第21章 – 「ディナーと胸元と破滅の予感」


午後5時06分 – 映画館を出て


映画館のドアが開いた瞬間、夕日の光が二人を包んだ。

アケミは思わず目を細め、アリサは空に向かって両腕を伸ばし、満足そうに息を吐いた。


「はぁ〜、最高だった!ラストが切なくて美しかったね〜!」


目を輝かせながら言うアリサ。


「…犬が死んだだけだろ。しかも主人公じゃない。」


「その犬には象徴的な意味があったの!感受性ゼロね!」


肩を軽く叩かれ、アケミは黙ったままポケットに手を突っ込み歩き出す。


(…あのシーン、正直ちょっとグッときたのは内緒。

クソッ、あの顔のいい犬め。)


「で?私たちの“非デート”第一弾、どうだった?」

アリサがニコッと笑って聞いてくる。


「さぁな。まだ終わってないだろ。」


「正解〜!今からは、ご飯食べながら“幸せそうなカップル”ごっこの時間だから♪」


「それって映画の間ずっとやってたことじゃないのか?」


「アケミはね、最初から全然演技してなかったの。

そこがあなたの…とっても危険な魅力。」


「じゃあ…お前は演技だったのか?」


アリサは少し立ち止まる。


「…私が演技してると思う?」


アケミは答えず、ただ横目で彼女を見る。


「本当みたいに見えるけど、時々全部が“台本”の一部に感じる。

それが一番混乱する。」


アリサは再び微笑んで、左側を指さす。


「行こ。予約してあるの。

賑やかなレストランは嫌なの。」


「予約…?」


「予約なしで行き当たりばったりなデートなんて、私がすると思う?」



午後5時17分 – レストラン「低い雲」


レストランは小さなビルの屋上にあった。

大きなガラス窓、控えめな照明、柔らかなインストゥルメンタル音楽。

席と席の間に十分な距離があり、ささやき声で話すのが似合う空間。


そして、赤いドレスは闇の中に咲く信号のように目立っていた。


受付の女性は、アリサを一目で認識し、そしてアケミを見た瞬間、目を見開いた。

手に持っていたメニューを落とし、すぐに拾い、何もなかったかのように笑顔を作る。


(この子…どんなカテゴリーにも当てはまらない…!?)


「お席の準備ができております、アリサ様。」


案内されたのは窓際の角席。

夕日で町はオレンジと紫に染まり始めていた。

街灯や車のライトが、ゆっくりと灯りだす。


アケミは無言で席につく。

アリサは向かいに座り、脚を上品に組んだ。

ドレスの裾が少し上がり、余計に太ももが見えた。


「お腹空いた?」


「いや。」


「嘘?それとも…緊張?」


「両方だ。」


アリサはクスッと笑い、少し身を乗り出す。


「無関心を装ってるけど、もう慣れてきたの。

アケミの“感情防御ジャケット”。

でも…目がね、バレバレ。」


「俺の目がどうした。」


「女の子が告白したシーンで光ってたし。

犬が死んだ時は…唇噛んでた。」


アケミはごくりと喉を鳴らす。


(…この女、予想以上に手強い。)


「俺もお前と同じのにする。」

アケミはとりあえずメニューを開く。


アリサは開きもしない。


「私はもう決めてるから。」


「いつから?」


「予約した時点で。」


「…支配欲強すぎじゃないか。」


「欲しいものは…逃がさない主義なの。」


アリサがウインクする。


ウェイトレスがやってくる。

アリサはハッキリと注文する。


「私はジェノベーゼパスタ、彼にはグルメバーガー。

イタリアンソーダを2つお願い。」


アケミは何も言わずに頷いた。



午後5時29分 – 危険な会話


「ねぇ、今日の“お出かけ”で、私の印象変わった?」

アリサはストローで飲み物をくるくるしながら訊ねる。


「…知りたいのか?」


「もちろん。」


アケミは一度視線を落とし、ゆっくり彼女を見た。


「…複雑で、美人で、ずる賢くて、

自分の頭の良さを持て余してるタイプ。」


アリサは唇を噛んだ。


「それって…引く?それとも惹かれてる?」


「…警戒する。」


「攻撃なんてしないよ?」


「それなら、今ここにいる意味がない。」


彼女が初めて視線を落とす。


(言いすぎたかも…でも言わなきゃ。

相手のリズムで踊らされるのはもう嫌だ。)


料理が運ばれてくる。

湯気の立つパスタとバーガー。

アリサは上品にフォークを持ち、アケミは静かにナイフを使う。


しばらくの間、聞こえるのは食器の音とBGMだけ。


「ママがね、他校の男の子と付き合えって言ったの。

車持ってて、お金もあって、未来も保証されてるような子。」


アケミは眉を上げた。


「…で、断ったのか?」


「うん。

全部が整ってる男の子って…つまんない。

私はね、挑戦させてくれる人がいいの。

ちゃんと努力して、『この人が好き』って思える相手。」


アケミは半分噛んだまま飲み込んだ。


「…それが俺か?」


アリサはにっこり笑う。


「あなたは、私の“お気に入りのパズル”。」



午後6時05分 – ディナーの後で


アリサは肘をついて、アケミの方に体を寄せた。


「ご飯、美味しかった?」


「普通。」


「雰囲気は?」


「静かでいい。」


「…私は?」


アケミはアリサを見る。

夕日が彼女の顔を照らし、赤いドレスが完璧に彼女の魅力を引き出している。


「…思ったより、面倒じゃなかった。」


アリサは心から笑った。


「ふふっ、それならよかった。だって、今日まだ終わってないよ?」


アケミの肩がピクッと動いた。


「…次は?」


彼女はさらに近づき、顔と顔の距離は数センチ。


「お散歩でも…あなたの好きなことでもいいよ。

でもね――もし“おうちに連れてってくれたら”…

いい子じゃいられないかも。」


アケミは黙っていた。


(ここからだ。俺の理性が崩れていくのは。

…あの日のメッセージから、全部仕組まれてた。)

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