生きている写真──卒業アルバムに増え続ける“笑顔”

卒業アルバムが届いたのは、梅雨入り前のじめじめとした午後だった。


高校生活の終わりが実感できないまま迎えた卒業式から、もう三ヶ月以上経っていた。進学組はとっくに地元を出て、それぞれの新生活に追われている。


私は予備校に通いながら、実家の部屋でほこりをかぶった制服を片付ける毎日だ。


そんなとき、郵便受けに分厚い段ボール。


差出人は高校の名だった。


「……来たんだ」


封を開けると、あの重たいアルバムが出てきた。


表紙は、淡い青に金文字。写真部の後輩が撮った校舎の遠景が、ぼんやりと印刷されている。


ページをめくると、懐かしい顔が次々と現れる。


クラス集合写真、部活動、文化祭のスナップ。笑顔、笑顔、また笑顔。


けれど──あるページを見て、私は手を止めた。


3年B組、クラスの個人写真。


私のいたクラス。


その中に、見覚えのない顔があった。


「……誰?」


一番下の右端。


黒髪で、前髪が重たく、真っ白な肌の少女。


表情は無表情に近いのに、口元だけが、微妙に笑っている。


名前の欄には、こう書かれていた。


神代 美鈴


──そんな名前の同級生、いなかった。


クラス名簿にも、卒業式の名呼びにも、そんな名前はなかった。


それどころか、私は生徒会書記だったから、全クラスの名簿に目を通していた。見落とすはずがない。


母にアルバムを見せた。


「この子、知らない? 私のクラスにいたことになってるんだけど」


母は首をかしげる。


「うーん、知らないけど……でも、ちゃんと写ってるわね? 他の子と同じ背景だし、合成じゃないみたい」


気になって、同じクラスだった友達に連絡を取った。


「神代美鈴っていたっけ?」


すぐに既読がついたが、返信が来るまでに時間がかかった。


ようやく返ってきたLINEには、こう書かれていた。


『え……誰それ? でも、なんかその名前……どこかで……』


次の週。


学校に行って、写真部の部室を訪ねた。顔見知りの後輩に頼んで、原版データを見せてもらうことにした。


「この写真、誰が撮ったか分かる?」


私は、神代美鈴の写るページを開いた。


後輩は少し眉をひそめてから答えた。


「この写真……たしか、撮った先輩、事故で亡くなったんですよ」


「……え?」


「卒業式の翌日。峠道で、バイク事故。単独で、壁に激突して。ヘルメットもしてたのに、首が……変な方向に折れてたって」


血の気が引いた。


「でも、そのときはまだアルバム編集してたはずだよね? この子の名前、どうやって……」


「知らないです。名簿の元データにはいませんでした。しかも、この子の写真だけ、EXIFデータに“記録日”がないんですよ。不自然に空欄なんです」


「……ありえない」


その日から、私は毎晩のように、アルバムを開いては神代美鈴の写真を見てしまうようになった。


何かが、引っかかっていた。


──“笑顔”だ。


最初に見たときは、かすかな笑みだった。


でも、数日後に見ると、少しだけ笑いが深くなっている。


気のせいかとも思った。でも、間違いなかった。


神代美鈴の“笑顔”が、日を追うごとに変わっていくのだ。


もっと、はっきりと、口角が上がり──やがて、歯が見え始めた。


その目だけは、絶対に笑っていなかった。


私の心の中に、ひとつの“仮説”が浮かび上がった。


──この写真、“生きている”。


神代美鈴は、写真の中で、徐々に“存在感”を増している。


その笑顔は、周囲の同級生たちとは明らかに違う。


笑いたくて笑っているのではない。


“ここに居る”ことを証明するように、じわじわと主張を強めている。


私は、ついに我慢できず、高校の教務室を訪れた。


当時の担任だった石川先生は、私の問いに、苦い表情を浮かべた。


「……神代美鈴、ね。うん、いたよ。少しだけだけど」


「……え?」


「入学式から夏前くらいまで在籍してた。あまり目立たない子だったけど、ある日突然、学校に来なくなって──転校届けもなく、親と連絡も取れずじまいでね。結局、“自然退学”という扱いになった」


「じゃあ、あの子は──」


「だけどな」


石川先生は、声を潜めた。


「あの子の家、もうないんだよ。調べてみたけど、地番すら存在してない。記録上、神代という姓も、数年前に絶えてる」


私は息を呑んだ。


「じゃあ、あの子は……誰?」


「分からない。分からないけど、写真に残ったってことは、まだ“ここ”にいるってことだろうな」


それから数日後。


卒業アルバムの写真が、ひとりでに開くようになった。


机の上に閉じて置いてあっても、朝起きると神代美鈴のページが開かれている。


しかも──そのたびに、写真の彼女の顔が“こちら”を見ていた。


真正面に。私の目を。


そして、あの無機質な“笑顔”で、微笑んでいた。


私はアルバムを押し入れに突っ込み、封筒に包んでダンボールの奥にしまい込んだ。


……それでも、夜。


枕元で、紙の擦れる音がする。


ぱた、とページがめくられる音。


ベッドの横で、誰かが座る気配。


耳元で、声がした。


「……まだ、わたし、写ってる?」


私は恐怖に震えながら、目を閉じて、朝が来るのを待った。


次の日。


机の上に、卒業アルバムが開かれていた。


神代美鈴のページには、もう“ひとり”いた。


──私だった。


私の写真が、いつの間にか追加されていたのだ。


クラスの中に、すでに写っている“私”とは別に。


その下に、もうひとつ。


髪の長さも、表情も、まるで違う。


まるで、笑わされたような“笑顔”だった。


名前欄には、こう書かれていた。


椎名 実紅(再掲)


そしてその隣、神代美鈴は、もう笑っていなかった。


今度は、何かを見下ろすような、憐れむような視線をしていた。


──あなたも、“写れた”のね。


その日から、私は写真に写るのをやめた。


スマホも、卒業アルバムも、何もかも。


けれど、彼女は、どこにでも現れる。


同級生たちが投稿した集合写真。


誰かのSNS。


見知らぬ街の証明写真機。


その片隅に、いつも、神代美鈴が写っている。


そして、その隣には──“誰か新しい笑顔”が、追加されている。

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