【善悪】いつも悪は善に甘えている

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

悪は善に依存することでしか存在できない

悪は、善に守られて生きてきた。


法というものは、すべての人を守るためにある。たとえその人が悪人であったとしても、法律の網の中でこそ人は人として扱われる。だから悪も、子どもの頃から法に守られてきた。教師にも、警察にも、社会の仕組みにも。それは、悪人でさえ「人間としての権利」があるからに他ならない。


つまり、悪は最初から善の作った土台の上で生きてきた。


学校も、病院も、道路も、法律も、税金も、保険も、すべて「善」が整備した社会の仕組みである。悪人もそこに生まれ、そこに育ち、その恩恵を受けながら大人になった。


それでも悪は、その仕組みに反抗する。


自分にとって都合の良いルールは喜んで受け入れ、都合の悪いルールは破って当然だと思っている。自分が不利になる法律だけを無視して、得をするルールだけを利用する。それはまるで、親に生活を支えてもらいながら、文句だけ言って家を荒らす子どものようだ。


悪は、強さの象徴ではない。自由の象徴でもない。

むしろ、悪こそが「一番甘えている存在」ではないか?


本当に強いなら、自分だけのルールを作って、自分で社会を作り、全てを自給自足で生きてみせるはずだ。しかし実際は、悪もまたこの社会の構造の中でしか生きられない。


もし悪が本当に脅威であったなら、子どものうちに摘まれていただろう。

だが摘まれなかったのは、善の側が「更生の可能性」を信じたからだ。

誰にでもチャンスを与える、そういう優しさがこの社会にはあった。


にもかかわらず、悪はそれを裏切る。


守られてきたくせに、破壊しようとする。

育ててもらったくせに、噛みついてくる。

ルールに守られておきながら、ルールを笑う。


これはもはや、強さでも正義でもなく、ただの「わがまま」ではないのか?


悪は、善が築いた秩序を壊すことしかできない。

自分から秩序を築くことはない。

自分で世界を生み出すことはない。


だから悪は、善に甘えているのだ。



以上

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