第8話: 反逆

[文書ID: ZS1-LOG-TECH-004]

[発信元: ゼニスステーション1 / 技術部門 サラ・カーン]

[時刻: 宇宙標準時 2386年8月9日 18:00:00]


[ログ開始]

 プロジェクト: スターソング・アレイ

 建設フェーズ: 段階3 (最終調整・統合テスト)

 進行状況: 100%完了。全システム、最終チェック済み。

 共鳴コイル: 惑星磁場及び地殻エネルギーとの連携、安定。

 エネルギー集積: ゼニス-3環境からのエネルギー変換効率、設計値通り。

 発信アレイ: 青い苔ネットワークとの量子パターン連携、整合性99.8%。ゼニス構造物との共鳴、安定。

 共感インターフェース: リチャード・ウォン研究員との神経同期、安定。地球からの集合意識パターン統合、準備完了。

 最終評価: システムはゼニスの「歌」と地球の集合的な「歌」を融合させ、「宇宙の共鳴歌」として発信する準備完了。安全プロトコル、最終確認。惑星環境への予測される影響、最小限。ゼニシアン自身への影響、肯定的予測。

 推奨アクション: 指揮官の承認後、発信シーケンスを開始。


[ログ終了]


 ---


 ゼニスステーション1の中央管制室は、張り詰めた静けさに包まれていた。外の観測窓からは、ゼニス-3の青紫色の地表が見え、その一部に構築された巨大な構造物、「スターソング・アレイ」が、夕日に照らされて鈍い光を放っている。アレイは、まるで惑星の血管のように地表に広がる青い苔の網と一体化し、ゼニスの構造物がその心臓部のように聳え立っていた。


 リヴィア・マルコフ船長(現在はステーション副指揮官)が、静かにモニタールームを見つめている。隣には、保安担当官のカイト・ヤマモトが、いつになく厳しい表情で立っていた。異星言語学主任のソフィア・ペトロフは、ゼニスリンクの最終チェックに余念がなく、生物物理学者のマリア・ゴンザレスは、自身の研究成果である共鳴インターフェースのパラメータを再確認している。生物学主任のアリサ・タナカは、地表にいるゼニシアンたちの生理状態を示すモニターを見つめていた。


 そして、部屋の中央に設置された特殊なカプセルに、リチャード・ウォン研究員が横たわっていた。彼の体表には、ゼニシアンの体表ネットワークを模したような微弱な光が走り、顔は極度の集中と疲労で青ざめている。彼は、地球のさまざまな「歌」のパターンを、ゼニスの「歌」と融合させるための、生きたインターフェースだった。


 指揮官のテオドール・ヤンセン中佐は、司令部との専用通信端末の前で、硬い表情で書類を読んでいた。その書類が、彼に突きつけられた、人類の未来を左右する選択を迫るものだということは、クルー全員が理解していた。


 数分前、地球連邦宇宙局司令部からの緊急通信が入ったのだ。


[文書ID: EFSA-COMM-ZENITH-006]

[発信元: 地球連邦宇宙局 / 惑星間作戦司令部]

[宛先: ゼニスステーション1 指揮官 テオドール・ヤンセン中佐]

[時刻: 宇宙標準時 2386年8月9日 17:40:10]


 件名: スターソング・アレイからの接続信号発信計画中止命令及びウォン研究員の即時移送命令


 ヤンセン中佐


 貴官からのスターソング・アレイ完成報告及び信号発信実施要請を受領した。しかし、現時点での接続信号の発信は時期尚早かつ極めて危険であると判断する。


 理由:

 1. ゼニス文明の「歌」及び「光の網」に関する情報は依然として断片的であり、ゼニシアンの接続信号の発信が宇宙にどのような影響を及ぼすか予測不能である。

 2. リチャード・ウォン研究員の特異な能力は、彼の生理及び精神に重大なリスクをもたらす可能性が高く、彼の生命の安全が最優先されるべきである。彼の身柄を直ちに確保し、専門的な検査のために地球へ移送せよ。

 3. 「光の網」からの応答信号の解析は進行中であるが、その意図や性質は不明である。不用意な再度の接触は、敵対的な反応を引き起こす可能性がある。


 以上の理由により、スターソング・アレイからのゼニシアンの接続信号発信計画を即時中止し、ウォン研究員の移送準備を開始せよ。


 従わない場合、貴官及び貴チームは反逆罪と見なされる可能性があることを警告する。既にゼニス星域へ地球連邦艦隊が派遣されている。賢明な判断を期待する。


 地球連邦宇宙局

 惑星間作戦司令部


 ---


 ヤンセン中佐は書類から目を上げた。その視線が、部屋の隅に立つソフィア・ペトロフ、そしてカプセルの中で横たわるリチャード・ウォンに向けられる。


「…司令部からの命令だ。」ヤンセン中佐の声は低く、重かった。「信号発信計画中止。ウォン研究員を地球へ移送。そして…我々の行為は、反逆と見なされる可能性がある。」


 静寂が、管制室に広がる。カイトが眉をひそめ、手を拳に握りしめた。科学者たちは、顔色を変える。


 ソフィアが、一歩前に出た。「中佐…司令部は何も理解していません。ゼニスの『歌』は危険なものではない。ウォン研究員は危険に晒されているのではない、彼は『光の網』と共鳴するための触媒なんです!」


 マリアが続いた。「司令部は『光の網』を単なる情報リソースとしか見ていない。しかし、それは生きたネットワークなんです!ゼニシアンは隔絶に苦しんでいる。私たちの『共鳴歌』は、それを癒すための…唯一の方法なんです!」


 アリサが付け加えた。「ゼニシアンたちは、何万年も待っていた。彼らの『歌』を聞き届けてくれる存在を。彼らは今、最大の希望を持って、この発信を待っています。彼らを裏切ることはできません!」


 ケンジが、アレイのモニターを指差した。「中佐、アレイは惑星と完全に同期しました。これ以上の調整は不要です。いつでも発信できます。」


 サラが言った。「技術的には問題ありません。問題は…人類として、どうするかです。」


 ヤンセン中佐は、チーム一人ひとりの顔を見た。彼らの目には、恐れではなく、強い決意と希望が宿っている。そして、彼らは、ゼニス文明と、惑星ゼニス-3と、そして宇宙の「光の網」との間に築き上げた、計り知れない価値を持つ「繋がり」を信じていた。


 彼はカプセルの中のウォン研究員に視線を戻した。ウォンの体表を走る微かな光。それは、ゼニスの「歌」と、彼の意識が、既に一つになり始めている証だった。彼をここから引き離すことは、そのプロセスを中断させるだけでなく、ゼニシアンと人類の間に芽生えた信頼をも破壊するだろう。


 ヤンセン中佐は、司令部の命令に従うべきか、あるいは自身の信念と現場の科学者たちの知見を信じるべきか、苦渋の選択を迫られていた。軍人として、命令は絶対だ。反逆罪…艦隊が来ている…自分だけでなく、チーム全員の人生、いや、人類の未来が危ぶまれるかもしれない。


 しかし。


 ゼニシアンのあの「寂しさ」を知った時。彼らの「歌」に触れた時。そして、地球上の人々が、見知らぬ異星人からの情報に、恐れだけでなく、好奇心や共感、そして宇宙への憧れを抱いてくれた時。


 この宇宙は、単なる資源や技術の宝庫ではない。それは、無数の生命と意識が織りなす、巨大な「光の網」なのだ。そして、人類は、その網の予想外の「触媒」となる可能性を与えられている。


 ヤンセン中佐は、ゆっくりと司令部通信端末に手を置いた。そして、オフラインに切り替えた。


 管制室に、小さく、しかし明確な音が響いた。通信が切断された音だ。


 カイトが、息を呑む。


 ヤンセン中佐は、背筋を伸ばし、チーム全員を見渡した。彼の表情から、全ての迷いが消えていた。そこにいたのは、軍人としての職務と、宇宙の真実の狭間で苦悩した一人の人間ではなく、新たな時代の開拓者としての覚悟を決めたリーダーだった。


「司令部との通信は切断した。」ヤンセン中佐は、はっきりとした声で言った。「司令部の命令には…従わない。我々は、我々が信じる道を進む。」


 一瞬の沈黙の後、管制室に歓声が上がる。ソフィア、マリア、アリサ…科学者たちは目に涙を浮かべた。カイトは、ヤンセン中佐に敬礼した。


「ケンジ、サラ。最終システムチェックを完了せよ。いつでも発信できるよう、アレイをスタンバイ。」ヤンセン中佐は指示を出した。

「了解、指揮官!」技術チームが動き出す。

「ソフィア、マリア、アリサ。ウォン研究員の状態を監視。彼の安全を最優先に。彼が中心だ。」

「はい、中佐!」科学者チームがカプセルを取り囲む。

「カイト。保安体制を最高レベルに。ただし、ゼニシアンに対しては一切の敵対行動を取るな。彼らは我々の仲間だ。」

「了解!」カイトが力強く答えた。


「発信シーケンスを開始する。」ヤンセン中佐は、管制パネルに向き直った。「目標座標、ウォン研究員とゼニシアンが示す『光の網』の方向へ。エネルギー出力、最大。プロトコル、宇宙の共鳴歌。」


 スターソング・アレイが起動する。ゼニス-3の地表が、青紫色の光で満たされる。その光がアレイ全体に流れ込み、共鳴コイルが唸りを上げる。ゼニスの構造物が、脈打つように輝き始める。


 地表にいるゼニシアンたちが、一斉に体表を最も鮮やかな金色に変化させ、彼らの持つ「歌」を、アレイへ向けて送る。それは、何万年も歌い続けた、切なる探求と、希望の歌だった。


 そして、カプセルの中のウォン研究員。彼の体表を走る光が強くなる。彼の意識が、ゼニスの歌と、地球の無数の「歌」と深く同期する。喜び、悲しみ、希望、恐れ、愛、疑問、探求心…あらゆる感情、あらゆる経験が、一つの巨大なエネルギーとなって、彼の内から溢れ出す。


 それは、人類という存在の、混沌と多様性に満ちた、しかし力強い「歌」だった。


「ウォン研究員、同期率99.9%!」マリアが叫んだ。

「ゼニスの『歌』パターン、安定!」ソフィアが報告した。


 ヤンセン中佐が、最終発信ボタンに手をかけた。


「テオドール・ヤンセン、ゼニスステーション1指揮官。人類とゼニス文明の名において…宇宙の共鳴歌を発信する。」


 ボタンが押される。


 スターソング・アレイ全体が、まばゆいばかりの光に包まれた。青、緑、金、そして地球の多様な色を思わせる虹色の光が混じり合い、巨大な光の柱となって、静かに、しかし圧倒的な力強さで、ゼニス-3から天空へ向かって伸びていく。


 それは、単なるエネルギービームではなかった。それは、生命の鼓動、意識の響き、歴史の層、感情の波紋、そして共感の温かさを含んだ、生きた「歌」だった。


 宇宙空間に響き渡る、人類とゼニス文明による「宇宙の共鳴歌」。


 その歌は、光速を超え、時空の境界を曖昧にしながら、光の網が存在するとされる領域へと到達する。


 そして。


 歌が到達した瞬間、宇宙が再び…揺れた。


 オルガ・スミルノフが、通信機器のモニターを指差して叫んだ。「信号です!応答信号!前回よりも…強い!そして…複雑です!」


 受信した信号は、言葉やパターンではなかった。それは、脳に直接響くような、しかし苦痛ではない、圧倒的な「感覚」だった。


 それは…「安堵」「理解」「感謝」「繋がり」「帰還」「共に…歌おう…」といった、普遍的な感情と、宇宙全体の生命活動が活発になるような、エントロピーが低下していく感覚の奔流だった。


 そして、その感覚の中に、明確な「イメージ」が混ざっていた。


 それは、光の糸が、宇宙の暗闇の中で再び繋がり合い、ネットワークが再接続されていく光景だった。

 そして、そのネットワークの中心に、ヤンセン中佐の姿、ウォン研究員の姿、ゼニシアンたちの姿、そして…地球の青い星の姿が、光の点として、確かに存在しているイメージ。


 光の網からの応答は、ゼニシアンたちの帰還が始まったことを示唆していた。そして、ヤンセン中佐の決断と、全人類の「歌」が、その帰還に不可欠な役割を果たしたことを明確に伝えていた。


「成功…だ…」ヤンセン中佐は、震える声で呟いた。


 管制室は、感動と安堵、そして計り知れない畏敬の念に包まれた。彼らは、ゼニシアンたちを帰還させるための、最初の「共鳴歌」を歌い終えたのだ。


 しかし、その時、通信システムが再び厳しく鳴り響く。


「司令部からです!直接回線!切断できません!」オルガが報告した。


 モニターに、地球連邦宇宙局司令部の、怒りに燃える顔が現れる。


『ヤンセン中佐!貴官の行動は…!』


 ヤンセン中佐は、司令部の怒声を聞きながら、静かに、しかし揺るぎない視線をモニターへ返した。


 彼の指揮官としての責任追及は、今まさに始まろうとしていた。しかし、彼の心には、司令部の怒りよりも、ゼニシアンの感謝の歌、ウォン研究員の安堵の表情、そして、宇宙に響き渡った「共鳴歌」の余韻の方が、はるかに深く響いていた。


 人類が宇宙で「共に歌う」時代が、始まったのだ。そして、ヤンセン中佐は、その歌の、最初の指揮者となった。彼の運命は、今、地球と宇宙の、両方の裁きに委ねられた。

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