第22話 レッツメイクアツアツデニッシュ ⑥

 こんにちは。私はエミリア・ベーカー。見習い錬金術師です。


 平和な探索中に何故か唐突に大ピンチです。


「デカすぎません……?」


 頭上で、巨大な、大きすぎる、流石にデカすぎんだろな花実竜が、翼を広げ涎を垂らして大口を開けています。なんて、ふざけていられるのも今のうち?


「わ、私達が捏ねられてパンにされてしまいます?」

「エっグいこと言ぅ!」


 地面に降り立ち近づいてきたその鋭い爪でさえ、我々の顔くらいの大きさがあります。


 食物連鎖の最上位の者の風格があります。


 恐怖で足がすくみます。


 それなのに、その背に咲く赤い花の甘い蜜の香りを吸い込むと、捕食される側のはずの私たちが食欲をそそられて頭の中がぼんやりとしてきます。


「食われんのってどんくらい苦しくて痛いんかな?」


 混乱状態にならずとも元から言動のおかしい人が、隣で浮き足立っています。


「ひっ!」


 突っ込もうとしたところで、花実竜の蔦が伸びてきて、体に絡みつかれて蜜の香りを肺いっぱいに吸い込んでしまいます。


「良い匂い……蜂蜜バターパン……」

「エマっち!?」

「美味しいは幸せ……」

「くそっ、触手プレイに精神干渉でメチャクチャになるとか俺が代わりてえ!」


 ジャスくんが器用に蔦だけを剣で切ります。


 そんな風に刃が眼前に迫ってきても、私には危機感がちっとも湧いてきません。おかしい。


 ぐいと腕を引かれて後ろに下がります。


「エマっち、混乱治し持ってきてる!?」


 間一髪、一歩前の地面に突き当たった爪が深く深く土を抉ります。


「うぁ……なんれすか? 一は全……全はパンなんれす?」


 私の混乱はまだ解けません。


「くっ! 勝手に漁るなって怒られんのもアリ的な!?」


 ジャスくんが私の鞄から取り出した蜜砂糖を舐めて、ようやく意識がはっきりとしてきました。


「…………あ」


 これはまずい。ようやく、本当にまずい、と直感的に、本能的に、理解できます。


「どうするこれ? この前のイフリートドラゴンより超つよつよなんだけど?」

「そ、そんなに強いんですか!?」


 グリグリと動いていた爪が獲物を逃したのを理解し地面から抜けていきます。全力ダッシュで可能な限り離れます!


「ヌシはやべえよ。クリア後の隠しボスのレベル的な? 上位ランクの冒険者複数でマルチで倒す系」

「に、逃げましょう!」


 ちょっと何を言ってるのか分かんないですけど、とにかく大変な事態になっていることは理解できました。必死で地面を蹴り、足をこれでもかと速く前に出します。


「しかし回り込まれてしまって逃げられないのがガチイベントボス戦の定説」


 ぶわりと翼をはためかせて空に舞い、その通り先回りをして退路を塞いできました。


「撤退! 撤退です! 何がなんでも!」


 再び進行方向を変えて追いかけてくる竜から逃げ回ります。鞄から舞踏会の日に貰った転移魔法の魔道具『転移の羽根』を取り出し発動させますが、うんともすんともしません。


「な、なな、なんで!?」

「ヌシってさ、結界張って空間の穴を塞ぐってか、ま、獲物が逃げらんないようにすんの」

「ひいいぃっ!!」


 吠え声を上げた花実竜が長い首を下げ、私達を飲み込もうと大口を開けて牙を剥き出しにします。


「流石にこれはもう俺全力で介入して良きよな?」

「はい! はい! 当たり前です! 今こそ戦闘狂の出番です!」

「あいよ! ザク斬り!」


 間一髪でジャスくんの鋭い剣が花実竜の舌先を切り落とします。花実竜が悲鳴をあげて悶え苦しむ間に、必死で走って距離を取り、ヤシの林の陰に隠れます。


「これ、城壁超えて市街地行ったらやっべぇなガチで」


 しかし隠れていた私達に気がついた花実竜がギョロリと目を動かし再び翼を開きます。


 心臓が飛び出そうなほど恐ろしく、しかしそんな時に妙に冷静な対処法が脳裏に浮かびました。先程の戦闘を思い出し、鞄から杖を取り出します。


「動きを止めます! 封印の杖、いち、にの、さんっ!」


 訓練通りに杖を振ると、花実竜の動きを一時的に止めることが出来ました。これは効くみたいで良かった。


「炎よ燃えろ! 紅玉魔石! です!」


 そこに石を投げて、巨大な炎の渦に竜を閉じ込めます。


「ナイス!」

「紅玉魔石、パンを焼くのに使い慣れていて良かった!」


 練習の成果が出ました。こういう非常時にこそ日頃の積み重ねが出るものです。


「……エマっち、まだ!」


 しかし、渦が揺らぎだし、長くは保たないと直感します。


「そこ! 削ぎ斬り!」


 花実竜が渦を破って出てきたところで、ジャスくんが剣を振るいその翼を切りつけます。


 さすが日頃から本物の戦闘訓練を受けている人は違います。


「串刺し!」


 続いてその目を狙って剣を突き立てます。


 飛行能力を失い、視界が半分になった花実竜は、地面で砂埃を上げてのたうちまわります。これで少しはこちらの体勢を整えられるかと思いきや。


 ──ぐらり、視界が揺れます。


 ぞわりと長い竜の尾が巨大な鞭のように私の前に迫ってきていました。


 あ、まずい。


「……ヘイ! 俺鞭大好き!」


 反射的に目を瞑った瞬間、気がついた時にはジャスくんが弾き飛ばされていました。


「ぅぐっ!」

「ジャスくん!?」

「うぁ」


 少し離れたところで背からまっすぐ落ちたジャスくんが咳き込み、血を流しています。


「大変! どうしましょう!? ……青ポーション! これ、これ食べてください! 体力回復のデカデカナン!」


 慌てて薬とパンをジャスくんの口の中に放り投げます。咀嚼が終わるとジャスくんはすぐにむくりと立ち上がり回復。良かった。これぞ錬金術師の力。


「ナイス鞭! 良いねえ燃えてきた! 堪らん!」

「変態!? どうしましょう!?」


 恍惚としたジャスくんなどお構いなしに、当然ですが、花実竜は目に刺さったままの剣をどうにか抜こうと暴れています。


「とりま距離取り!」


 目を潰したことにより花実竜の死角となった左側へ、岩陰に再び隠れます。


「げ、剣が。んじゃ俺も魔道具投げっかな」


 どうやら剣が手元にないのは想定外のようで、ジャスくんから作戦の切り替えを提案されます。


「ていうかジャスくん、魔法使えば良いのでは? 炎魔法がお得意なんでしょ? 花実竜の弱点なんです、今こそその縛りプレイをやめる時では?」


 そうこうしているうちに暴れ回る花実竜が辺りをぐるぐると走りだし、地面が揺れてまた体勢が崩れます。


「いやいや、そんならエマっちが魔法使えば良いじゃん。得意でなくてもちょいとくらいイケるっしょ」

「私、実は本当に全く魔法が使えないんです。魔力を体に溜め込めない体質でして」

「は!? ガチの穢れた血!?」

「ちょっと、ド直球の差別用語」

「あ! 違っ! マジごめん! 焦ると出るな、悪しき特権階級英才教育の成果!」

「いいからもう早く魔法を」


 ジャスくんの予備装備として持ってきた攻撃魔法用のシンプルな杖を鞄から取り出してジャスくんに押し付けます。


 しかし。


「……やだ」

「やだじゃありません」


 ここまで拒絶するということはひょっとして複雑な事情が、と思いましたが。


「やだ!! 大嫌いな親父そっくりの炎魔法なんて使いたくねえ!!」

「はい!? そんな反抗期の子供みたいな理由で使ってなかったの!? 言ってる場合じゃないでしょう!?」


 想定外の理由でお断りされました。


「……あ、いや、ハハ、てか詠唱とか真面目ダサキモくて引かん?」

「真面目なことは気持ち悪くなんてありませんよ! 真面目に頑張る人はかっこいいに決まってるでしょ! 私は真面目な人が好き!」

「……う」


 拒絶していたジャスくんでしたが、ついに花実竜の後ろ脚が岩を蹴り上げて砕くと、覚悟を決めたようです。


 目を閉じて詠唱を始めました。


「……赤き星の内核 地の底に眠る精霊よ 今こそ我らが審判の時 穢れた外殻の全を 清らなる一に 溶かし戻したまえ……」


 その間、私は花実竜を引きつけるために、少し離れたところに移動して、最高に美味しいふかふかの食パンを花実竜目掛けて投げつけます。


「ドラゴンさん、こっちですよ! 食らえ! ただただ美味しいパン! 錬金食パン!」


 竜の口腔内にパンが入ると、竜はそのパンを咀嚼を始めました。ただただ美味しいただのパン、ちゃんと役に立ちましたよ、ジーン先生。さすが私のパン、生物である以上美味には抗えないようです。その美味で魔界も狙える。


煉獄の火達磨カーネリアン!」


 ちょうどそこにジャスくんの魔法が発動します。魔物の直下からマグマが吹き出し、魔物を包み込みます。巨大な爆炎が上がり、あたり一面が真っ暗になります。


 やったか、と思いました。


「あ…………」


 しかし、花実竜はまだ耐えていました。火傷を負った体を引きずって、ゆらゆらと前脚を動かしています。


 その爪が私に向かってきた時、ジャスくんが前に出ました。


 そして。


 ──結構、静かな音がしました。


 妙な感想が頭に浮かびました。


 数秒ほど置いて、『人が胸を貫かれる時の音って、こういう音なんだ』と、言葉が置き換わりました。


 耳を素通りして脳に焼きついた音が、その意味を正しく認識されるのに、しばらく時間がかかりました。


 そして我に帰りようやく、今も、先程も、最初から、ジャスくんはずっと竜の攻撃から私を庇っていたのだと理解しました。


「……ジャスくん!!」


 駆け寄ります。まだ間に合う。青ポーション、赤ポーション、黄ポーション、紫ポーション、橙ポーション、緑ポーション、あらゆる持っていたポーションを取り出します。蓋にかけた手が震えます。


「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫ですから、諦めないで」


 開いた瓶の中身をなりふり構わずドポドポと傷口にかけます。


「大丈夫、錬金術師は、魔道具は、すごいんです」


 あたりが様々な色に光り、どくどくと流れていた血がようやく止まります。


「死んだら痛みもなくなっちゃうんですよ! あなたにとっては最悪でしょ!」


 そうして肩を叩いていると、ジャスくんが目を覚ましました。心臓が動き、息をしています。


「やべ、魔力も、切れて……。はは、気持ちよく……なってきた……」

「ジャスくん!」


 ぐたりと倒れかかっているジャスくんに慌ててフェアリー粉蒸しパンを食べさせます。そして自らもパンを頬張ります。


「俺、囮も歓迎……、可愛い女の子のためならますます、ね」

「な、何言ってるですか!」

「魔法、使えん、平民を守んの、俺ら、持ってる者の役目……、逃げ……な……」


 こんな時、どうすれば良いか。脳に運ばれた糖が答えを教えてくれました。


 私の武器は、やっぱりパンです。


「誰だって魔法が使えるんです、魔道具があれば」

「エマ……っち……?」

「魔法薬であなたも回復してきたでしょう? いざ、ドラゴンベーグル!」


 攻撃力を上げる魔道具を食べ、食べ、食べます。


 ハッと気がついたジャスくんが目を見開きます。


「エマっちの魔道具パンの効果、やっぱすげえ!」


 みるみるとみなぎってくる筋肉。何個も、何個も、パンを頬張ります。


「底なしの胃袋もすげえ!」

「なんてこと言うんですか、お年頃の乙女に!」


 年頃の乙女が筋骨隆々に巨大化した点については見て見ぬふりをします。食うか食われるかの戦いで、花実竜の舌がぬるりと頬に当たったその時。


「見ててください、これが錬金術師の力」


 私は、ジーン先生がかつて私に教えてくださったことを思い出していました。


「いざという時は結局力技!! です!!」


 思い切り拳を振りかぶり、放ちます。


 とどめの一撃が炸裂し、どさり、と竜が倒れました。


「これが錬金術師の力です」

「……錬金術師ってすげー」


 しんと静まり返った砂浜で、ジャスくんの素直な感想だけが響きました。

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