『抜け落ちた顔が、歩いていた』

彼女の遺体が発見されたのは、雨上がりの県道脇だった。


夜中、対向車が目の前に倒れていた何かに気づき、通報。

駆けつけた警察が現場を確認すると、それは成人女性の“身体”だった。


身体だけ。

胸から上が、まるごと“なかった”。


首から上が、ではない。


“顔だけが、剥がされたように消えていた”。


頭部は残っている。頭蓋骨も、髪も、耳もある。

けれど、目鼻口の“顔の面”だけが、きれいに、ぺろりと削ぎ落とされていた。


皮膚を剥がされた、というのとは違った。


医師は首をひねりながらこう言った。


「何かが“顔そのもの”だけを抜き取っていったようだ」


身元はすぐに判明した。

地元の短大に通う女子学生で、通学中に自転車ごとトラックに巻き込まれた事故だった。


防犯カメラにも、目撃情報にも、その“直後まで”ははっきり記録が残っていた。


けれど、事故の瞬間以降、記録がすべてブレていた。


それから数週間。


町では、“顔を奪われる”噂がささやかれるようになった。


夜道を歩いていた女性が、不審者に顔をなでられた。


朝起きると、自分の顔が「少し違っている」気がする。

メイクが映えなくなった。左右の目の高さが変わった。表情筋が動きにくい。


整形でもないのに──顔が、変わり始めたというのだ。


その話を聞いたのは、大学の先輩・平田さんからだった。


「最近な、駅前で変な女見たって話、多いのよ」


「変な?」


「コート着てるんだけど、首から上になんか違和感あるらしくてさ。誰も顔を覚えてないの。……ただひとつだけ、“顔が下にあった”っていう人がいる」


「下って?」


「コートの内側。ちょうどお腹のあたりに、“顔だけ”ぶら下がってたって」


冗談かと思った。


だが数日後、深夜の帰宅途中。


商店街のシャッター街を抜けた先、街灯の少ない歩道で──彼女に会った。


すれ違う瞬間、わずかに風が吹いた。


そのとき、彼女のコートの裾が持ち上がり、“内側に何かが揺れた”。


ちらりと、光が反射した。


丸い。柔らかい質感。肌のような。


それが、揺れながらこちらを“見ていた”。


ぶら下がっていたのは、“顔”だった。


目が開いていた。

口は、かすかに動いていた。


なのに、顔そのものは“首についていなかった”。


次の瞬間、彼女が立ち止まり、こちらを振り返った。


けれど、顔は見えなかった。


襟元に影がかかっていて、まるでそこだけ存在が“欠けていた”。


「ねえ……」


かすれた声がした。


「……わたしの顔、知らない?」


その声は、空気を震わせずに届いた。


耳ではなく、骨を伝って脳に届いたような──音ではない“問いかけ”。


息をのむと、彼女はコートの中から、そっと“顔”を取り出した。


それは……僕の顔だった。


眉毛の形も、目尻のほくろも、口の端の歪みも──

確かに、僕の顔だった。


次の瞬間、彼女の“顔のない部分”に、その顔がふわりと吸い込まれていった。


まるでピッタリとはめ込まれるように。


そして、彼女は僕の顔をつけたまま、にっこり笑って歩き去っていった。


それからというもの、僕は“自分の顔”がわからなくなった。


鏡を見ても、なんとなく他人のように見える。


免許証の写真と比べても、違和感がある。

マイナンバーカードの写真とも、SNSのアイコンとも、全部微妙に違う。


──僕の顔が、“少しずつ失われている”。


ある日、夢の中で女が現れた。


白いコート。

中から揺れる顔。


彼女は言った。


「顔をもらったら、その分、“中”が空くの。ねえ、あなた──中、余ってない?」


目覚めたとき、口元が動かなかった。


頬の筋肉が、引きつるようにして止まっていた。


スマホのインカメで見て、凍りついた。


僕の顔の“下半分”が、影のように失われていた。


皮膚はある。骨もある。


でも、明らかに“表情の面”が、抜けていた。


街中ですれ違う人が、僕の顔をちらりと見て、すぐ逸らすようになった。


中には、息を呑んで顔を背ける人もいる。


最近、コートの女性がもう一人、目撃されているという。


前の彼女とは違う服装。違う髪型。


だけど──やっぱり“顔を腹にぶら下げていた”。


「似た顔を探してるんだよ。自分の顔に近いやつを」


「そして、合うのを見つけたら……それに“すり替える”んだって」


そう言った同級生も、今は行方不明だ。


最後に見たSNSの自撮りでは、笑っていた。

でも、それは彼の笑い方じゃなかった。


今日、駅のホームで鏡を見ると、知らない目が僕を見返してきた。


でも──どこか、見覚えがある。


たぶんあれは……あの、事故で亡くなった女の子の……


……あれ?


……僕の顔って、どんなだったっけ。

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