第7話 幸せの輪郭と旅立
護摩が終わり、火の香がまだほのかに残る中、昴は静かに座っていた。
その前に、和尚がゆっくりと口を開く。
「昴。命ってな、不思議やろ?」
「……はい。最近、よく考えるようになりました」
和尚はうなずいて、手元の線香の火を見つめながら、ゆっくりと話し始めた。
「命は、まず“宿る”ところから始まる。
母親の胎内に、そしてこの世に。
それをな、“宿る命”と書いて“宿命”というんや」
昴は黙って、和尚の言葉に耳を傾けた。
「そしてその命は、死へと向かって進む。
それが“運命”や。ただ、死に向かうだけでは、人生は虚しい」
「じゃあ、どう生きたら……?」
「命を“使う”ことや。積極的に、自分のため、人のため、何かを為す。
それを“使命”という」
和尚はふっと微笑んだ。
「昴、今のお前には、それが見えてきとる。
命は流れるだけのもんやない。
“使い方”で、生きる意味が決まるんや。
命を使い終えたとき、それは“寿命”。
寿というのは“ことほぐ”言祝ぐとも書く。
ありがとな、この命で一緒に生きてくれて、ってな」
昴の目には、ほんのりと涙が浮かんでいた。
「そう生きたいです……自分の命を、そんなふうに」
ある日のことだった。
「……ええから、わしがメインやない言うてるやろ。ほんまに、真言宗に法話求めるて……まあ、そやけど出るだけ出るわ」
和尚は、いつになく渋い顔をしていた。地域の寺院が持ち回りで出仕するという「法話を聞く会」に、今回たまたま出番が回ってきたらしい。
「真言宗いうたらな、祈祷と修法が本筋や。そやから、しゃべるより焚く方が得意やねん」と苦笑しながらも、和尚は僧衣を整え、会場の寺へと向かった。
昴も、その日だけは後方の席でひっそりと見守っていた。
会場に集まった老若男女の前に立った和尚は、案の定、最初はもじもじと頭を掻きながらこう言った。
「えー……法話いうたら、ちょっと恥ずかしい話ですけどね。ほんまは護摩焚かせてくれたら、そっちの方が得意なんです。けどまあ、今日はちょっとだけ、命の話をしようと思います」
そして、和尚は話し始めた。
「命というのは、まず“宿る”ところから始まります」
「お母さんの胎内に宿って、この世に生まれてくる。これを“宿命”と書きます」
「そしてその命は、死に向かって進んでいく。それが“運命”です」
「けれど、ただ運ばれて死ぬだけでは人生がもったいない」
「だから命を“使う”んです。誰かのために、世のために、自分ができることをして生きる。これが“使命”です」
和尚はふっと目を閉じ、語りかけるように続けた。
「命を全うして、尽きたとき、それを“寿命”と言う。でも不思議ですよね、死ぬことを“寿”って祝うんやから」
「それはきっと、その人が命をちゃんと使って生き抜いたからやないかな」
昴は、静かにその言葉を聞いていた。
護摩の炎ではないが、和尚のことばが、そこにいた一人ひとりの心の中に、小さな火を灯していくのを感じた。
法話の終わりに、和尚は照れくさそうに言った。
「まあ、真言宗の坊主にしては、よう喋った方やと思うわ。こんなん二度とせんかもしれへんけど、今日来てくれた皆さんに、少しでも何かが届いたんなら、わしも本望です」
その言葉に、昴はふと、自分の中に芽生えた「何か」を感じた。
命の意味。自分の使命。そして、誰かのために灯す祈り。
この日、昴は改めて感じた。
和尚の護摩の火だけでなく
言葉にも、人の人生を変える力があるのだと。
数ヶ月後。
小さな町の結婚式場で、昴は一枚のメモも持たず、マイクの前に立っていた。
新郎は、弟のような存在。
苦しみの中で昴が手を差し伸べた相手だった。
そして、今日その新郎から「ぜひスピーチを」と頼まれたのだった。
緊張しながら、昴は会場を見渡し、語り始める。
「結婚というのは、命と命を合わせることやと、思います。
だから今日は、命の話をさせてください」
会場が静まり返る。
「私たちは、まず命を“宿します”。
この世に生まれ、そこにいること自体が、もう“宿命”です。
それから命は、“運命”として流れていきます。
でも、ただ生きるだけじゃ、人生って味気ないですよね」
少し笑いが起きる。
「だから、命は“使う”んです。
誰かのために、何かのために、自分の思いをこめて使う。
それが“使命”です。
お二人が今日、互いに手を取り合うことは、命を共に使うという“約束”でもあります」
新婦の目に、うっすらと涙がにじむ。
「命を使い終えると、人は死にます。
でもその時、私たちは“寿(ことほ)ぐ”と言います。
“ありがとう、一緒に生きてくれて”という意味を込めて」
昴はふっと優しい笑みを浮かべた。
「どうか今日ここから、命を一緒に使いながら生きてください。
そして、最後に“ありがとう”と互いに言い合えるような、そんな一生を」
拍手が起こった。
そしてその瞬間、昴は心の中で静かに思った。
これは、あの日、和尚さんにもらった“火”。
それを、自分の言葉で誰かに渡せた。
自分の使命は、確かにここに生きていると。
ここで改めて思う。
人はなぜ、生きるのか。
なぜ、人は生きなければならないのか。
答えは、簡単には見つからない。
だけど、歩き続けた者だけが、少しずつ“輪郭”を掴んでいく。
たとえば
花は、誰かのために咲いているわけではない。
けれど、その姿に救われる人がいる。
風は、意味もなく吹いている。
だけど、乾いた心をなでてくれる瞬間がある。
人の命もまた、意味を最初から与えられているわけではない。
けれど、生きていくなかで、自分なりの意味を“使って”見つけていくことができる。
それが、「使命」だ。
生きることは、ただ時間を消費することではない。
誰かと出会い、痛みを抱え、それでも前に進む中で、
人は自分にしか果たせない“命の使い方”を見つけていく。
それが人の生きる理由であり、
生きる「答え」に少しでも近づこうとする旅そのものではないだろうか。
和尚はこう言った。
「生きるとは、命を使うことや。使命を生きることや」
その言葉は、今でも昴の胸の中で静かに燃えている。
誰かの問いにすぐに答えを出すことはできなくても、
昴は、こう答えるだろう。
「まだ分からないけど、それを見つけに、今日も生きている」
それでいいのだ。
命は問いかけであり、同時に答えでもあるのだから。
「幸せって、なんやろうな」
あるとき、昴は和尚がぽつりと呟くように言った。
「生きるってことに囚われすぎて、
“生きねばならない”ってことばかり考えてしまうと、
“今、幸せかどうか”が、わからんようになってしまうんや」
少し黙って、和尚は続けた。
「幸せってな、人それぞれ、ほんまに違うんよ。
晩ごはんに好きなおかずが入ってたら、
“ああ、今日はええ日や”って思える人がいる。
一方で、10億円の宝くじに当たって、
“これでようやく幸せや”って言う人もおる。
また、病気を乗り越えて“ただ生きてるだけで幸せや”って微笑む人もいる。
せやから、幸せには決まった形なんて、あらへんのや」
昴はその言葉を、じっと噛み締めていた。
「じゃあ、“幸せって何なんですか?”って聞かれたら、
ワシはこう言う。“豊かさや”と。
けどな、ここで大事なんは、心の豊かさなんや。
お金がいっぱいある人が幸せとは限らん。
反対に、お金がなくても、笑顔の絶えん人もおる。
心が豊かな人ってな、
“なんで生きてるんやろう?”って問いに、
自分なりの答えを、いくつも持っとる人なんや。
この問いには、はっきりした正解はない。
でも、自分の中にその“答えのようなもの”をたくさん持っている人ほど、
心が強く、やさしく、そして幸せそうに見えるんやな」
昴はその時、ふと思った。
自分は、幸せを探してばかりいた。
「こうなったら幸せ」「こうしないと幸せになれない」と。
でも、少しずつわかってきた気がした。
幸せは“何を持っているか”じゃなくて、
“どれだけ心の中に、命の答えを抱けるか”なんじゃないかと。
そしてその答えは、たったひとつではなくていい。
日々の中で、少しずつ増えていけば、それが心の豊かさになる。
それが、自分なりの幸せになるのだと。
昴は思う。
「人はなぜ、生きるのか?」
その問いに囚われ、苦しみ、鬱の淵で立ち止まった時期もあった。
けれど今は、こう言える。
幸せを、たくさん見つけるために、生きているのかもしれない。
それは人によって違っていい。
朝、陽の光がまぶしかったこと。
誰かが入れてくれたあたたかいお茶。
小さな子の笑顔。
心の奥にじんわり残る誰かのひと言。
そういう“ささやかな幸せ”をたくさん見つけながら、
昴は、鬱を少しずつ乗り越えていった。
心の奥にじんわりと残る、誰かのささやかなひと言。
そんな“ささやかな幸せ”を、昴は少しずつ見つけながら、鬱の闇を乗り越えていった。
「和尚さんの護摩の火は、あなたの心を燃やしてくれるけれど、私はあなたの心の休息でありたいの」
恵の言葉が今も、胸の奥で響いている。
「分かるまで、生きてみることや」
和尚のその言葉の意味を、昴は深く噛みしめる。
答えはすぐに出るものではない。
だが、問いを抱えながら生き続けることこそが、人生でいちばん大切なことなのだと、昴は知っている。
ゆっくりと呼吸を整え、昴は自分の足で、まだ見ぬ道を歩き出す。
そして、自らに問いかける
人は、どこかの町の片隅で、あるいは山里の古びた産院で、声をあげて生まれてくる。
その瞬間から、老い、病み、死に向かって、まっすぐに歩きはじめる。
それを「四苦」と呼ぶのだと、和尚が言っていた。
けれども、どうしてそんな定めの道を歩まねばならぬのか。
夜更けに一人、ふと天井を見つめながら、そんな問いが胸の奥に浮かぶことがある。
この世に「絶対」はない、と人は言う。
たしかに、明日の天気も、人の気持ちも、風の行方すらも定かではない。
ただひとつ、確かだと言えるのは、人は必ず死ぬということだ。
そう思えば、死は恐ろしい。
老いは惨めで、病は理不尽にすら感じる。
しかし、ある日、冬の朝、凍てついた土を踏みしめながら、
ふと見る梅の蕾に心がほどける瞬間がある。
あるいは、夕暮れ時の川面に映る光のきらめきに、
言葉にできない安らぎを覚えることがある。
死に向かうということは、生きている証だ。
老いゆく身体のひとつひとつの痛みが、命の鼓動なのだと気づくとき、
人は、ようやく「生」を自分の手の中に感じられるのかもしれない。
人生という道を、ただ歩いていく。
途中で傷つき、立ち止まり、雨に打たれ、泣きながらも、
誰かの何気ないひと言に救われる日もある。
それでいいのだと思う。
それが、「生きる」ということなのだから。
人は、やがて命の灯が静かに細っていくとき
誰に言われるでもなく、自らに三つの問いを投げかけるようになる。
「あなたは、この人生で何を学びましたか?」
そう問われたとき、ふと思い出すのは、教科書の言葉でも、誰かの偉大な教えでもなく、
夏の夜、亡き父が黙って差し出してくれた冷たい麦茶だったりする。
苦しみながらも選んだ言葉に、相手がふっと微笑んでくれたことだったりする。
学びとは、そういう小さな日々の堆積であり、
それを胸の奥にしまい込んだまま、人は生きてきたのだ。
「あなたは、自分と同じくらい他人を思いやることができましたか?」
この問いに、胸を張って「はい」と言える人は少ないかもしれない。
だが、あのとき黙って隣に寄り添ったこと、
傷つけてしまったあとに流した後悔の涙も、
すべてが思いやりへの祈りだったのではないかと、
今なら言える気がする。
人は完全ではない。だからこそ、思いやる努力そのものが尊い。
「あなたは、自分の使命に気づいて生きましたか?」
人生の中で、何度も道に迷い、目的を見失った。
それでもどこかに、「この手で誰かの灯を守りたい」と願っていたことがあった。
花を育てること、子どもを育てること、
誰かの心に寄り添うこと
それはすべて、使命だったのかもしれない。
そして、もしももう一度だけ、この世に生を受けることができたなら、
同じ問いを、また自分に問いかけてみたい。
そう思いながら、
今日もまた、静かに空を見上げているのだ。
答えは、今すぐに出す必要はない。
大切なのは、その問いを忘れずに、今日という一日を命を使って生きること。
そしていつの日か、胸を張って言える日が来るだろう。
「幸せだった」と。
先の問いに胸を張ってこらえられるを迎える。
そのために、自らに問いかけながら生きていく。
そして、問いにすべての答えが見つからなくても、
誰かを大切に想った日々が、確かにそこにあったなら、
それだけで、人生は小さな光を放つのかもしれない。
窓の外では、風が庭の木々を揺らしている。
季節は、ただ静かに移ろっていく。
その中で、昴は目を閉じ、深く、深く息を吐いた。
それはまるで、長い旅路の終わりに、
そっと荷を降ろした人のようだった。
「ありがとう」
誰にでもなく、誰かに向けるように、
その声だけが、やわらかく空に溶けていった。
完
光の方へ 常圓坊 @Jouen
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