第20章「共有された闇」

ショッピングモールのガラス扉が、かすかな電子音を立てて開いた。エアコンの冷気が、まるで人工の雲のようにふたりを包み込んだ。


アケミはアリサの隣を歩いていた。彼女はまだ彼の腕をしっかりと掴んでおり、まるで周囲の人々がふたりが普通のカップルではないことを知っているかのように、群衆が自然に道を空けていた。


だが、それは彼のせいではなかった。


彼女のせいだった。


真紅のドレスを着たアリサは、まるでレッドカーペットを歩くかのように歩いていた。すべての視線が彼女に集中し、ポニーテールがわずかに揺れるたびに、周囲の人々が振り返る。

その存在感、優雅さ、そして微笑み……さらに、彼女が連れている少年が明らかに「釣り合わない」ことが注目を集めていた。


「……あれが噂の男か?」

「そうだよ、あの変なやつ。でもなんで彼女と?」

「金持ちか、なんか裏があるんじゃね?」

「怪しい才能持ってるとか……?ククッ」


アケミはそれを聞いても、いつものように無視した。


(何もわかってないくせに……俺だって、なぜここにいるのか分かってないんだ)


すれ違う女子たちも同じだった。


「嘘でしょ!?アリサがあんなやつと?」

「てかあの服、ゴミ出しに行く格好じゃん」


アリサはくすっと笑った。


「聞こえた?アケミ。あなたのファッション、話題になってるみたいよ」


「気にしない」


「そういうとこ、好きよ。クールなところ……最高にセクシー」


「そういうこと言うな」


「なんで?……もしかして、照れてる?」


「……かなりな」


不意にアリサは体を寄せた。彼女の胸がアケミの腕に触れ、彼は無意識に唾を飲んだ。


「今、何人くらいが私たちを見てると思う?」


「多すぎるくらいだ」


「ふふ……いいわね。私が誰と一緒にいるか、全員に見せつけたいの」


映画館の前を通る。看板にはアクション、ホラー、アニメ映画が並んでいたが、アリサは迷わず進んだ。


「もう決めてあるの。ついてきて」


彼女は彼氏のようにアケミの手を引いてチケット売り場へ。店員の女の子はスマホを見ていたが、ふたりを見て目を見開き、スマホを床に落とした。


「『それでも、君を愛してる』を二枚ください」


アケミは眉をひそめた。


「ラブコメ?」


「邦画よ。限定上映。泣けるって有名なの。……あなたに合ってると思ったの」


「……拷問かよ」


チケットを受け取ったアリサは、嬉しそうに微笑んだ。


「次はポップコーン。デートに食べ物は必須よ。甘い派?しょっぱい派?」


「苦い派」


アリサは大声で笑った。


「最高。じゃ、私が決める!」


売店で注文を始める。


「ミックスのバケツ、ナチョス(チーズ2倍)、ドリンク2つ、ホットドッグも」


「全部食べる気か?」


「まさか。あなたも手伝って。まさか私がひとりで食べるの見てるだけ?」


周囲の視線は止まらない。今度は女の子たちまで、好奇心混じりの目でアケミを見ていた。


(……バレ始めてる。俺に“何かある”って思い始めてる。ヤバいな)


アリサはドレスの肩紐を整えた。その姿にアケミは赤面し、彼女はすぐに気づいて耳元で囁いた。


「ねえ、左側に座っていい?」


「なんで」


「右側だと、触りやすいの」


「……!」


「冗談よ」


(……冗談だよな。頼むから本気じゃないって言ってくれ)


映画館に入る。アリサは迷わず一番後ろの角の席を選んだ。座席に座りながら、彼女は肘掛けを理由にアケミに近づいた。


「快適?」


「いや」


「私のせい?映画のせい?」


「お前と……この食い物のせい」


「ふふ……あなたの“一番好きな不快感”になれてうれしいわ」


映画が始まった。だがアケミは集中できなかった。


アリサの太ももが自分の脚に触れる。

少しずつ、少しずつ彼女は距離を詰める。

肘、肩、そして頭まで。


(……いつからだ?このゲームが、こんなにリアルになったのは)


スクリーンでは、登場人物が愛を告白していた。


アリサが囁く。


「ねえ、これが映画だったら……アケミはどんな役かな?」


「終わる前に退場するやつ」


「違うでしょ!」

アリサは軽く彼の腕を叩いた。

「あなたは、最後まで残る人。無表情に見えて、実は一番泣くタイプ」


アケミは彼女をちらりと見た。


「じゃあ、お前は?」


「あなたが泣いたら……私も泣く」


そして――

ふたりは言葉を交わさなくなった。


ただ、ポップコーンを分け合いながら、密かな笑いを交わしながら、身体の距離がゆっくりと縮まっていく。


アケミは気づいていた。

彼が今見ているのは映画じゃない。


――彼自身が、その物語の中にいるのだ。


そして最も怖いことは、


彼がその「主人公」なのか。

それとも、

ただ「傷つく役」なのか、わからないということだった。

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