『拾ってはいけないランドセル』

そのランドセルは、いつも“同じ場所”にあった。


通学路の途中、団地の裏にあるカーブミラーの根元。

小さな空き地の隅に、ぽつんと置かれた、赤いランドセル。


誰のものかは、誰も知らない。

毎朝そこにあって、毎晩もそこにある。


不思議なのは、誰も盗らないし、誰も触れないことだった。


落とし物として届けられた形跡もない。

学校でも先生たちは特に話題に出さなかった。


けれど、確かに“毎日、そこにあった”。


雨の日も風の日も、ぐしゃりと潰れることも、泥まみれになることもなく、

朝にはいつも、“乾いた状態”で元通りに座っていた。


最初に異変に巻き込まれたのは、6年生の男子だった。


帰り道、その日はたまたま一人だったという。


ランドセルの横を通り過ぎようとしたとき、ふと、**「背負ってみようかな」**と思った。


なぜ、そんなことを考えたのか自分でもわからなかったらしい。


だが、自然と手が伸びた。

肩紐に腕を通し、重みを感じたとき、心臓が一度だけ跳ねた。


──冷たい。


触れた瞬間、布の感触が“生きているようだった”。


でも彼は、そのまま家に帰ろうと歩き出した。


だが──帰りつけなかった。


道を間違えたわけでもない。


通学路のはずなのに、通った覚えのない道に出た。


見たことのない塀。

知らない家。

空き地の配置も、電柱の形も、街の音も、“ずれて”いた。


気づけば、夕方だった。


携帯も圏外になり、交番もなかった。


彼が帰ってきたのは、3日後。


見つかったとき、彼の背中には──あのランドセルが、ぴったりと張り付いていた。


ベルトが食い込むように肩を締めつけ、皮膚にまで癒着していたという。


救急隊が切ろうとしたとき、ランドセルの中から一枚の紙が出てきた。


【ぼくのかわりに かえってくれてありがとう】


それ以来、そのランドセルはまた、元の場所に戻っていた。


何事もなかったように、静かに、空き地に座っていた。


子供たちは噂するようになった。


「背負うと、道がねじれる」

「手紙が入ってると、もう遅い」

「中に、“本当の持ち主”が入ってる」


ある女子児童が、怖いもの見たさで中身を覗いた。


中には、びっしりと手紙が入っていた。


封筒に入っていない、折りたたまれただけの紙。

表紙の一枚には、たった一言。


【これ、読んで】


彼女は数枚読んでしまったという。


【おとうさん、おかあさん、ごめんなさい】

【きょうは へんなこえがして、うしろからついてくる】

【でも このかばんがあるから、だいじょうぶ】

【このかばんが まもってくれるって】


翌日、彼女は風邪を理由に欠席した。


しかしその夜、友人に電話がかかってきた。


「……なんか、うちの床が変なの。歩くと……音がするの。まるで誰かが、もうひとりいるみたいな……」


次の日、彼女も消えた。


彼女の部屋には、新しい手紙が1通、机の上に置かれていた。


【もうひとり みつかったよ】


ランドセルの中の手紙は、日に日に増えていった。


だが──字の形が少しずつ変わっていた。


最初は小学生のような、たどたどしい字。


それが、中学生、高校生、大人の筆跡へと変わり、

ある時期から、筆跡が“誰にも読めない形”に崩れていった。


最後の方の手紙は、ただの線と黒いシミになっていた。


ある教師が、怖くなって役所に通報した。


しかし職員が確認に来たとき、ランドセルは一度だけ“消えた”。


だが、次の日の朝には戻っていた。


前よりも綺麗に磨かれ、形が整い、新品のような状態で。


そして──手紙はまた、最初の一枚目から始まっていた。


【はじめまして ○○っていいます よろしくね】


宛名はなかった。


けれど、その筆跡は──学校の誰かに似ていた。


今日も、赤いランドセルは空き地にある。


子供たちは、それを遠巻きに避けて通る。


けれど、ときどき。


誰かが──無意識に、背中に手を伸ばしてしまう瞬間がある。


そのとき、ランドセルは“吸い付くように”肩に乗る。


そして、歩き出す。


帰れない道へ。

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