第37話 身代わり人、これが俺らの仕事だよ【7】




「な、なんで、」


右近があわてて窓に駆け寄ると、パトカーが向こうの道路からサイレンを鳴らしながら走ってくるのが見える。


藤井が持っていた小型スピーカーを取り出すと、そこから右近が聞いたことのない男の声が聞こえてきた。


「初めまして。

島山代行事務所の最後のひとりです」


右近が顎をガクガクさせながら藤井の持っている小型スピーカーを見つめた。


「警察に通報したのは僕です」

「…ほんとに、もう、ひとり…」


苦し紛れのウソではなかった。

このスピーカーから聞こえる声の男が島山代行事務所にいて、警察に通報したのだ。


その時右近の視界に、眉を下げている亜也をコピーした島山が入った。


「お、お前っ!何やってんだ。

CEOまで捕まるかもしれないんだぞ!」


亜也という手札を思い出した右近は震える顎でスピーカーに向かって笑った。


「CEOはすでにそこから出ています。

あなたが真実を警察に言わない限りCEOは最初からそこにいたことにはなりませんよ。

まあ、言えないでしょうけどね」

「ははは!お前からは見えてないんだな?

CEOはここにいるぞ!」


興奮している右近がスピーカーを持っている藤井に掴み掛かる。


藤井が長い腕で右近をドン!と押し戻すと後ろにコロン、と簡単に仰向けに倒れた。


「俺は島山咲也。

島山亜也はもうここにはいないよ」

「…」


床に寝転んだ右近は体を起こして亜也をコピーした島山を見上げる。


さっきまでは亜也だったのに今はどこから見ても島山だった。


「どういうことだ…」

「身代わり人。これが俺らの仕事だよ」


床に手をついて右近が頭を垂れる。


篠原が、上川と丹下の後ろに周りドアの方へ連れて行った。


「お二人は出ましょう」

「…右近さん」


今まで何も話さなかった丹下が右近を振り返ったが、右近は頭を垂れたままだった。


「右近さん。僕たちは…亜也さんについていくって、決めたんじゃないんですか?」


頭を垂れた右近は一点を見つめて返事をしなかった。


「いつから取って変わろうってなったんですか?

上層部に無理だって思われてる亜也さんがそうじゃないって僕たち信じてたんですよね。

亜也さんはお父上である前CEOを超える器だ、って右近さん、あなたは亜也さんを見込んでたんじゃないんですか?」


亜也では無理だと判断した上層部を見返してやりたい。


亜也は誰がなんと言おうとCEOの器だ。

上層部はそれに気づかず、前CEOが下りたことで慌てふためき、亜也の兄である島山咲也を戻せばうまくいくという浅はかな結論を出した。


上層部の考えを正したい。

亜也しか上に立つ人間はいないと。


そう信じた右近に上川と丹下は賛同してついてきたのだ。

それが上層部が連れ戻そうとしている島山を消さないと亜也の地位は守れない、という方向へ進み、

上層部にキッパリと言えない亜也の代わりに自分が会社を守っていく。


いつのまにか右近の考えはそう変わってしまっていた。


「これからは俺と上川でCEOを守っていきます。CEOについていきます」


右近は何も言わない。

目に涙を浮かべた丹下は上司であった右近に頭を下げて、上川と篠原とともに部屋を出て行った。


「鏑木が受け取ったナイフは机の上に置いておきます」


鏑木が筧の指示通り右近から離れた机の上にナイフを置いた、


「鏑木は手袋をしていましたので検出される指紋はあなたのもののみ」

「右近さん、」


床に両手をついて顔を上げない右近のそばに島山がしゃがむ。

小さく震えている右近の両手。

島山は頷いて微笑んだ。


「右近さん。ありがとう。

亜也を信じてくれて」

「…」

「俺は何があっても、上層部や親父になんと言われようとも戻るつもりはない。

俺は自由に生きる道を選んだ。

そのために切った縁だ。

あんたが心を入れ替えてくれるなら、また亜也のことを支えてやってほしい」


右近が視線を左右に揺らしながらゆっくりと顔を上げ、島山の顔を見る。


優しく微笑んだ島山の顔は、右近が上に立つ人間だと信じてついてきた亜也に似ていた。


「…おとなしいんですよ、あの人」

「だよな」

「優しいんです。

でも、優しさだけじゃ無理なんです」


時には冷たい決断もしなくてはならない。

亜也に足りないのはそこだ、と右近は言った。


「もっとあると思う。だからその、足りないところを助けてやってほしい」

「私はもう…」

「亜也にはわかってるよ。あんたの優しさ。

本当は自分のことを一番に思ってくれてることも亜也ならわかってる。

支えて助けてやってくれないか?

俺の代わりに」

「咲也さんの…代わり…」


島山が大きな口を開けてニコッと笑う。

震える唇を噛み締めて、右近は島山に頭を下げた。


「警察に全て真実を話します。

上川と丹下は私が指示を出して動いていただけのこと。

罪を償って…また、亜也さんが私を必要としてくれるまで一から勉強します」


ぽんぽん、と島山が右近の肩を叩く。

右近が今度は床に手をついて丁寧に島山に深く頭を下げた。


「それが聞きたかったんだよ。な?」


部屋に入ってくる足音が聞こえ、右近が深く下げていた頭を上げると、出て行ったはずの上川と丹下、そして最後に亜也が入ってきた。


驚いた右近が目を丸くしてすぐ近くにいる島山を見た。


「警察、」

「警察は呼びましたよ。

このビルの裏の公園で高校生がケンカしてるって通報してね」

「え…?」


そういえばパトカーの音は消えたのに警察はここへまだ来ない。


上川と丹下と右近が3人で顔を見合わせた。


「公園で高校生がケンカしてなかったから、もう帰ったんじゃないですかね」


スピーカーから聞こえる筧の声。

亜也は筧のことを頭の切れる人だ、と思いながらその声を聞いていた。


筧だけではない。鏑木、藤井、篠原。

この3人も頭が切れる上に度胸も根性もある。

こんなに素晴らしい人たちが兄と一緒に生きてくれていることが亜也には心からうれしかった。


「亜也」


島山が右近を立たせて亜也の前に連れていく。

涙を溜めている右近が亜也に向かって、あわてて深く頭を下げた。


「CEO。本当に申し訳ございませんでした。

あなたのことを理解していない上層部を引き摺り下ろすことに矛先を向けていました。

そのために…CEOを、」

「右近さん。これからじゃないですか?」


亜也が右近の頭を上げさせる。

目を合わせた右近が見たのは神々しいばかりの亜也の微笑みだった。


「さっきの言葉、僕は本当にうれしかった。

僕のことを心から信じてくれている人がいるなんて、こんな幸せなことはないですよ。

兄がいなくてもひとりじゃないって思わせてもらった」

「…亜也さん」


右近、上川、丹下は亜也が会社に入ってからCEOになるまでの期間、ともに働いていたのだ。

苦楽をともにし、会社のためを思って仕事をしてきたのだ。


だからこそ、亜也はこの3人を信用していた。


「亜也さん」

「亜也さん」


上川と丹下もCEO、ではなく亜也さん、と呼ぶ。

それはまだ亜也が普通の社員だった頃の昔の絆であり、これからも3人がともに歩んでいく証のようだった。



右近たちを会社に帰したあと、島山は亜也と二人で島山を殺すために借りたこの部屋で話をした。


「俺はなんの力にもなれないけど、亜也には俺以上に亜也を愛してくれている仲間がいる。

だから何があってもがんばるんだぞ」

「咲也も、ね」


島山がうれしそうに笑って頷く。

先に事務所に帰った3人と筧の顔が浮かんだ。


「兄弟の絆はなくなったけど、俺と亜也は人と人との絆で繋がってる。

亜也ががんばってたら俺もがんばれる」

「やっぱ咲也は頭が良いよ。

勉強できないとか言ってたけどさ」

「バカやろ。勉強とこういうのは違うんだよ。仲間に教えてもらって学ばせてもらったことだ。

血は繋がってなくても人と人との絆はそんなものよりももっと強くて硬いんだ」

「血は水よりは濃いが酒よりは薄い、って聞いたことある」

「ほら。亜也の方が頭良いじゃん」


亜也の笑顔は島山にとって勇気だ。

全てを捨ててきた島山にとって輝かしい未来だった。


右近たちはこれで本当に亜也を支えてくれるだろう。

そして亜也は右近たちがいることで生きていけるのだ。









「おかえり」

「ただいま。遅かったな。残業だった?」


部屋に入ってきたえのきが上着を脱ぎながら頷く。

おつかれ、と言いながら筧は榎をすり抜けてキッチンへ行った。


「見てこれ」

「え!寿司じゃん!どうしたの」


榎が目を見開いてからニコッと笑う。

筧も目を三日月のようにして笑った。


「なんか良いことあった?」

「まあね」


筧がローテーブルに買ってきた寿司を広げ、榎と二人で向かい合って、いただきます、と手を合わせた。


依頼内容はたとえ榎でも言えないので、筧は島山が実家に戻らずこれからも自分たちと一緒に仕事をしてくれることがうれしい、と榎に話した。


「そうなんだ。良かったな」

「咲がいなかったら始まらないしな」

「誰一人かけても始まらないんだろ?」


榎は今、仕事が見つからない人や自分に向いている仕事がわからない人、なかなか仕事に就けない人に仕事を紹介する会社を立ち上げていた。


かつて自分がそうだったように宙ぶらりんな人たちをひとりでも救いたいと思って始めたのだ。


無事に仕事に就けた人たちからの感謝の言葉と笑顔が本当にうれしい。

この仕事は自分の天職だと榎は感じていた。


「人間には一生をかけてやりたい仕事ってのがきっとある。

筧たちみんな、依頼者のために身代わり人として働くことがその仕事なんだよ」

「かもしんないな」


榎には言わないが立派になったな、と筧はひとり微笑む。

天職というものは榎が言ったように一生かけてやりたい仕事のことなのだろう。


寿司を頬張りながら榎がまた、良かったな、と言って笑う。


二人の暮らす小さな部屋にも夜が訪れていたが、冷たさを感じないほどの暖かさが二人を包み込んでいた。





島山と亜也を残してきた鏑木と藤井は、事務所に帰ると言った篠原と別れて何か食べに行こうか、と二人で歩いていた。


「あ、電話だ」


鏑木が震えている携帯を取り出すと【阿藤静あとうしずか】と画面に出ていた。


養父を説得して秋沢あきさわ姓から阿藤に戻した静は、弟のひなたとともにラディッシュコーポレーションの仕事をしていた。


「はい」

「大智?ラインずっと送ってたんだけど」

「あ、ごめんごめん。仕事中だったから見てなかった。

今はもう終わってるよ。哉太と一緒にいる」

「哉太くんも一緒か。ちょうど良かった。

俺も今、陽といるんだ。

接客で店を予約してたんだけど先方が急に来られなくなって。

もし良かったらその店で食事でも、と思って」


スピーカーにしていたので藤井にも静の声が聞こえている。

愛くるしい顔で笑った藤井の腹からグー、と

大きな音が鳴った。


「行くわ。哉太が腹ペコみたいだから」

「もう、大智くん」

「ははは。それは良かった。

陽も哉太くんに会いたがってたから。

駅で待ってるからゆっくり来て」


阿藤一族の仕事が終わってから、鏑木と一緒に藤井も何度か阿藤兄弟に会っている。


依頼人だった弟の陽と藤井は気が合うのか仲が良かった。


「咲くん良かったね。また亜也くんに会えて」

「うん。哉太も過去を清算できて良かった」


この仕事の縁のようなものだ。

引き寄せ、とでもいうのかもしれない。


「大智くんも、静さんにまた会えて良かったよね」


そのおかげで藤井も阿藤陽と友達になれた。

そんな縁もこの仕事をしていたからこそなのだ。


「俺、この仕事に就けて良かった。

大智くんたちと仲間になれた。

一生一緒に歩いていける仲間に出会えたもん」

「それは俺も同じ。哉太やみんながいるから俺は生きていけるんだ」


うん、と藤井が頷いてニッコリと笑う。

藤井の可愛い笑顔に鏑木も微笑み返した。


「良かったづくめだ」

「ホントそれ。

明日からも一緒にがんばろうね」


二人で夜道を歩いていく。

まん丸い月が本当に美しい夜だった。


守りたいものに守られ、そして守っていく。

仲間という名の絆をくれたこの仕事を、鏑木と藤井は誇りに思っていた。


「おーい」


駅の近くに着くと、少し向こうで阿藤陽が手を振っていた。

隣で微笑んでいる阿藤静も鏑木と藤井を見て手を上げた。


「おまたせー」


たくさんの人をかき分けて鏑木と藤井は阿藤たちの元へ走って行った。







島山が事務所に着くと篠原が長椅子で丸くなって眠っていた。


亜也と話をしていたら、思いのほか時間が過ぎていた。


大学を卒業した時に家を出た島山は、それから亜也に会っていなかったので積もる話もあった。


父親は今は落ち着いているとはいえ、そんなに長い命ではなさそうだ。

後ろ盾の父がいなくなる前に、右近たちの力を借りて、亜也が立派はCEOになることを島山は願うことしかできなかった。


今回の依頼で亜也と右近たちとの絆が確固たるものになったので心配はしていなかったが。


「篠原」


呼びかけても目を覚さない篠原。

コピーとして現場に出突っ張りだったから疲れているのだろう。

家に帰って休めばいいものの、篠原はここで島山の帰りを待っていたのだ。


島山は正面の長椅子に座り、こちらを向いて眠っている篠原を見つめる。

今回も無事で良かった、と安堵した。


「まだまだ…だけどさ」


顔の前でふわりと握っている篠原の手が呼吸のたびにかすかに揺れる。

島山の声が聞こえていないぐらい熟睡しているのだろう。

篠原の長いまつ毛はじっとしていた。


「絶対かっこいい男になるから、

ずっと…そばにいてくれよな」


篠原は基本コピーなので現場に出ることがほとんどだ。危険ももちろんついて纏う。

ウォッチである島山は全力で守ると決意していつも現場に向かっていた。


危険な役は本当はさせたくない。

しかし篠原がもうこの仕事を愛してくれていることを島山は知っている。


二人を繋いでくれたこの仕事だ。

だからこそ島山は危険だとわかっていながら、篠原にそばにいてくれと頼んだ。


島山が仮眠室から毛布を二枚持ってきて一枚を篠原に掛けた。


「うーん…」


横を向いているのでむにゅ、となっている篠原の頬に島山が指で触れる。

柔らかくて暖かい。

大切な命の温度が愛おしかった。


鏑木とたった二人で始めた身代わり人、というこの仕事。

いつのまにかこんなに仲間が増えた。


そしてこの仲間たちが島山にとって命なのだ。


すーすーとまた篠原が気持ちよさそうな寝息を立てる。

暖かい頬に軽くキスをして島山も正面の長椅子で毛布を被って寝転んだ。





新しい蝶番は調子が良い。

しかしドアが古いので見た目はいつもの島山代行事務所のボロいドアだ。


筧が建て付けの良くなったドアを開けて、パーテーションを超えると、長椅子に篠原と島山がテーブルを挟んで向かい合って眠っている。


真ん中の壊れそうなローテーブルの上に置いている篠原の手に、島山が手を重ねていた。


窓からの朝の日差しが真っ白に降り注いでいるのに二人ともドアが開いたのも気づいていないぐらい熟睡していた。


「おはよう。あらららら。

てかさ、奥で寝たらいいのに」


出勤してきた藤井がそう言って、筧の後ろからひょい、と顔を覗かせた。


「なんでこんなとこで寝てんの?」

「知らん。とりあえず起こすか」


筧が島山の毛布を引っ剥がすと島山が眉間にシワを寄せて目を開けた。


「怖っ」

「寝起き怖いよ咲くん」


睨んでいるみたいな島山が頭をボリボリと掻いて辺りを見回した。


「咲。おはよ」

「おはよう。もう朝?」


寝ぼけている島山を見て笑いながら、藤井が篠原の毛布を取る。

篠原も眉間にシワを寄せて眩しそうに目を開けた。


「あれ。俺なんでこんなとこで寝てんの?」

「こっちが聞きたいよ。篠くん事務所に戻るって昨日言ってたよね。

あ!咲くんが帰ってくるの待ってたら眠っちゃったんだ」

「は?ち、違う。俺、仕事が残ってて、」


バッ!と起き上がった篠原が違う違う、と、顔の前で手を振る。

その前で島山が、寝癖の髪を整えて、ふあ、とあくびをひとつした。


「そうなんだよ。俺が戻ってきたら篠原がそこで寝てて。声かけても何しても起きないから」

「ナニしても?」


筧がニコニコしてそう聞くと篠原が顔を真っ赤にして島山を見た。


「だから俺もここで寝たんだよ」

「篠が聞きたいのはそこじゃないんじゃない?咲が、篠にナニをしたか、」

「筧!」


ニコニコを通り越してニヤニヤしている筧。

篠原は毛布を抱えて仮眠室に行った。


「あんだけ照れたら手も出せないね」

「まあな」


へへへ、と島山が笑う。古い棚の上に乗っている古い電話が鳴った。


よし、と気合を入れて島山は立ち上がり、棚まで歩いて重い受話器を掴んだ。


「おはよう…うわ。咲の髪どうしたの」


入ってきた鏑木が島山の寝癖の髪を見て驚いていた。


「はい。島山代行事務所。はい、はい、

ご依頼ですね。ありがとうございます!

では、詳しくお話を聞きたいので、」


古い雑居ビルの一室の古い部屋。


家具も床もドアも古い。

島山代行事務所の5人が愛してやまないこの部屋で、今日もまた一日が始まろうとしていた。









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身代わり人 村上呼人 @yohito_murakami

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