまりサボるな』と足立に釘を刺された。


「受験シーズンだし、穏やかにいこう」


 適当な言い訳を述べつつ足立に手を振る。就任三年目、ブラック気味の会社勤めを経て運よくホワイト職場を引き当てた美術教師としては緩く適当に目立たず過ごしたい時期なのだ。



◇◇◇



 保健室を後にすると、ちょうど休み時間だったようで、廊下を生徒たちが行き交っていた。

 

「あっ」


 正面、別棟の窓ガラスの向こうに歩く上野の姿があった。

 背丈は低いが堂々としており、後ろに取り巻きが数人続いている。そうだ、ああいうタイプだった。恋愛ごとで揉めると厄介そうな相手だが、山田は大丈夫だろうか。


「…………」


 不意に視線を感じた。盗み見るような感じではなく、ハッキリとこちらを見つめる感触に従いそちらへ顔を向ける。


「……山田」


 同じく別棟の窓ガラスの向こう、上野とは大分距離はあるが廊下に立っている山田が俺を見つめていた。


「うっ」


 彼女の表情からは真意が読み取れない。しかし、上野を見ていたことも含めて『お前の考えてることはお見通しだ』と言われているような居心地の悪さを感じる。

 堪らずに視線を逸らした俺は逃げるように職員室へと向かった。



◇◇◇



「見られてる」


 出会いの日の翌週。山田からの視線は続いていた。

 裏庭に停めている愛車のなかで大きくため息を漏らす。


「視線強いぞ~、山田」


 相変わらずのハッキリとした視線を送られ続けて正直辟易へきえきしてきた。


「俺が、なにしたぁ……?」


 訳が分からない。

 山田がこの間の出来事に感謝していて合掌して見せたりだとか、逆に怒っていてそれが表情に現れているのならいい。山田はただハッキリとした視線を短時間だがこちらに向ける。それだけだった。

 ハンドルに寄りかかり、独り唸っていると窓ガラスがコンコンとノックされる。

 慌てて振り向くと、そこには山田が立っていた。


「こんにちは」

「……こん、ちわ」


 どちらが教師か生徒か分からない挨拶を交わすと、山田が薄く笑った。

 蛇に睨まれた蛙の心地を味わっていると、彼女は要件を告げた。


「お礼、させてください」

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