『便所の右から二番目』

廃校になった小学校に、その便所はあった。


北館の一階。女子トイレの隣に、古びた男子トイレ。

タイル張りの床はひび割れ、錆びたパイプがむき出しになっている。


しかし奇妙なことに──


「右から二番目」の個室だけが、いつ行っても“使用中”だった。


鍵が閉まっている。

誰もいないはずの廃校で、何年も前に取り壊されたはずの設備が、なぜかずっと“使われている”。


地元では知られた心霊スポットだった。


けれど、明確な事件も噂も残されていない。


ただ、そこに入った人は“全員、しばらく姿を見せなくなる”。


そして戻ってきた者は、決まってこう言うのだ。


「……あれ、俺だった」


そんな話を耳にして、深夜番組のスタッフたちが動いた。


番組名は「午前二時の校内放送」。


低予算の心霊ロケ番組だが、一部でカルト的な人気を誇っていた。


ディレクターの南條は、話題性を狙って、この“便所の右から二番目”を特集に選んだ。


「ま、どうせガセでしょ」


そう言いながら、南條は自らトイレ内部に定点カメラを仕掛けた。


小型の暗視カメラを個室内の天井に取り付け、扉の外には固定用のGoPro。


深夜二時。


廃校の気温はひどく低く、息が白い。


機材チェックを終えた南條は、スタッフに軽口を叩いた。


「帰って編集したら、どうせ何も映ってないオチでしょ。つまんねーなー」


そのまま帰宅し、素材確認を始めた。


──映っていた。


【23:59】

無人の便所。わずかに揺れる天井のコード。


【00:42】

扉の外を“何か”が通る。だが影だけで正体は見えない。


【01:51】

右から二番目の個室の扉が、カチ、と音を立てて閉まる。


【01:58】

“誰か”が入っていく。


南條は息を止めた。


画面に映ったのは、自分だった。


ジャケット、マスク、首にかけた社員証──完全に一致している。


「……おい」


映像に映る“南條”は、ゆっくりと個室の扉を開け、中に入る。


だが──


現実の彼は、そこにいなかったはずだ。


記憶にも、映像記録にも、南條がトイレに入った時間はない。


なのに、カメラは“彼が”中に入ったところを撮っている。


そして次の瞬間、個室内のカメラが作動。


内部の視点から、扉をじっと見つめている。


何も映らない空間。水音も物音もない。


だが──


カメラの隅に、“誰かの目”があった。


覗いている。


扉の隙間から、“南條の目”がこちらを見ていた。


映像の中で、南條が何度も何度も顔を覗かせている。


目、鼻、口。その表情が少しずつ壊れていく。


笑いかけてくる。

頭を打ちつける。

目が歪み、口が裂ける。


再生が止まらなくなった。


ファイルを消そうとしても、コピーが勝手に生成される。


動画名が変わっていた。


「2番目_2番目_2番目.mp4」


朝方、南條はスタッフに映像の話をした。


だが、誰も信じなかった。


「疲れてるんですよ、南條さん。最近ずっと徹夜続きですし」


スタッフがUSBを受け取って、PCに挿した。


再生を始める。


無人の便所。


だが、カメラの画角の端に──スタッフ自身が映っていた。


立っている。

南條が見たときにはいなかったはずの、“そいつ”が。


「……これ、俺じゃない?」


その夜、彼は帰宅途中に失踪した。


以後、連絡が取れていない。


番組は放送中止となり、廃校も立入禁止になった。


南條は最後の映像を編集して、ファイル名をこう書き換えた。


「僕はまだ中にいます」


夜になると、彼の家のトイレ──右から二番目の壁に、覗く“自分の目”が現れるという。

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