第2話
放課後の校門前。アムとロミーは並んで歩き始めた。
まだ明るさの残る夕方の通学路を、二人の歩調が静かに揃う。
「今日の授業、妙な話だったね。」
ロミーがぽつりとつぶやく。
「あんなふうに、神に頼んで人を殺すとか・・・本気で信じているのかな?」
アムは肩をすくめる。
「噂の域を出ないだろう。けれど、誰か一人でも本気で信じて願っているなら、そういう神が現れてもおかしくないかもな。」
器用に指を動かして傷がないか確認し、その指先を見つめながら歩く。彼の視線は、どこか遠くを見ているようだった。
「私はミティを引いてから配信を始めた。友人関係で一度裏切られちゃってね、警戒していたの。」
「・・・配信業か・・・うん?・・・ああ。」
アムはロミーを見ずに答える。彼の声には、僅かながら興味と、どこか諦めのような響きが混じっていた。
「ノーヴァを引いたことはあった。二十年分は生活は保障されているけれど、それだけだな。」
ロミーは小さく息を吐いた。
「羨ましいよ。私、そういう現実的な恩恵はなかったから。だけど、配信で知り合った友達も、自分は神に選ばれたって信じている。信じているっていうか、もう、運命だって決めつけている感じ。」
アムは少しだけ口元を緩めた。皮肉めいた笑みにも見えた。
「まあ、稀に聞く。一年に一度とかそんなものか。言わないことも多いだろうし、実際はもう少し多いんじゃないか?」
「私達は偶然被ったって感じね、嬉しい。」
ロミーは楽しそうに笑う。その笑顔は、夕日を受けて一層輝いて見えた。
「逆に、全部スカだって文句言う人もいるけれど・・・それなりに引けないものなのでしょうね。」
「だな。引いた時点で十分すぎるさ。」
歩く道には春の柔らかい光が残っていた。校舎の屋根に陽が沈みかけている。雨の乾き切らない木造建築は、夕日に照らされて影を長く落とす。アムは小さく空を見上げ、紙幣数枚と小銭の入った財布から道中の瓶コーラを買い、音を立てて栓を開ける。
「どんな神を引いたって、こうして普通に生きているだけで十分かもな・・・。」
ロミーはその横顔を見て、ふっと微笑んだ。アムの言葉には、どこか達観した響きがあり、それがロミーの心にじんわりと染み渡る。
「アムが言うと、コーラも風情ある飲み物に思えるね。」
笑い合った後、ふたりはまた静かに歩き始めた。夕闇が少しずつ深まり、彼らの影がゆっくりと伸びていく。
ロミーの家は、畑の広がる田舎道に面した古い一軒家だった。
門の前には自転車が無造作に停められ、庭の隅には使い込まれた遊具が半分土に埋もれている。時間が止まったかのような静けさが、その家にはあった。
アムはロミーに案内されて玄関をくぐる。中はどこか懐かしい、木と畳のにおいが漂っていた。
「結局、ロミーの家に誘われて自分は家に入った」とアムは心の中で思った。
「どうぞ。靴、そこに並べて」
ロミーがそう言う前から、アムは玄関脇の棚に靴を揃えていた。その手つきは、どこか慣れたものだった。
家の中は、よく片付いているというよりも、生活感が積み重なっている印象だった。
壁に貼られた古いカレンダー、窓際の鉢植え、家族写真。どこもかしこも、田舎の“日常”が詰まっている。
ロミーは居間へ案内し、デスクトップの電源を付け、マイクのミュートをセットアップ中に外し、小さなカメラの向きを整える。
「今日、ちょっとだけ配信しようと思っていたんだ。アムも良かったらゆっくりしていって。」
「忙しそうだな。帰りは邪魔しないようにするよ。」
ロミーの声は明るい。配信の準備も慣れた手つきで、コードをさばき、椅子の高さを調整し、画角をチェックしている。
アムは、少し調べたことを思い出す。どうやらかなり前から、彼女の姉が起こしたチャンネルで、引退と同時にロミーがバトンタッチしたらしい。色恋営業をした影響でコメント欄が荒れており、見るに堪えない状態だったはずだ。
アムは部屋の隅に座り、静かに部屋の様子を観察していた。
田舎らしい仏壇もなく、スペース自体はあるが完全に本棚スペースとなっている。埃一つないその空間に、アムは違和感を覚える。
邪魔するのも悪いと、撮影の準備を手伝うべく、気合いを入れて掃除をした。彼の掃除は丁寧で、まるで何かを隠すかのような手際良さだった。
配信が始まると、画面のチャット欄には常連のリスナーたちが続々と集まってきた。
「やっほー!」「今日もかわいいね。」「ロミーの部屋、落ち着く感じ。」
ロミーは画面越しに手を振り、にこやかに挨拶を返していく。
(ああよかった、割と平和なコメント欄だ)とロミーは安堵した。
しばらくは平和なやり取りが続いた。だが、数分もしないうちにコメントの空気が変わり始める。
『・・・あれ、なんか男のにおいしない?』
『右手がにおう・・・。』『ロミーの部屋、誰かいる?』『マイクが妙にくぐもっている。』
『今、一瞬映った?』『なんか空気変わった。』『視線感じる。』
ざわざわと、違和感が連鎖するように書き込まれていく。コメントの気持ち悪さに、アムは眉をひそめる。(においってなんだ。掃除のしすぎか。力を入れた痕跡が光加減で見えたのか?どう考えても過剰な妄想だろう)
ロミーは明らかに表情を曇らせた。
笑顔を作りながらも、手元のキーボードをそっと握りしめる。その指先は微かに震えていた。
アムはそんな様子を横目に、素早く部屋の隅に置かれたカーディガンとスカートに手を伸ばした。上半身以外も映る状態だということを瞬時に判断したのだ。
「ごめんね、お邪魔しているよ。」
小声でロミーに告げると、ロミーも何も言わず頷き、さっと椅子を引いた。
アムはカーディガンを羽織り、髪を軽く整えて、配信カメラの死角からそっと画面の端へ顔を出す。
ロミーがとっさにフォローを入れる。「今日遊びに来ている友達だよ!」
作り笑顔を貼り付けながら、アムをさりげなく紹介した。
チャット欄は混乱と好奇心で渦を巻く。
『友達?』『でも声低すぎじゃね?』『女?』『なんか・・・イケボ。』『右手のにおいの正体わかった』『顔は可愛いかも』『リア友女子登場!』『右手のことは突っ込むな!』
悪ノリと興味本位、そして露骨な下心が入り混じっていた。アムは、彼らのコメントに明確な不快感を覚える。(そういう関係じゃない)
アムは平然と混じり、息を整え話を切り替える。声は意識的に低く抑えられているが、不自然さはなく、初動からより高い声で期待に応える。それはまるで、長年の経験が培った自然な演技のようだった。
「気分を害したかな?・・・そうでもない?・・・ならいいや。今日は私が家の鍵を忘れちゃったんだ。夜まで誰もいないからこっちに来たの。」
(かなり高い、特有の傾向とか違和感もない。昔からやっていた・・・とかそんなレベルじゃないかしら・・・。)とロミーは内心で驚きを覚える。
「可愛いでしょ?壁をつい友達が来るからって磨きすぎちゃう困った友人がいたんだよ。」
アムがロミーに寄られ詰められ、カメラにはアムの細身と背中、そしてその一回り大きくロミーの影だけが見える。
(呆気にとられるなってか?)とアムはロミーの意図を察する。
(完璧じゃない自分をサポートできるのは君だけだよ。)アムはロミーの隣に立ち、意識的に自然な笑顔を浮かべる。
最初は戸惑いと疑いに満ちていたコメントも、やがて気持ち悪さを落とさず盛り上がり始めた。妙な熱気と悪ノリのまま、配信は普段よりも長く、勢いよく続いていった。
とは言っても、配信自体は慣れていないのか、会話のつなぎが変に長い。言葉を頑張って濁そうとしたり、受けとしてのセンスを振るったりする場面もあった。
『会話の感覚が長い。』『サン〇ャイン池崎?』
「誰がサン〇ャイン池崎だ。」
(意外とそういうの通じるタイプなのね。)とロミーはアムの意外な一面に笑みがこぼれる。
『ロミーちゃん全然話さないじゃん。』『やっぱこいつ男じゃね?』『ロミーが男説ある。』
「ロミーの彼女でーす・・・イェイ!」
『嫉妬なんだが?』『そこ代われロミー。』
部屋の隅に春の夕方の光が差し込む中、アムは静かに息をつき、どこか遠くを見るような目をしていた。彼の心は、この騒がしい配信の場とはかけ離れた場所にあるようだった。配信の盛り上がりは加速していった。コメント欄には新規の名前も増え、変な書き込みをするような訓練された輩の数が一気に減る。
アムは一度カメラから外れ、ミュートボタンをそっと押した。
「こうなるとは思わなかった、ごめん。」
気まずそうに視線を落とすロミーに、アムはただ短く答えた。
「気にするな。」
別に落ち込んでいるわけではなさそうだ。むしろ、その表情はどこか虚ろで、感情の動きが見えなかった。
「服は返してよ、入れ替えるの面倒くさくてそのままにしていたから。におうでしょ?」
「いいにおいならするが・・・うん?」
「バカ、カメラオフにしてないけどどうする?」
ロミーの焦った声に、アムは一瞬の間を置いて答える。
「再開するか。」
ミュートを外すと、リスナーたちの熱量はさらに上がっていた。
『そういえば名前は?』
「あれ?言ってなかったね・・・。」
空気を切り替えるように、アムはカメラの前でロミーのカーディガンの袖を軽く直し、わざとらしく髪に手をやった。その仕草は、驚くほど自然で、女性的だった。
「友達のユリです。声が低いのは昔から・・・。」
落ち着いたトーンでそう告げると、コメント欄には『低音女子!』『イケボ!』『ガチで可愛い。』『可愛い外見なのに声低くてギャップ感じる。』といった声が溢れる。
「新規さん結構増えた?」
「最近AIのトレンド判断でどんな人でも伸びるようにしているの。ショート動画で株主をごまかすまではいいけれど、その後の伸びが乏しくてね。」
次々に肯定的な声が重なる。
(ここまで層が変われば安心かな。)とロミーは胸をなでおろす。
(変態共が消え去って安心だ。)とアムは内心で毒づく。
そんなふうに安心し切っていたらロミーがすかさず「昔からの親友なんだよ!部活でもずっと一緒で・・・。」と話を盛る。
(ダメだ、ヤバい質問を振られて何言えば良いか分からない奴が来る)とアムは内心で冷や汗をかく。
二人でピースサインを作ってみせる。
『二人ともかわいい!』『もっと映して!』『今度二人で歌って!』
「歌は著作権的にね・・・。」
といったリクエストが絶え間なく続いた。アムは、その場の空気に合わせて、完璧な笑顔を保ち続ける。
「君達は普段どういった配信活動を見ているんだい?ゲーム?毎日違うのか?」
先とは変わって顔をどんどん近づける。疑ったところで、男っぽさや女っぽさを見る度に「可愛い」しか残らない、不思議な魅力がアムにはあった。
「最近配信の移り変わりが凄いよな、テレビは不祥事多いし、個人の技術も良くなったしな。」
『だねー。』『すぐ入れ替えられるし、こっちの方が見やすい。』
「続きを見なくていいのかい?進展、終わっちゃうよ?」
(魔性の女。)と、ロミーはアムのこの状況を操るような巧みさに、内心で舌を巻いた。
最初の違和感や不穏な空気は、「“仲良し女子コラボ”」という形で上書きされていった。視聴者層も浄化され、センスある変態は新たな住処に旅立ったようだった。
アムは配信画面で淡々と求められた通りに振る舞い続ける。声はやや低いが、女の子らしいしぐさを無理なくこなしてみせ、それが不自然にならないことに、ロミーはどこか妙な違和感を覚えた。配信は予想外の盛り上がりを見せ、コメントの勢いも普段の倍近くに膨れ上がって・・・ロミーは嬉しさと不安が入り混じったような複雑な表情で、その流れに必死で乗り続けた。
「サーバー落ちた。」
「私も配信者としてはまだまだだから、等級自体低くて質良いの借りられないんだわ。」
「この領収書・・・マジか。」
「元々十万だからかなり安くなった方よ。毎日配信の影響が重いけれど、アルゴリズム的には一番良いのよね。」
「別プラットフォームは?」
「民度が悪すぎて弾かれる。コメント以外も結構ヤバいの多くて。」
配信終了をソフトに指示し、アーカイブを残すか確認する。
「それはそっちの判断の方が良いわ。色々な意味で。」
「そうだな。」
配信が終わり、アムは無言でウィッグを外した。ロミーのカーディガンも静かに畳み、元通りに戻す。畳み方は下手な癖に、脱ぎ方は整っている。
その手つきはやけに慣れていて、ロミーはどうしても目を離せなかった。
「ねえ、アム・・・。」
ロミーは少しだけ声を潜めて尋ねる。
「どうして?」
アムは一度、動きを止めた。その背中は、どこか寂しげに見えた。
「別に。そういう状況が多かっただけ。」
ロミーはそれ以上深くは聞かなかった。ただ、その“慣れ”の裏に何か事情が隠れているのだと、胸の奥に重たいものが沈む感覚だけが残った。アムの言葉は、彼の過去に深く刻まれた傷を物語っているようだった。
アムは目を伏せてウィッグを袋にしまい、箱の奥に入れる。
「今日は助かった。ありがとな。」
そう言うと、少しだけぎこちない笑顔を見せた。
ロミーも「うん・・・。」とだけ返し、夕闇の静かな部屋に、ふたりの間だけ重たい沈黙が流れていた。
「でも女装趣味って評価最悪だからね?可愛いから許すけど!!可愛いから!!」
「やめろ!写真を撮るな!!」
ロミーの正気はもたなかった。冷静になるまで数時間かかり、彼に目を向けることすら当分できなかった。
ロミーは服ごとアムに与え、彼を解放した。染料パックは勘弁してやろうと心の中で思う。
しかし、以前のあの感じからして、彼は親がいない・・・孤児だ。
「それも、虐待を受けていたタイプの」とロミーは直感した。
変な整い方だ。親の愛はあったが、それは歪んだ愛情だったのだろう。親が女の子を希望し、気に入らなかったからと殴り蹴り、ヒステリックになってああなったのかもしれない。
普通彼の様な性格なら商店街を通ると思えない、自己肯定感が磨り減って人目を避けるはずだ。可愛さを抜きにしても細身で心配になる。だが、彼は愛情と被虐からくる憐憫や心配という視線の区別ができないのだ。
ロミーは考える。
「逆にいっそ女装に振り切らせ、嘘で覆い隠し、人格を切り離すか。」
それも一つの手だ、言わば人格的自殺。心が無いと言われても仕方あるまい。彼に宿る価値はそれで失われないし、それだけの犠牲を払う価値はある。
「・・・。」
通知音が連続で響く。
「視聴者DMか、感想系は事務所経由になっているからな・・・うーん?」
そう思って内容をのぞく。余計な話はほとんどなく、思考が回り切っていない。だが、一つだけ分かった。最も伝えたいのは・・・。
「神を引いたが何も起きない。」
という事らしい。それは、資産家の言葉と重なり、ロミーの胸に重くのしかかった。
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